【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「櫻の園-さくらのその-」:東小松川一丁目バス停付近の会話

2008-11-19 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

「看護婦」は「看護師」に変わったのに、「家政婦」は「家政師」に変わらないのか。
市原悦子が生きているうちはムリでしょうね。
家政婦は見た、ってか。
まだまだ、女性の多い職業だってことなんでしょうね。
いわゆる、女の園か。
そんな響きのいいものじゃないと思うけど。
じゃあ、櫻の園か。
それじゃあ、チェーホフの戯曲のタイトルじゃない。
ノー、ノー、ノー。ここはひとつ、「中原俊の映画のタイトルじゃない」って言ってほしかったね。
18年前の名作映画のリメイク版のこと?
ああ、チェーホフの「櫻の園」を上演する女子高生たちの物語。
もともと吉田秋生のコミックでしょ。いま、なぜリメイクする必要があったのかしらね。それも、セルフ・リメイク。
わかんないけど、「犬神家の一族」のリメイクよりはましだろ。
うーん、亡くなった大村崑・・・じゃなくて市川崑監督には申し訳ないけど、あのリメイクはオリジナルとまったく一緒で、何のために作り直したのか、さっぱりわからなかった。
それに比べれば、今回のリメイクはオリジナルとはちょっと違うぞ。
オリジナルの「櫻の園」は、ほとんど演劇部の部室だけに限定して、上演前2時間程度の出来事だけを描いていた。
それに対し、今回は、カメラもどんどん屋外に出るし、時間も春から初夏へと広がった。
たしかに違うけど、いいほうへ作用したのかしら。
木々の息吹、空気の爽やかさ、桜舞う瞬間。他に何が必要だ?
女子高生たち、ひとりひとりの心のひだ。甘美な季節にも終わりがくるという無意識の自覚。
心のひだ?無意識の自覚?ムズカシッ。
空間も時間も限られた中で展開する話は、女の園の息苦しささえ感じさせて、映画にとっていいカセになっていたのに、今回はそのカセがはずれた分、散漫な印象になっちゃったってことよ。
そうかなあ。空間も時間も限ったら、オリジナルと同じ映画になっちゃうぜ。
だからって、上戸彩にライブハウスで歌わせる?
う、うーん。事務所の要請だろ。
冷や汗が出てるわよ。主演の福田沙紀も事務所の要請?
そう目くじらたてるな。いまどきの女子高生をのびのび演じてたじゃないか。
内面が出てこない。映画の演技じゃないわ。
お前って、ほんと、若い子に厳しいな。嫌われるぜ。
でも、バイオリンをやめた理由も戯曲を上演したくなった心理も、どこか切実じゃなくて、共感できない。
いまどきの子だ。軽い気まぐれってやつだろ。
そんなので納得できる?
だからさあ、ゴチャゴチャ言わずに、売り出し中の女優なんだから応援してやろうよ。
かわいいだけじゃない。
ははあ、本音が出たな。女の嫉妬。いい年して、やだねー。
そういうことじゃなくて、オリジナルの「櫻の園」には匂い立つような濃密な空気が流れていたのに、今回はどこかゆるい空気が流れていて、中原俊監督はちょっと手を抜いたんじゃないの、としか思えないのよ。
でもなあ、お前、オリジナルを超えるなんてそんな生易しいもんじゃないぜ。オリジナルと比べるのがそもそもの間違いじゃないか。
わかるけど、今年公開された「12人の怒れる男」みたいに、まったく違うアプローチでオリジナルとは異なる傑作になってしまった例もあるじゃない。やればできるはずよ。
例えば?
男子校の話にするとか。
見たくねー。
18年後の中年になったクラスメイトの話にするとか。
ますます見たくねー。
いっそ、家政婦の話にするとか。
なんだよ、そこに戻ってきたか。主演は?
市原悦子とか。
見たくねー。
って、唱和するな!



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ふたりが乗ったのは、都バス<錦25系統>
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