【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「シリアの花嫁」:四ノ橋バス停付近の会話

2009-02-28 | ★品97系統(品川駅~新宿駅)

ここがイラン大使館。
フセインがいた国だな。
いいえ、それはイラク。
ああ、鮭の卵か。
いいえ、それはイクラ。
ああ、上野の近くにある町か。
それは、イリヤ。
確か、中近東にある国だったっけ?
それは、シリア。
・・・で合っているんだろ、エラン・リクリス監督の映画の舞台。
あ、「シリアの花嫁」の話をしたかったの?でも、ここにたどり着くまで長すぎよ。
この映画の花嫁みたいだな。イスラエルの占領地、ゴラン高原から境界を越えてシリアの男性に嫁いでいこうとするんだけど、その境界で足止めを食らって、どうしても花婿にたどり着けない。
“境界”って、つまり“国境”のことでしょ。
イスラエルから見れば国境だし、シリアから見れば国内移動にすぎない。だからだろう、間を取って“境界”と表現されている。
そのへんがあいまいなもんだから、イスラエルの役人とシリアの役人が花嫁のパスポートに押された判でもめる。
もちろん、両者は敵同士だから直接会って問題の解決をはかろうとはしない。間をとりもつ国連の女性職員は右往左往するだけ。
花嫁は境界で足止めを食らうばかり。
しかも、いちど境界を越えたら二つの国は国交がないから二度と故郷へは戻れない。それでも結婚したいのかねえ。
愛は国境を越えるのよ。
“国境”じゃない。“境界”だ。
じゃあ、愛は境界を越えるのよ。
でも、この二人、お互い写真を見ただけで一度も会っていない。そんな犠牲を払ってまで結ばれたいほど愛し合っている仲なのか。
民族よ。土地は引き裂かれても同じ民族の絆がそこにはあるのよ。
なんだか複雑すぎて、俺たち日本人の理解力を越えるな。
理解を越えるのはそういう不可思議な政治状況だけで、そんな状況の中でも必死に生きている人たちにはむしろ共感を覚えるわ。
ああ。それでも純白のドレスに身を包み、国境を越えていこうと試みる花嫁の姿は、感動的でさえあるもんな。
自分の人生は他人や役人や、ましてや国のものではないという強烈な意志。
そしてこの映画、花嫁花婿を取り巻くいろんな連中が登場してひっちゃかめっちゃか騒動を引き起こす構図は「アンダーグラウンド」とか「黒猫・白猫」のエミール・クストリッツァ監督をほうふつとさせる。
彼ほどアナーキーなエネルギーはないけど、たしかにそういう感覚は見受けられるわね。
悲劇を喜劇で語る語り口。
悲劇じゃないわよ。ここにあるのは、不屈の希望よ。
不条理な状況に対する複雑な思いをかかえながらも道を切り開いていく人々。そこに託された希望を感じろってことか。
そのとおり。
それにしてもほんと、中東って大変なところだな。白状すると、イランもイラクもシリアもイスラエルも、違いがよくわからないけど。






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ふたりが乗ったのは、都バス<品97系統>
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