アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

167 アチャコの京都日誌 再びの再びの京都 大谷御廟  西本願寺と東本願寺 

2017-10-05 08:29:43 | 日記

長楽寺のすぐ南隣の、東大谷を訪ねた。大谷御廟と言う。

長く関心はあったが、自分の宗派が西本願寺なので機会がなかった。

加えて、世界遺産に指定された西本願寺に比べて、国宝などの数が圧倒的に違うので、東本願寺関係のお寺には、

勉強上もその触手がわかなかった。

ついでじゃ失礼なので、心を込めてお参りした。

納骨堂 信者は共同で納骨される。自分のお墓と分骨する人も多い。

西と東の歴史的経緯は、誠に複雑だ。単純に言えば秀吉が西本願寺を与え、家康が東本願寺を与えた。

その飛び地が、東大谷、西大谷。ここは、東大谷「大谷御廟」

西本願寺

東本願寺

戦国時代本願寺は、大阪の石山で信長に長く対抗した。今の大阪城のある場所だ。

その後、秀吉の時代になり和解し、烏丸の今の地に本願寺を営むことを許された。顕如が初代門主だ。

一方、徹底抗戦を主張した教如は、分派しその後家康の時代に、堀川の地に本願寺を与えられた。

どちらも本願寺なのだが、堀川を西、烏丸を東と呼んだ。

従って、教義上の違いは全くなく、現在両者に争いはない。

ただ、経緯から西本願寺の方に教団の貴重な宝が多く、その為世界遺産になっている。

無理やり違いを探すと、

西本願寺 阿弥陀堂が右 御影堂が左  畳が横向き 門主 龍谷大学 大阪北御堂 大谷本廟 勤王 焼香1回

東本願寺 御影堂が右 阿弥陀堂が左  畳が縦向き 門首 大谷大学 大阪南御堂 大谷祖廟 佐幕 焼香2回

因みに、大谷御廟とは親鸞の墓の意味。

そう言えば、新選組は一時西本願寺に屯所を構えていた。

 

因みに御影堂は、ごえいどう。知恩院はみえいどう。・・・・・。もういいか?

西本願寺の国宝唐門。

国宝の多さでは西が圧倒している。観光的スポットはどうしても西本願寺に多い。

飛雲閣・北能舞台・庭園・障壁画など見どころが多い。

私は西本願寺(いわゆる門徒だ)「なもあみだぶつ」と唱える。「なむあみだぶつ」ではない。

この宗派は、心が広くどんな宗教の人も歓迎する。観光のつもりでも訪ねたい。

二日分アップして、明日休む。