最終33番の前に、このようなものを見つけた。
おなじみの仁丹の看板。ほうろう製で人気の町看板だ。しばしば盗まれる。
盗む気持ちも分る。注目はその町名。「釜座町」ご存知千家十職の釜氏・大西清右ヱ門の本拠地だ。
初代から並べて見る。
- 浄林 (1594 - 1682) :(五郎左衛門)
- 浄清 (1594 - 1682) :(五郎左衛門)
- 浄玄 (1630 - 1684) :(仁兵衛)
- 浄頓 (1645 - 1700) :(清右衛門)
- 浄入 (1647 - 1716) :(新兵衛)
- 浄元 (1689 - 1762) :(清右衛門)
- 浄玄 (1720 - 1783) :(清右衛門)
- 浄本 (1747 - 1785) :(清右衛門)
- 浄元 (1749 - 1811) : 左兵衛浄元
- 浄雪 (1777 - 1852) :(清右衛門)
- 浄寿 (1808 - 1875) :(清右衛門)
- 浄典 (1841 - 1869) :(清右衛門)
- 浄長 (1866 - 1943) :(清右衛門)
- 浄中 (1888 - 1960) :(清右衛門)
- 浄心 (1924 - 2002) :(清右衛門)
- 当代 清右衛門 (1961 - ) 調べたらほぼ清右ヱ門を名乗っている伝統ある家なのだ。現在は、美術館となっている。
今でもこのような看板が目立つ。
それよりも言いたいのは、京都は町(ちょう)で、大阪は町(まち)なのです。
大阪は、本町(ほんまち)、茶屋町(ちゃやまち)、瓦町(かわらまち)、谷町(たにまち)、上町(うえまち)という具合だ。
京都は、夷町(えびすちょう)、紙屋町(かみやちょう)、瓦町(かわらちょう)、丸太町(まるたちょう)という具合。
大阪では、例外的に「ちょう」もあるが、京都にはほぼ例外なく「まち」は、ない。
町衆も「ちょうしゅう」と読む。
しかし、丸太町通り(まるたまちどおり)、河原町通(かわらまちどおり)、通りの名前なら(まち)なのだが。
因みに、京都は東西でも南北でも、通りだ。四条通烏丸(通)上る、河原町通御池(通)西入など、しかし
大阪は、東西は通り、本町通、北浜通、長堀通だが、南北は筋。御堂筋、堺筋、浪速筋などとなる。
如何ですか?なんの役にも立たない情報でした。
東京はどうでしょう? 御徒町(おかちまち)、大手町(おおてまち)、しかし、
日本橋本町(にほんばしほんちょう)、小伝馬町(おでんまちょう)なのだ。
お江戸は、大阪と京都の折衷でした。各地方はどうなっているのでしょうか?
やっと、33番 清和院へ向かう。