天浜線・天竜二俣駅の構内の外れに、光明電気鉄道・二俣口駅のプラットホーム跡が残っています。
光明電気鉄道は、静岡県中泉町(現、磐田市)の東海道本線中泉駅(現、磐田駅)に隣接する新中泉駅から、二俣町(現、浜松市)の二俣町駅までの19.8kmを結ぶ鉄道路線を運営していた会社でした。
光明村(現、浜松市)の船明まで開業させることを目的としたことから、この社名となったそうです。
大正11年に会社が創立されますが、経営難により、昭和14年に同社は解散。
このことから「悲劇な鉄道」、「幻の鉄道」として語られているそうです。
当地は、昭和5年12月10日、延伸開業した際「阿蔵駅」の名称だったようですが、後に「二俣口駅」と改称(理由不明)されたそうです。
結果論ではありますが、最初から無理な鉄道敷設だったようですね。
(○ ̄~ ̄○;)ウーン・・・
光明電気鉄道は、静岡県中泉町(現、磐田市)の東海道本線中泉駅(現、磐田駅)に隣接する新中泉駅から、二俣町(現、浜松市)の二俣町駅までの19.8kmを結ぶ鉄道路線を運営していた会社でした。
光明村(現、浜松市)の船明まで開業させることを目的としたことから、この社名となったそうです。
大正11年に会社が創立されますが、経営難により、昭和14年に同社は解散。
このことから「悲劇な鉄道」、「幻の鉄道」として語られているそうです。
当地は、昭和5年12月10日、延伸開業した際「阿蔵駅」の名称だったようですが、後に「二俣口駅」と改称(理由不明)されたそうです。
結果論ではありますが、最初から無理な鉄道敷設だったようですね。
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