流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

宝塚市立宝塚文化創造館 (宝塚音楽学校旧校舎)

2021-05-06 | 博物館・資料館等
宝塚文化創造館は、宝塚市武庫川町にある宝塚音楽学校の旧校舎です。

宝塚音楽学校は、宝塚市に所在する私立学校として予科・本科合わせて2年制の宝塚歌劇団団員養成所です。
<同校沿革>
大正02年(1913年)07月、実業家・小林一三が、宝塚唱歌隊(当時名)を設立
大正08年(1919年)01月、宝塚音楽歌劇学校(当時名)を設立
昭和10年(1935年)10月、宝塚音楽歌劇学校新校舎落成(当時:宝塚市宮ノ下/設計:竹中工務店、設計者:糸川政雄)
昭和21年(1946年)03月、宝塚音楽学校(現在名)に校名変更
平成10年(1998年)12月、新校舎落成に伴い本校は移転、当施設は旧校舎
平成23年(2011年)07月、宝塚市立宝塚文化創造館として開館


<以下、HPから要旨抜粋>
旧校舎は、昭和10年に建てられたモダニズム様式の建物として、宝塚音楽学校本校舎として使用され、多くの卒業生を送り出してきました。
創設者である小林一三氏が唱えた「清く 正しく 美しく」の理念のもと、長年にわたって営々と引き継がれてきた活動の痕跡は、建物内部の階段など至る所に残されています。
この旧校舎が宝塚歌劇の舞台に上がる人材を育てる教育訓練の場として長年使用されてきたことを踏まえ、舞台芸術に関わる市民の活動の場として、新たな宝塚文化の発信の場となることを目的としています。


同館1階には、宝塚音楽学校の入学式や卒業式を行われた講堂があります。
現在は、文化交流ホールとして使用されています。


同館2階はすみれ♪ミュージアムと呼び、宝塚音楽学校・宝塚歌劇の歴史が紹介されています。
宝塚音楽学校の卒業写真、歴代公演ポスター及び有名作品の衣裳展示等々の常設展と映像が展示されています。


同館3階にはレッスンルームがあり、生徒がレッスンに励んだバレエ及び日舞の教室です。
鏡、床、バーは磨き抜かれ、大切に使われてきた歴史を感じさせます。

訪問当日は、昨今の事情により残念ながら臨時休館でした。
宝塚ファンでなくても一見の価値がある宝塚文化の発信の場だと思います。
現在の状況が落ち着けば、是非とも再訪問したいですね。
☆*・+゜ゎぁぃヽ(ω・`*ヽ)(ノ*´・ω)ノ゛ゎぁぃ*・+゜☆
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宝塚市立手塚治虫記念館

2021-05-04 | 博物館・資料館等
手塚治虫記念館は、宝塚市武庫川町に位置するアニメ・マンガミュージアムです。

同館は、兵庫県宝塚市にて約20年間を過ごした漫画家・手塚治虫の生涯を称えて(出生地:大阪府豊中市)没後5年にあたる平成6年(1994年)に青少年への夢を育ませる場として設立されました。
基本テーマ「自然への愛と生命の尊さ」とし、宝塚市が運営しています。
手塚治虫氏(てづかおさむ)氏(故人)は、戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として漫画表現の開拓者的な存在として活躍した漫画家です。


訪問当日は、昨今の事情により臨時休館でした。
同館周囲を見学します。

エントランスモニュメント

(左側)ブラック・ジャック/ブラック・ジャック(間 黒男)
(右側)リボンの騎士/サファイア(後のシルバーランド女王)

手塚治虫氏作品キャラクター手形及び足形

バンパイヤ/立花特平(通称:トッペイ)


マグマ大使/マグマ大使(ロケット人)


悟空の大冒険/悟空


ヒゲオヤジ/本名:伴 俊作


鉄腕アトム/アトム


鉄腕アトム/ウラン(アトムの妹)


リボンの騎士/サファイア(後のシルバーランド女王)


ジャングル大帝/レオ(ホワイトライオン)


ブラック・ジャック/ブラック・ジャック(間 黒男)


ブラック・ジャック/ピノコ

火の鳥モニュメント

「火の鳥」
火の鳥は、火の鳥(不死鳥)を物語の中心にした手塚治虫による連作シリーズ漫画およびアニメーション映画、舞台劇です。


本作品は、手塚治虫が漫画家として活動を始めた初期の頃から晩年まで手がけられており、手塚治虫がライフワークと位置付けた漫画作品です。
古代からはるか未来まで地球や宇宙を舞台に生命の本質・人間の業が、手塚治虫自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれています。

その他

「ジャングル大帝/レオ」(ホワイトライオン)
アフリカのジャングルを舞台にホワイライオンのレオを中心とした一家3代とムーンライトストーンを巡って争奪戦を演じる人間たちの群像を描く大河ドラマです。


レオは、本作品の主人公であるホワイトライオンです。

同館を訪れて、当方にとって昭和の時代が甦りましたね。
残念ながら館内を見学出来ませんでしたが、敷地内でも一見の価値がある記念館でした。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・
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民族資料館 (旧五條代官所長屋門)

2020-12-06 | 博物館・資料館等
民族資料館は、奈良県五條市新町に位置する史跡公園にある歴史資料館です。


当地は、江戸時代末期に天誅組の焼き討ちにあった五條代官所長屋門が新たに復元設置されました。


「五條代官所」
寛政7年(1795年)に幕府によって築かれ、五條・宇陀・吉野300ヶ村5万石を支配する南大和地方の政治の中心でした。
文久3年(1863年)、天誅組(幕末の勤王の志士達が挙兵)により五條代官所は焼き払われ、代官鈴木源内は首をはねられます。
元治元年(1864年)、旧敷地(現在の五條市役所)から西側(現在の簡易裁判所)に再建されました。 


「明治維新発祥地」
当地において幕末における下級武士らによる最初の武装反乱といわれています。
倒幕・明治維新のさきがけとなる歴史的な“義挙”であるとして明治維新発祥の地の記念碑が建立されました。


「天誅組150年記念碑」
天誅組(てんちゅうぐみ)は、幕末に公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団でした。


資料館は、元治元年(1864年)に建てられた五條代官所の長屋門を改修整備しました。


館内では、文久3年(1863年)に起こった天誅組の変を紹介しています。


天誅組の変(てんちゅうぐみのへん)は、文久3年(1863年)9月29日(旧暦8月17日)に吉村虎太郎をはじめとする尊皇攘夷派浪士の一団(天誅組)が公卿中山忠光を主将として大和国で決起し、後に幕府軍の討伐を受けて壊滅した事件です。
大和義挙、大和の乱などとも呼ばれています。


「高取城(跡)」
高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町に所在していたは高取藩の藩庁です。
天誅組は、高取城を奇襲して占拠し、籠城して討伐軍に抗戦する計画でした。


「岡八幡宮 御神木跡」(岡八幡神社/奈良県五條市岡町八幡)
文久3年(1863年)8月、天誅組が五條代官襲撃の最初に進駐した地です。


文久3年(1863年)8月17日、天誅組志士30名は一斉に挙兵し、五條代官所を襲い代官鈴木源内を殺害、櫻井寺を本陣として、五條新政府を号し、倒幕の旗を揚げました。
しかし、翌18日、朝議は一変して攘夷派が敗れ、ここで天誅組の義挙はその大義名分を失ってしまいました。
その後、天誅組は十津川郷士960名のの来援を得て、高取城に侵攻しましたが撃退されます。
大日川、広橋、栃原、下市口と吉野各地で転戦するも追討軍は1万名人を超え、内部の対立及び十津川郷士の離反があり、翌9月24日、東吉野村鷲家口に於いて決死的斬り込みを敢行して終わりを遂げました。


天誅組の義挙は、幕末における下級武士と豪農豪商とが一体となった最初の武装反乱でした。
倒幕及び明治維新の魁として称えられる歴史的なものといわれています。
その後、明治維新が実現するのは僅か5年後のことです。

この反乱は、倒幕運動における初めての組織的な武力蜂起という点において『維新の魁(さきがけ)』として評価されているそうです。
幕末の史実として、あらためて知ることが出来ました。
ありがとうございました。
(o゚∀゚)ノ【☆.。.:*・゚アリガト゚・*:.。.☆】ヽ(゚∀゚o)
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あいち航空ミュージアム 実機展示ゾーン

2020-11-07 | 博物館・資料館等
あいち航空ミュージアムは、愛知県西春日井郡豊山町にある県立の航空博物館です。

県営名古屋空港の南西側、旧国際線ターミナルを改装したエアポートウォーク名古屋に隣接して設けられました。
平成29年(2017年)11月30日に開館しました。
同館1階の展示ゾーンでは、主に愛知県ゆかりの航空機を展示しています。


「MU-2Bー36」(JA8737)(三菱重工業)


MU-2は、三菱重工業が製造した多目的小型ビジネス飛行機である双発プロペラ機です。
昭和38年(1963年)9月14日、試作1号機(JA8620)が初飛行しました。


小型ビジネス機のベストセラーとして、世界27カ国で販売され762機が生産されました。


「MU-300」(JA8248)(三菱重工業)


MU-300は、三菱重工業と三菱アメリカ・インダストリー社(アメリカ現地法人)が開発した双発のビジネスジェット機です。
昭和53年(1978年)8月29日、試作1号機(JA8291)が初飛行しました。


国外において、初期生産型はダイヤモンド Iと呼ばれています。


「MH2000A」(JA002M)(三菱重工業)


MH2000は、三菱重工業が日本で初めて国産技術のみで製作したヘリコプターです。


高速巡航による旅客輸送に特化した設計思想で、胴体形状はテイルブームまで一体化した卵形で内部容量は大きく、床は平面、キャビンも広めに確保されています。


「MH2000A」(JA21ME)(宇宙航空研究開発機構/略称:JAXA)(愛称:MuPAL-ε〈ミューパル・イプシロン〉)


本機体はJAXAにおいて、自由落下の衝撃試験に使用されました。


超音波対気速度計:低速域での正確な対気速度を計測するために研究用として開発されたもの。


「EH101-510」(JA01MP)(警視庁航空隊)


EH101は、アグスタウェストランド社が製造及び販売している汎用ヘリコプターです。


警視庁航空隊において、愛称『あおぞら1号』で運用されました。


乗客:最大30名可能とのこと。
客席を全部取り払い貨物用のレールを床に装備すれば、貨物輸送仕様に変更可能だそうです。


操縦室


「八〇式名市工フライヤー」(JR1968)(名古屋市立工業高等学校/通称:名市工)


名古屋市立工業高等学校の生徒達が制作した自作の飛行機です。


平成29年(2017年)1月28日、香良洲飛行場(三重県津市)において高校生が自作したエンジン式の飛行機として初飛行しました。


「零式艦上戦闘機 五一型」(実物大模型)


(有)馬場ボディー(佐賀県神埼市神埼町尾崎)代表・馬場憲治氏が詳細な図面を基にジュラルミンで作られた極めて精巧な模型です。


全幅:11.0m、全長:9.121m、全高:3.57m


「九八式照準器」(レプリカ)


「三菱発動機 瑞星一〇型 総組立図」(縮尺1/2)


「操縦席」


映画「永遠の0(ゼロ)」(平成25年公開)の撮影にも使用されたとのこと。


「YS-11P」(52-1152)(航空自衛隊 第3輸送航空隊 第403飛行隊/美保基地/鳥取県境港市)


YS-11は、日本航空機製造(略称:日航製/英略:NAMC)が製造した双発ターボプロップエンジン方式の旅客機です。


三菱重工業小牧工場(現在:小牧南工場)において試験機1号機(JA8611)がロールアウトし、昭和37年(1962年)8月30日、名古屋空港から初飛行しました。
総数182機(試作機2機を含む)が生産されました。


ターボプロップエンジン「ロールス・ロイス RB.53ダートMk.543-10」


本展示機は、昭和40年3月13日に航空自衛隊へ納入され人員輸送機として運航しました。


ミュージアムショップ「Fun Blade」
オリジナルグッズ等を販売しています。


「あいち航空ミュージアム非公式キャラクター」

同博物館の見学を通じて、航空機産業の歴史や航空機の仕組みなどを改めて認識する事が出来ました。
空の世界をしっかり堪能しました。
以上で「あいち航空ミュージアム」の見学を終了します。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚
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あいち航空ミュージアム 名機百選

2020-11-06 | 博物館・資料館等
あいち航空ミュージアムは、愛知県西春日井郡豊山町にある県立の航空博物館です。

県営名古屋空港の南西側、旧国際線ターミナルを改装したエアポートウォーク名古屋に隣接して設けられました。
平成29年(2017年)11月30日に開館しました。
同館2階のフロアでは、日本の航空機に名を残した名機を1/25スケールの模型で展示されています。
















中日本航空「川崎ベル47G3B-KH4」(JA7521)
昭和20年に原型機がアメリカで初飛行して以来、4,000機以上生産された初期の傑作ヘリコプターです。
川崎重工業では、G-3B型をモデルに昭和37年、性能向上させたKH-4を生産し量産化しました。
個人的にヘリコプターの基本形として好きな機種ですね。(^_^)


日本航空「DC-10ー40」(JA8535)


マクドネル・ダグラス社(アメリカ)が開発したワイドボディの3発式ジェット旅客機です。


全日本空輸「B-787-8」(JA801A)


ボーイング社(アメリカ)が開発・製造した次世代中型ジェット旅客機です。

<<フジドリームエアライン 【機種(機体番号)/路線投入日/カラー】>>

ERJ170-100STD(JA01FJ)/2009.07.23/ドリームレッド


ERJ170-100STD(JA02FJ)/2009.07.23/ライトブルー


ERJ170-200STD(JA03FJ)/2010.01.28/ピンク


ERJ170-100STD(JA04FJ)/2010.10.17/グリーン


ERJ170-200STD(JA05FJ)/2010.10.31/オレンジ


ERJ170-200STD(JA06FJ)/2011.12.03/パープル


ERJ170-200STD(JA07FJ)/2013.07.06/イエロー


ERJ170-200STD(JA08FJ)/2014.03.08/ティーグリーン


ERJ170-200STD(JA09FJ)/2015.03.25/ゴールド


ERJ170-200STD(JA10FJ)/2016.03.11/シルバー


ERJ170-200STD(JA11FJ)/2016.06.16/グリーン


ERJ170-200STD(JA12FJ)/2018.03.17/ホワイト


ERJ170-200STD(JA13FJ)/2019.03.26/ネイビー


ERJ170-200STD(JA14FJ)/2019.06.28/ワインレッド


ERJ170-200STD(JA15FJ)/2019.12.15/ローズピンク


ERJ170-100STD(JA16FJ)/2019.12.24/バイオレット


コクピット内の計器や客室の細かな部分に至るまで緻密に再現されていました。
展示模型が全て同じスケール(縮尺)なので機体の規模感が分かり易いですね。
模型であっても楽しめる展示エリアでした。

この後は、いよいよ本丸(実機展示)を見学します。・・・・つづく。
ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワーイ♪
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あいち航空ミュージアム 展望デッキ

2020-11-05 | 博物館・資料館等
あいち航空ミュージアムは、愛知県西春日井郡豊山町にある県立の航空博物館です。

県営名古屋空港の南西側、旧国際線ターミナルを改装したエアポートウォーク名古屋に隣接して設けられました。
平成29年(2017年)11月30日に開館しました。
同館屋上の”展望デッキ“では、同空港にて離発着する航空機が見学できます。


滑走路を挟んで、航空自衛隊小牧基地(愛知県小牧市春日寺)が所在しています。


第1輸送航空隊 第401飛行隊/輸送機「C-130H」


第1輸送航空隊 第404飛行隊/空中給油・輸送機「KC-767」


フジドリームエアラインズ「ERJ170-200STD」(JA11FJ)


現在、同空港での旅客定期便はフジドリームエアラインズによる1社8路線のみです。
8路線内訳:青森、いわて花巻、山形、新潟、出雲、高知、福岡、熊本


弘田運輸「ソカタTB21」(JA4022)


個人所有「ビーチクラフトA36」(JA3910)


フジエアーサービス「パイパーPA-28-151」(JA3712)


個人所有「セスナ172M」(JA3677)


フジドリームエアラインズ「ERJ170-100STD」(JA02FJ)


株式会社フジドリームエアラインズ(略称:FDA)は、小型航空機で近距離の2つの地点を中心に結ぶ地域航空会社です。
静岡空港(富士山静岡空港)、県営名古屋空港及び神戸空港を拠点に運航しています。
平成21年(2009年)7月23日、運航を開始しました。

自衛隊、警察、消防及び民間の航空機を楽しめる場所です。
当地は平日に訪問した方が、良いかもしれませんね。

この後も見学を継続します。・・・・つづく。
☆*・+゜ゎぁぃヽ(ω・`*ヽ)(ノ*´・ω)ノ゛ゎぁぃ*・+゜☆
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あいち航空ミュージアム 

2020-11-04 | 博物館・資料館等
あいち航空ミュージアムは、愛知県西春日井郡豊山町にある県立の航空博物館です。


「ロックウェル・コマンダー112A」(JA3783)
ミュージアム駐車場入口に展示されています。


県営名古屋空港の南西側、旧国際線ターミナルを改装したエアポートウォーク名古屋に隣接して設けられました。


平成29年(2017年)11月30日に開館しました。


同館2階にて、QRコード付きのチケットを購入して入館します。


日本エアシステム「マクドネル・ダグラスMDー90-30」
同機体を採用した当時、虹をモチーフとした7種類の塗装パターンが設定されました。


英術家レオナルド・ダ・ヴィンチがスケッチした設計図に基づき制作された「ヘリコプター」

職業体験

「パイロット体験」


「整備士体験」

飛行体験

「フライングボックス」
自ら飛ぶ体験ができる遊覧飛行シミュレーションシアターです。

”飛行”の解剖図鑑

「PW4000_112」(プラットアンドホイットニー社製/実物大航空エンジン模型/直径2.8m、全長4.9m)


本モデルは、ボーイング777ー200/-300等に採用されました。


「ランディングギア」


航空機の機体を地上で支持する機構であり、特に着陸の際の衝撃などを受けられるものです。


「コクピット(操縦席)関連部品」


「操縦桿」


小型ターボシャフトエンジン「MG5-110」(三菱重工業)
多目的ヘリコプター・MH2000A(三菱重工業)のエンジンです。


ターボプロップエンジン「TPE331ー10-501M」(ギャレット・エアリサーチ社)
双発プロペラ機・MU-2(三菱重工業)で採用されたエンジンです。


汎用ヘリコプター・EH101-510(アグスタウェストランド社)を実機分解した航空機部品及び装備品等が展示されています。
実機である展示機については、警視庁航空隊で運用された機体です。


エンジン「CT7-6A」(ゼネラル・エレクトリック社)


「APU」(補助動力装置)
機体に搭載されているバッテリーに電力を供給するための補助エンジンです。


「レスキュー・ホイスト装置」
遭難者の救助の際に隊員がロープで降下するための機材です。


「ホイストモーター」


「サーチライト」


「機外スピーカー」


「ストレッチャー」(担架)


「カーゴウィンチ」


「主脚」


「ジャッキ」


「マニュアル/パーツカタログ」


航空機に関心を持たせるための工夫を感じさせる展示です。
実機を見せるだけでなく、航空機の運航の裏側を紹介しているのが良いですね。

この後も見学を継続します。・・・・つづく。
☆*・+゜ゎぁぃヽ(ω・`*ヽ)(ノ*´・ω)ノ゛ゎぁぃ*・+゜☆
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鹿屋市鉄道記念館

2020-09-23 | 博物館・資料館等
鹿屋市鉄道記念館は、鹿児島県鹿屋市共栄町にある鉄道博物館です。

同館は、日本国有鉄道(通称:国鉄)大隅線の歴史を伝えるため、昭和63年(1988年)10月1日に開館しました。
廃止された同線・鹿屋(かのや)駅の跡地に建てられています。


「国鉄ED76形電気機関車(48号機)の動輪」


鹿屋駅は、鹿児島県鹿屋市共栄町にかつて存在した、国鉄・大隅(おおすみ)線の駅でした。
同線の廃止に伴い、昭和63年(1988年)3月14日に廃駅となりました。


大隅線は、かつて鹿児島県曽於郡志布志町(現在:志布志市)の志布志駅から同県国分市(現在:霧島市)の国分駅までを結んでいました。
国鉄再建法の施行により昭和59年(1984年)6月に第2次特定地方交通線に指定され、昭和62年(1987年)3月14日に全線廃止となりました。

線路を守る

「各種保線道具」


「レール標本」(左側から)
【50Nkgレール、40Nkgレール、37Nkgレール、20Nkgレール】


「軌道自動自動車」
線路の保守点検を行うための巡回車です。

駅を守る

「行き先表示板」など


「主幹制御器、制御増幅器」など

運行を守る

「時刻・運賃表、記念切符」など


「駅員制服」


「タブレット、貨物計量器」など


「ポイント(転テツ)切換機」(列車の路線を変える装置。標識灯の向きが変わります。)(左側)
「ポイント(転テツ)標識灯」(列車の路線を知らせる装置。ポイント切換機で信号の向きが変わります。)(右側)

キッズコーナー

「鉄道模型」

屋外展示

屋外では、気動車(ディーゼルカー)や保線用作業車が展示されています。


「軌道モータカーTMC100F」(富士重工)
製造番号:№640、製造年月日:昭和47年3月


昭和31年(1956年)に試作開発された“TMC100”を皮切りに大型軌道モータカーの先駆けとなった車種との事。
エンジン出力:89PS、自重:8.1トン、水平線牽引重量:100トン


モータカーは、主に鉄道の保守作業に使用される小型の自走する動力付きの鉄道車両の一種です。
日本では法規上は車籍のない作業用の『機械』扱いで『鉄道車両』ではないとの事。


「国鉄キハ20系気動車」(キハ20_441)


国鉄が、昭和32年(1957年)に開発した一般形気動車です。
昭和41年(1966年)までに系列合計1,126両が製造されました。


車内に鉄道に関する書籍が置かれており、車内で読むことができます。


「運転台」


「扇風機」


本車両は、国鉄・大隅線にて昭和37年(1962年)から昭和62年(1987年)まで運行しました。


鹿屋駅は大隅線の中心的な存在の駅であり、志布志駅起点32.0kmに位置していました。
廃止時点では、1面2線の島式ホームを有する列車交換可能駅でした。

記念品

入館記念として「記念切符」(復元)をいただきました。

半世紀にわたり大隅半島の交通機関として旅客・貨物輸送等を担ってきた国鉄・大隅線の歴史を知ることが出来ました。
ありがとうございました。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゚・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゚。】ヽ(*´∪`*)ノ"

この後は、帰路へと移行します。・・・・つづく。(^_^)
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鹿屋航空基地史料館 屋外展示

2020-09-22 | 博物館・資料館等
鹿屋航空基地史料館は、鹿児島県鹿屋市西原にある海上自衛隊の航空史料館です。

同館は、昭和48年(1973年)12月に開館し、平成5年(1993年)7月には『新史料館』としてリニューアルオープンしました。
旧海軍鹿屋航空基地時代から現代の海上自衛隊に至るまでの写真や文献、実機(復元)等が展示されています。
敷地内では、旧海軍に関するものや海上自衛隊で運用された装備品及び航空機等が屋外展示されています。

<<旧海軍関連>>

石碑「攻撃第二五四飛行隊/天山艦攻雷撃隊」
天山(てんざん):艦上攻撃機


石碑「海軍少佐 下川万兵衛」
昭和16年4月、横須賀市夏島沖にて海軍少佐・下川万兵衛が零式艦上戦闘機の実用試験中で殉職されました。
本事故の原因調査を行い、教訓と対策を得たことから同機の高速機設計に資する事が出来ました


「国旗掲揚台」
当初は小学校の掲揚台でしたが、鹿屋基地特別攻撃隊神雷部隊及び昭和隊の宿舎となっため部隊が使用していました。
特攻隊の資料として当地に移設されました。


「戦艦比叡(ひえい)の主錨」


「川西局地戦闘機「紫電改」N1K2-Jの誉エンジン」


「艦上攻撃機「天山」11型B6N1のプロペラ」


「零式艦上戦闘機21型(A6M2)のプロペラ 及び 栄12型エンジン」


魚雷「型式等不明」


旧海軍艦艇用「89式魚雷」(上部)、旧海軍艦艇用「92式魚雷」(下部)


「二式飛行艇 一二型」(略符号:H8K2)


同機体は、旧海軍が保有していた飛行艇です。
二式大型飛行艇とも呼ばれ、『二式大艇(にしきだいてい)』の通称も持っています。


レシプロエンジン装備の飛行艇としては、当時世界最高の性能を誇る傑作機とされています。


全長:28.13メートル、全幅:38.00メートル、全高:9.15メートル


最高速度:470km/h、航続距離:8,223Km

<<海上自衛隊で運用されていた航空機(退役機)>>

練習機「T-34A」(9012)


練習機「KM-2」(6263)


練習機「SNB-4」(6434)


練習機「B-65」(6714)


練習機「Bell47G-2A」(8753)


練習機「OH-6J」(8763)


輸送機/機上作業練習機「R4D-6Q」(9023)


救難機「US-1A」(9076)


掃海機「KV-107ⅡA-3」(8608)


対潜哨戒機「S2F-1」(4131)


対潜哨戒機「P2V-7」(4618)


対潜哨戒機「P-2J」(4771)


対潜哨戒機「P-2J」(4783)


対潜哨戒機「HSS-2A」(8074)


「経緯等不明」

当地でしか見れない航空機に出会えたことに感激です。
戦前及び戦後の歴史等などを改めて知ることが出来ました。
史料館職員の皆様、ありがとうございました。
ヾ(●´□`●)ノ【゚+。・oアリガトウo・。+゚】ヾ(○´□`○)ノ

この後は、もう1カ所を目指して移動します。・・・・つづく。(^_^)
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鹿屋航空基地史料館

2020-09-21 | 博物館・資料館等
鹿屋航空基地史料館は、鹿児島県鹿屋市西原にある海上自衛隊の航空史料館です。

同館は、昭和48年(1973年)12月に開館し、平成5年(1993年)7月には『新史料館』としてリニューアルオープンしました。
旧海軍鹿屋航空基地時代から現代の海上自衛隊に至るまでの写真や文献、実機(復元)等が展示されています。


「史料館」
館内の見学順路は2階から始まり、旧海軍時代における資料が展示されています。
なお、2階フロアでの写真撮影については全て禁止でした。(零式艦上戦闘機は除く。)

<<2階>>

「零式艦上戦闘機 五二型」


本展示機は、鹿児島県垂水市浜平の海岸で引き揚げられた三菱二一型と同県加世田市(現在:南さつま市)吹上浜で引き揚げられた中島五二型丙ものを五二型甲として合体復元されました。


零戦用エンジン「栄発動機二一型」
栄(さかえ)とは、先の大戦期に中島飛行機が開発・製造した空冷星型航空機用レシプロエンジンです。


速力、上昇力及び航続力の各数値を優れたものとするため、軽量化を徹底しています。


「操縦席」


最高速度:565km/h(305ノット)、上昇力:6,000メートルまで7分1秒


航続距離:全力30分+2,560キロ(増槽あり)/1,921キロ(正規)


日本の戦闘機では、最多の1万機以上が製造されました。

<<1階>>

1階フロアでは、海上自衛隊の装備及び活動が展示されています。


空対艦ミサイル「ハープーンミサイル」(ATM-84D-1)


「Mk-44短魚雷」(上側)、「Mk-34短魚雷」(下側)


対潜哨戒機・P2V-7エンジン「R3350-32W」


対潜哨戒機「P-2J」(4770)


P-2Jエンジン「T64-IHIー10E」(ターボプロップエンジン)


P-2Jは、ロッキード社のP2V-7を基に機体を拡張及びエンジンを換装し、搭載システムを当時の同水準まで更新した哨戒機です。


「対潜哨戒機 搭乗員座席」
対潜哨戒機における各搭乗員の役割を紹介しています。


・第1対潜員(AW-1)
 音響センサーにより潜水艦の捜索を担当


・第2対潜員(AW-2)
 第1対潜員と協同して音響センサーにより潜水艦の捜索を担当


・戦術員(TACCO)
 音響、非音響センサー等のデータを集中して処理し、総合的に戦術を指揮


・航法員(NAV)
 航空機の航法を担当


・第3対潜員(AW-3)
 レーダー等の非音響センサーにより潜水艦の捜索を担当


・通信員(RADIO)
 航空機の通信を担当


「海上自衛隊制服」


救難機「S-61AH」(8941)


同型機は、対潜ヘリコプター・HSS-2の対潜装備を撤去した救難ヘリコプターです。


「S-61AH機内(キャビン)」


「ホイスト昇降装置及びバスケットスリング(収容担架)」(上部)、「救命浮舟 MK-47」(下部)


史料館キャラクター「にしきどん」

同館見学を通じて、先の大戦及び海上自衛隊に関する歴史等を改めて知ることが出来ました。
ありがとうございました。
☆゚.+゚o(>Д<。*)ノ゚+.★ァリガトォ★゚+.ヽ(*。>Д<)o゚+.゚☆

この後は、屋外展示されている機体の展示を見学します。・・・・つづく。(^_^)
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九州鉄道記念館

2020-07-31 | 博物館・資料館等
九州鉄道記念館は、福岡県北九州市門司区清滝にある鉄道博物館です。

平成15年(2003年)8月9日に開館しました。
同館はJR九州(九州旅客鉄道)の所有物ですが、記念館の運営については北九州市の指定管理者『九州鉄道記念館運営共同企業体』が行っています。
(構成企業:JR九州メンテナンス、JTB九州、JR九州エージェンシー)

前頭部展示

「国鉄485系電車」(クハ481形)(JR九州RED_EXPRESS塗装)


「国鉄ED76形電気機関車」(交流用電気機関車)


「国鉄EF30形電気機関車」(交直流両用電気機関車)

車両展示場

「国鉄96000形蒸気機関車」(59634)(大正11年、川崎造船所)


日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車です。


「国鉄C59形蒸気機関車」(昭和16年、汽車製造)


幹線旅客列車用テンダー式蒸気機関車として、東海道及び山陽本線で運行しました。


「国鉄EF10形電気機関車」(昭和16年、東芝)


関門トンネル開通時に、本区間のために配置されたトンネル専用直流電気機関車です。


「国鉄ED72形電気機関車」(昭和36年、東芝)


北九州地区の電化に伴い登場した九州初の交流専用電気機関車です。


「国鉄キハ07形気動車」(昭和12年、日本車輌製造)


戦前の代表的な機械式(クラッチ方式)気動車(ディーゼル動車)です。


流線型の半円形スタイルが印象的です。


「国鉄485系電車」(クハ481形)(昭和44年、日本車輌製造)


九州では、特急『にちりん』『かもめ』『有明』で運行しました。


「国鉄583系電車」(クハネ581形)(昭和42年、日立製作所)


夜間は寝台特急『月光』、昼間は座席特急『みどり』として運行しました。


「国鉄14系寝台車」(スハネフ14形)(昭和47年、日本車輌製造)


第2世代のブルートレインとして登場し、九州では『さくら』『みずほ』『はやぶさ』『富士』で運行しました。 

本館

「旧九州鉄道本社屋」近代化産業遺産(平成19年度認定)、国の登録有形文化財(平成26年度認定)
明治24年(1891年)、当時の九州鉄道会社の本社として建てられました。
館内は、鉄道関連資料等が展示されています。


名門列車「つばめ」に関する紹介


「国鉄時代の腕章」


「枕木式信号機」


「明治の客車」(当時を再現)
明治から昭和初期まで運行した四輪の三等車を復元したものです。


百年前のプラットホームにおける情景が再現されています。


客車「ちぶ37」(3等客車)(復元)


三等客車内を再現しています。


「分岐器」
分岐器とは、鉄道の線路において線路を分岐させ、車両の進路を選択する機構との事

九州エリアで活躍した鉄道車両を堪能しました。
ありがとうございました。
ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワーイ♪
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筑前町立 大刀洗平和記念館

2020-07-25 | 博物館・資料館等
大刀洗平和記念館は、福岡県朝倉郡筑前町高田に位置する歴史博物館です。

平成21年(2009年)10月3日、当地において開館しました。
同館は、主に第二次世界大戦における太平洋戦争の資料約1,800点が展示されています。


同館の外観は格納庫を模したカマボコ型です。
館内では、太平戦争に関する資料の他、大刀洗大空襲(昭和20年(1945年)3月)の資料や犠牲者の遺影も展示されています。
遺影コーナーには、撃墜された爆撃機B-29搭乗員の遺影も展示されています。
なお、館内の写真撮影については全て禁止です。(零式艦上戦闘機は除く。)


「零式艦上戦闘機 三二型」


展示機については、マーシャル諸島タロア島にて残骸を発見、名古屋空港航空宇宙館での展示を経て、寄贈により現在に至ります。
本機は、世界で唯一の現存機とのこと。


「右側主脚」(降着装置)
萱場製作所製(現在:KYB株式会社)のオレオ式緩衝装置を搭載し、主脚を機体内、尾輪を尾部に引き込む設計としています。


「九九式一号機銃」(九九式二〇粍機銃)


速力、上昇力及び航続力の各数値を優れたものとするため、軽量化を徹底しています。


「栄二一型」(発動機/エンジン)


「定速回転プロペラ」
恒速回転プロペラとも呼ばれ、回転数を一定に保つためプロペラピッチ変更を自動的に行うものです。


「操縦席」


翼番号:Y2-128/製造番号:三菱重工業3318


日本の戦闘機では、最多の1万機以上が製造されました。

<屋外展示>

他用途ヘリコプター「MH2000A」(JA003M)


同機種は、三菱重工業が日本で初めて国産技術のみで製作したヘリコプターです。


高速巡航による旅客輸送に特化した設計思想で、胴体形状はテイルブームまで一体化した卵形で内部容量は大きく、床は平面、キャビンも広めに確保されています。


駆動装置をキャビン上部に配置せず、後方へ配置したことにより、低騒音・低振動を実現しました。


本機体は、日本の航空技術を紹介する貴重な実機として当地にて展示されたとのこと。

<戦跡>

「菊池武光公太刀洗之碑」
菊池武光は、南北朝時代の武将です。(細部不明)


「第五航空教育隊正門」


昭和14年(1939年)開隊した航空技術兵学校「第五航空教育隊」の正門です。
別名『西部第百部隊』と言われ、最大時には6,000名の航空技術兵が在籍していました。
同部隊では教科科目として、飛行機機体・機関発動機・板金・精密機械・銃砲火器・通信機材・自動車・無線・旋盤・鋳造・各燃料・落下傘など航空機に関わる全てを教育していたそうです。

同記念館の見学を通じて、あらためて先の大戦における歴史を知る事が出来ました。
ありがとうございました。
☆゚.+゚o(>Д<。*)ノ゚+.★ァリガトォ★゚+.ヽ(*。>Д<)o゚+.゚☆
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太刀洗レトロステーション

2020-07-24 | 博物館・資料館等
太刀洗レトロステーションは、福岡県朝倉群筑前町高田にある展示施設です。

当施設は、『昭和の忘れ物』をコンセプトに昭和の生活を思い出すアンティークものを展示しています。
実際に見て、触れて、体感できる施設です。


太刀洗駅の無人化に伴い取り壊される予定だった旧国鉄駅舎を活用した建物です。


昭和の生活空間と生活用品の展示


貴重な蓄音機や音楽・映像機器の展示


「レコードプレーヤー」


「ラジオ」


真空管を使ったラジオは、正常に機能していました。


「レコードプレーヤー」


「電話交換機及び各種電話機」


太刀洗駅事務室で使われていた「通票(タブレット)閉そく器」等々


「線路地下道」
駅構内(ホーム)へ通じる地下道です。


昭和14年に作られ、戦時中に使用されていました。


「九五式中間練習機」(大刀洗陸軍飛行学校)(模型)

<屋外展示>

「荷積牛馬車」(細部不明)


「甘木鉄道に使用していたレール」


練習機「T-33A」(71-5293)


アメリカ空軍のジェット戦闘機P―80から開発された初の複座ジェット練習機です。


航空自衛隊において主にパイロット養成として運用され、他に訓練支援や連絡業務にも使用されました。


同機は、型番に由来するサンサンの名で広く呼ばれました。


垂直尾翼に「第304飛行隊」の部隊マークがデザインされています。
同隊は、那覇基地(沖縄県那覇市)に所在する第9航空団に所属する戦闘機部隊です。
当地にて展示された当時は、築城基地(福岡県築上郡築上町)に所在する第8航空団所属の頃だったようです。

戦時中、太刀洗駅は別れの駅として、戦地に向かう兵士らと面会に訪れた両親や妻子らが別れを惜しんだ駅でした。
特に終戦間際には、多くの旧陸軍特攻隊員が出撃基地である“太刀洗航空隊 知覧分駐隊”へ同駅から出征されました。

当施設の見学を通じて、昭和の時代や戦時中の状況を知る事が出来ました。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚
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南海ホークス メモリアルギャラリー

2020-01-05 | 博物館・資料館等
南海ホークスメモリアルギャラリーは、大阪市浪速区難波中にある展示施設です。


本施設は、商業施設や都市公園などで構成される複合施設“なんばパークス”9階にあります。


南海ホークスは、大手私鉄「南海電気鉄道」が親会社であったかってのプロ野球球団でした。


当地において、南海ホークスが本拠地とする「大阪スタヂアム」がありました。
<概要>
昭和25年(1950年)01月   :起工
昭和25年(1950年)09月12日:開場
昭和63年(1988年)10月15日:南海ホークスとしての最終戦、対近鉄戦
平成02年(1990年)08月02月:最後のプロ野球公式戦、近鉄バファローズ対オリックス・ブルーウェーブ戦
平成10年(1998年)11月   :解体され閉場


施設内は、南海ホークスの歴史、歴代の選手を紹介する写真パネルや優勝カップ、ユニフォームなどが展示されています。


昭和13年(1938年)03月1日、南海電気鉄道を親会社とする『南海軍』(なんかいぐん)結成。
近畿圏の私鉄会社では、阪神電気鉄道(阪神タイガース)、阪神急行電鉄(阪急ブレーブス)に続く3番目のプロ野球球団でした。
昭和22年(1947年)06月1日、球団名『南海ホークス』へ改称
その間、日本シリーズ優勝2回及びパシフィックリーグ優勝12回の記録を残しました。
昭和63年(1988年)11月1日、ダイエーへ球団売却
球団結成50周年において、老舗球団が消滅しました。


大阪スタヂアム(通称:大阪球場)は、関西地区の球場で初めて夜間照明設備を設置しました。
内野スタンドに日本初のボックス席を設けたのも本球場とのこと。


「投手」
日本一に導いた杉浦投手の快投が有名です。


「打者」
反骨魂に溢れた強打者が揃っていました。


「野手」
猛練習に裏打ちされた鉄壁の守備でした。


「日本シリーズ優勝 チャンピオン・フラッグ」(昭和34年/1959年)
読売ジャイアンツ(巨人)を4連勝で破り、初の日本一となりました。


「日本シリーズ優勝 優勝トロフィー」(昭和34年/1959年)
この年に“悲願の御堂筋パレード”を実現しました。


「鶴岡監督 スタジアムジャンパー」
鶴岡一人(旧姓:山本)氏は29歳で監督に就任し、昭和21年(1946年)から昭和27年(1952年)まで選手兼任監督を務めました。
その後、昭和28年(1953年)から専任監督となり、昭和43年(1968年)まで通算23年間にわたって監督を務めました
その間、パシフィックリーグ優勝11回及び日本シリーズ2回を制覇しました。


「鶴岡監督就任1500勝記念ウィニングボール」(昭和40年/1965年)


「野球殿堂入り記念ブロンズ置物」
鶴岡一人氏は一軍監督として通算1,773勝を挙げた実績から、プロ野球史上最多勝監督といわれています。
勝率.609は、歴代監督の中でも唯一の6割超えを記録しています。


「日本シリーズ 優勝ペナント」(昭和39年/1964年)
阪神タイガースを破り、2度目の日本一となりました。


「日本シリーズ 優勝トロフィ」(昭和39年/1964年)
本シリーズでは阪神タイガースに王手を掛けられますが、第6戦及び第7戦をスタンカ投手による2試合連続完封で制し、4勝3敗で逆転優勝しました。


「杉浦監督のユニフォーム」
同監督は、南海ホークス最後の監督です。


現役時代での杉浦忠氏は日本プロ野球史上5人目の投手5冠を達成し、『史上最強のアンダースロー』『魅惑のアンダースロー』などと呼ばれました。
南海ホークスの黄金期に貢献した選手の一人です。
投手五冠:最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、最多完封


同施設において、8年連続本塁打王や昭和40年(1965年)に戦後初の三冠王に輝いた選手が紹介されていませんでした。
当該選手サイドにおいて、メモリアルギャラリーの建設に際して南海電気鉄道から連絡があったにも関わらず名前や写真の掲載を一切拒否したことにあるようです。
非常に残念な限りですね。(×_×;

私は南海ホークスファンではありませでしたが、往年を知る者としては間違いなく名門球団だったと思います。
当時の華やかなセントラルリーグと比較して非常に厳しい球団環境でしたが、実力のパ(パシフィックリーグ)の一翼を担っていました。

本施設を見学できた事に感謝する次第です。
ありがとうございました。
☆゚.+゚o(>Д<。*)ノ゚+.★ァリガトォ★゚+.ヽ(*。>Д<)o゚+.゚☆
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阪急西宮ギャラリー

2019-11-24 | 博物館・資料館等
阪急西宮ギャラリーは、西宮市高松町にある展示施設です。
本施設は、大型複合商業施設“阪急西宮ガーデンズ”本館5階にあります。


阪急西宮ガーデンズに位置していた阪急西宮スタジアム(旧名:阪急西宮球場)、プロ野球球団・阪急ブレーブス、阪急電鉄の歴史などを展示しています。


阪急電鉄は、大阪梅田と神戸・宝塚・京都を結ぶ鉄道を経営する大手私鉄です。
阪急阪神ホールディングスの子会社であり阪急阪神東宝グループに属します。
略称は、『阪急』となります。
同鉄が運営している鉄道事業は、明治40年(1907年)に箕面有馬電気軌道が設立され、
明治43年(1910年)3月10日、宝塚本線・箕面線にあたる梅田駅(現在:大阪梅田駅)-宝塚間、石橋駅(現在:石橋阪大前駅)-箕面間を開業したのが始まりです。
創業者の小林一三は経営安定のため沿線開発に力を入れ、住宅地分譲、宝塚新温泉、宝塚唱歌隊(後の少女歌劇団、現在:宝塚歌劇団)などの事業を多角的に展開しました。


「阪急920系電車」(模型・縮尺1/20)
阪神急行電鉄(当時社名)及び京阪神急行電鉄(当時社名)を経て阪急電鉄に在籍した通勤型電車です。
900形をベースとして昭和9年(1934年)年から昭和23年(1948年に)かけて56両が製造されました。
神戸本線での大阪-神戸間を25分で運行しました。


「阪急800系電車」(模型・縮尺1/20)
京阪神急行電鉄(当時社名)が、昭和24年(1949年)に導入した通勤形電車です。
920系に続く神戸線用車両として、当初は700系として竣工しました。
2編成の本車体は、昭和25年(1950年)に西宮球場にて開催された『アメリカ博』の宣伝用として黄色と空色に塗装されました。


阪急ブレーブス
阪急ブレーブスは、阪急電鉄が保有していたかってのプロ野球球団です。


昭和11年(1936年)1月23日、大阪阪急野球協会を設立。
同年2月5日に結成された日本職業野球連盟に参加しました。
球団名に企業名を入れた日本で最初のプロ野球球団とのこと。


昭和63年(1988年)11月4日、阪急電鉄からオリエント・リース(翌年、オリックスに社名変更)へ球団を売却。


同球団は、発足から売却されるまでの52年間で日本一3回、パ・リーグ優勝10回を誇るチームでした。


昭和50年(1975年)から昭和52年(1977年)は、3年連続日本一を達成しました。


「山田久志」投手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和63年(1988年)


現役時代は12年連続開幕投手を務めるなどし、アンダースロー投手としては日本プロ野球最多となる通算284勝を記録しました。
球界関係者からは、史上最高のサブマリン投手と称されています。


ダイヤモンドグラブ賞(昭和56年)


「福本 豊」外野手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和63年(1988年)


現役通算2,543安打、通算208本塁打を記録した確実性とパンチ力を兼ね備えた打撃を持っていました。
通算盗塁数及びシーズン盗塁数の日本記録保持者として、世界の福本又は世界の盗塁王の異名を持っています。


盗塁世界新記録達成記念(939盗塁)(昭和58年)


「加藤秀司」内野手/在籍:昭和44年(1969年)~昭和57年(1982年)


在籍時代は中心打者とし活躍し、首位打者2回、打点王3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞3回等々のタイトルを得ました
通算犠牲フライで歴代2位の記録数を保有しています。


首位打者賞(昭和48年)


山田投手、福本豊外野手、加藤内野手は花の44年組と言われていました。
しかし、他にもミスターブレーブスとして親しまれた4番打者の長池外野手、屈指の速球を持つ山口投手など、素晴らしい選手が多く在籍していました。
監督においても選手としての実績が無くても名将だった西本幸雄氏やその愛弟子となる上田利治氏の存在もありました。


「野球殿堂入り表彰レリーフ」
阪急ブレーブスへの貢献を評価され殿堂入りされた方々の表彰レリーフ(ブロンズ製胸像額)を掲額しています。


ジオラマ模型(縮尺1/150)
昭和58年(1983年)当時の阪急電鉄・西宮北口駅周辺を再現しています。


「西宮北口駅」


阪急電鉄の駅として、副駅名“阪急西宮ガーデンズ前”があります。
阪急神戸本線と今津線が接続する乗換駅です。


大正15年(1926年)の今津線延伸当時は立体交差が技術的に難しかったこともあり、平面交差が採用されました。
路面電車同士や路面電車と鉄道線の平面交差は珍しくはなかったですが、高速走行を前提とする路線同士が平面交差するものとしては日本唯一のものでした。
同線の直角に交わる平面交差をダイヤモンドクロスと呼ばれていました。


昭和59年(1984年)3月25日、西宮北口駅構内の平面軌道交差が廃止されて今津線側が分断し、ダイヤモンドクロスは消滅しました。
以来、今津線は同駅で2系統に分断され、今津北線と今津南線という通称にもなっています。


「阪急西宮スタジアム」


阪急電鉄が所有していた多目的スタジアムです。
西宮北口駅前に現在所在する阪急西宮ガーデンズの位置にありました。
通称及び旧名称として、阪急西宮球場と呼ばれていました。


昭和12年(1937年)5月1日、開場(当時名称:阪急西宮球場)
日本初の二階建スタンドと全面天然芝のグラウンドを持つ野球場として、シカゴのリグレー・フィールドなど当時のMLBの諸球場を参考に設計されました。


日本初の鉄傘付き二階席の他、当時としては異例の背付き椅子を備えた内野席、5万7千人収容の観覧席の傾斜角度をどこから見ても本塁に合わせるなどの工夫がされたとのこと。
また、浴場など選手用施設、記者室、郵便局、当時では珍しかった男女別トイレなど内部施設も充実させ、広い敷地と併せて最新・最高の設備を備えた球場でした。


阪急電鉄が所有していたプロ野球球団・阪急ブレーブスの本拠地として主催試合が開催されました。
それ以外に競輪場として競輪開催(西宮競輪場)、アメリカンフットボールの試合、コンサートなど様々なイベントで使用されました。


平成03年(1991年)04月01日、名称を“阪急西宮スタジアム”に改称
平成14年(2002年)12月31日、球場施設の老朽化に伴い閉場(閉鎖)
平成17年(2005年)夏、     解体工事の完了
跡地にはスタジアム敷地を含めた周辺再開発により、平成20年(2008年)11月26日に大型複合商業施設“阪急西宮ガーデンズ”が開業。

本展示施設の見学を通じて、阪急電鉄が創業以来積み重ねてきた事業や歴史を一部でも知る事ができました。
プロ野球球団・阪急ブレーブスが懐かしかったです。
ありがとうございました。
☆゚.+゚o(>Д<。*)ノ゚+.★ァリガトォ★゚+.ヽ(*。>Д<)o゚+.゚☆
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