【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「崖の上のポニョ」:清澄庭園前バス停付近の会話

2008-07-19 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

おい、この手水鉢の中に何か見えたぞ。
ひょっとして、ポニョかしら。
うーん、あれは海にいる魚だからな。
うん、海で生まれたんだけど、人間になりたくて一生懸命努力する魚の女の子。
って、人間になるためにそんなに努力したか?たまたま人間の血をなめちゃっただけに思えるけど。
そう言われちゃ身も蓋もないけど、固いこと言わなくていいじゃないの。「となりのトトロ」のメイをほうふつとさせる、いかにも宮崎駿らしい、元気な女の子だったんだから。
いや、ほんと。あれは、どう見てもメイの生まれ変わりだ。前世は人間のメイだったのに、何の因果か魚に生まれ変わってしまって、人間に戻りたいようっていう物語だな。
それは考え過ぎだと思うけど。
たしかに。「となりのトトロ」ほど豊かな情感はないし、ポニョ以外に愛嬌のある生き物も出てこなかったしな。
あら、結構手厳しいのね、天下の宮崎駿に対して。
いや、最初映画が始まったときのバラエティ豊かな魚たちを観ている間は、これまで一環して森とか緑とかの描き方に現われてきた自然に対する敬意が、こんどは海をテーマにして表現されるのか、と思ったんだけど、話が進むうちに、単に人間になりたい魚の子に収束していったように思えて、正直がっかりしたんだ。
でも、物語の間中、海の中にはいろんな生き物がうようよしていて、ああ、さすが宮崎駿、と思ったけどね。
海の中の表現というならすでに「ファインディング・ニモ」という傑作があるわけで、CGと手描きとどっちが豊かな表現かという問題はあるかもしれないけど、とくに新鮮味があるわけではなかった。
CGと手描きじゃ、大違いじゃない。今回はあくまでも手描きにこだわって絵本風の触感を漂わせたかったっていうのがよくわかる出来だったわ。
話もいたってシンプルだしな。
そうよ。前作の「ハウルの動く城」がグチャグチャなストーリーになってしまったのに比べれば、ずいぶん単純でわかりやすい物語になったと思わない?
ところが、ストーリーはいたってシンプルなんだけど、ポニョの父親や母親が何を考えて行動しているのかいまひとつ要領を得なくて、実は裏側にものすごい哲学があるんじゃないかと勘ぐりたくもなる。
どういうこと?
たとえば、「月があんなに近づいている」とか言われると何かありそうなんだけど、よくわからない。
というか、あなた、宮崎駿の映画だからって、深く考えすぎなんじゃないの?純粋に子ども心に戻って、動く絵のおもしろさを楽しめばいいのよ。
監督にすれば、もうストーリーを語ることにはあまり興味がなくなってきたのかもな。悪い言い方をすれば物語の細部がかなり雑だもんな。
「もののけ姫」とか「千と千尋の神隠し」とかで、行き着くところまで行ってしまったんで、これからは、もっと単純にアニメをつくることを楽しみましょう、ってことなんじゃないの?
あれだけ緻密なストーリーの映画を撮ってきた黒澤明にしたって、晩年の「夢」とか「まあだだよ」になると構成が雑になってきたもんな。宮崎駿もそういう境地に達してきたってことかな。
枯れてきたってこと?
淡白になってきたのかもしれないな。トレードマークの空を飛ぶ飛翔感に代わるものとして、海の中を泳ぐ爽快感みたいなのが出てくるのかな、と思ったらそれもなかった。
それも勝手な期待よ。爽快感はないかもしれないけど、波の描き方なんていままでにないものだったわ。
そうだな。宮崎駿が枯れるなんてありえないもんな。手水鉢の水が決して枯れないように。
そういえば、この手水鉢、何が見えてたの?
なんか、太った女の顔みたいな・・・。
悪かったわね。それって、私の顔が映ってたってことじゃない。



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