(なんとなく永井荷風っぽく)
久々の祝日、姫をつれて飯塚の「旧伊藤伝右衛門邸」へ行く。歴史好き、文学好きなら行かずにはおれない名所。しかしその広さはもちろん、邸内の隅々にまで残る重厚な空気に刺激されるのは単なる好奇心だけではなかった。同じ場所で明治・大正の頃にどんなドラマがあったのか、思いを馳せるだけでも心楽しいものがあった。
正直、伊藤伝右衛門よりもそのおもかげを慕ったのは白蓮のほうだった。最近短歌をかじり始めた素人歌人のワシにとってはその足跡に興味を持たずにはいられない才色兼備の女流歌人、白蓮柳原子。邸内の畳、柱、ガラス、障子、襖、床の間、何を見てもあぁここに白蓮がいたのか、この空気に触れていたのか、この景色を見ていたのかと思うと心は遠き昔の幸袋に旅をしているような錯覚を覚えた。ただ情熱を支えに短歌に身を捧げ、真実の愛を追い求め、強く生きたその人が後世に生きるものの導として残したもの、それは秀逸なる短歌や著作ではなく、その波乱の人生そのものではないかと今日この屋敷に来て思った。
「白蓮」
生き様を
導(しるべ)と残す
白蓮に
つたなきうたを
手向けにぞする
蔵
久々の祝日、姫をつれて飯塚の「旧伊藤伝右衛門邸」へ行く。歴史好き、文学好きなら行かずにはおれない名所。しかしその広さはもちろん、邸内の隅々にまで残る重厚な空気に刺激されるのは単なる好奇心だけではなかった。同じ場所で明治・大正の頃にどんなドラマがあったのか、思いを馳せるだけでも心楽しいものがあった。
正直、伊藤伝右衛門よりもそのおもかげを慕ったのは白蓮のほうだった。最近短歌をかじり始めた素人歌人のワシにとってはその足跡に興味を持たずにはいられない才色兼備の女流歌人、白蓮柳原子。邸内の畳、柱、ガラス、障子、襖、床の間、何を見てもあぁここに白蓮がいたのか、この空気に触れていたのか、この景色を見ていたのかと思うと心は遠き昔の幸袋に旅をしているような錯覚を覚えた。ただ情熱を支えに短歌に身を捧げ、真実の愛を追い求め、強く生きたその人が後世に生きるものの導として残したもの、それは秀逸なる短歌や著作ではなく、その波乱の人生そのものではないかと今日この屋敷に来て思った。
「白蓮」
生き様を
導(しるべ)と残す
白蓮に
つたなきうたを
手向けにぞする
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