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わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

なぜ、いま?「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」

2017-01-20 14:55:18 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 第2次世界大戦でアドルフ・ヒトラー率いるドイツが敗北すると、多くの重要戦犯が海外へ逃亡、ナチス・ハンターによる執拗な追跡作戦が繰り広げられた。そのうち最も悪名高いナチス戦犯がアドルフ・アイヒマン。戦時中に数百万人ものユダヤ人を強制収容所に送り、ホロコーストの中心的役割を果たしたアイヒマンは、1960年に潜伏先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関モサドに拘束され、翌61年にエルサレムの法廷に引きずり出された。ドイツの気鋭監督ラース・クラウメが完成させた「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」(1月7日公開)は、モサドによる捕獲作戦を実現に導いたドイツのユダヤ人検事長フリッツ・バウアーに焦点を当てた実録ドラマ。封印されていた極秘作戦の真実を描き切り、ドイツ映画賞で作品賞・監督賞・脚本賞など6冠に輝いたサスペンスフルな作品だ。
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 1950年代後半のドイツ・フランクフルト。ナチス戦犯の告発に執念を燃やすヘッセン州の検事長フリッツ・バウアー(ブルクハルト・クラウスナー)のもとに、南米から一通の手紙が届く。そこには、逃亡中の元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンがアルゼンチンに潜伏しているとの重大な情報が記されていた。なんとしてもアイヒマンを拘束しドイツの法廷で裁きたいバウアーは、国家反逆罪に問われかねない危険も顧みず、その極秘情報をイスラエルの諜報機関モサドに提供する。しかし、ドイツ国内に巣食うナチス残党の妨害や圧力にさらされたバウアーは、孤立無援の苦闘を強いられていく。それは、どういうことだったのだろうか?
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 1950年代ドイツは、国全体が敗戦からの経済復興に傾斜し、戦争の記憶の風化が進みつつある時代だった。だが、理想主義者のユダヤ人であるフリッツ・バウアーは、ナチスの戦争犯罪の徹底的追求に人生を捧げた。同時に、それは国内の司法当局との闘いでもあった。政治やビジネスの中枢には元ナチス党員が相当いた。1949年に発足したアデナウアー政権は、西ドイツの経済復興と国際社会への復帰を急務としており、戦争犯罪の追及には熱心でなかった。映画でも、バウアーを監視する元ナチス親衛隊の連邦検事局員や上席検事が登場。バウアーの有名な言葉に「執務室を一歩出れば敵だらけ」という表現があったとか。ナチス残党が残る権力側。本作は、アイヒマン追及を媒介にしてドイツ国内の構造をあぶり出す。
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 国家内部に横たわる大いなる矛盾。バウアーは、政府がアイヒマンを裁くことに乗り気でないことを知り、その所在に関する情報をイスラエルに流す。バウアーの友人であるヘッセン州首相は、「それは国家反逆罪だ。刑務所送りになる」と警告する。エルサレムから戻ったバウアーは、信頼できる若手検事アンガーマン(ロナルト・ツェアフェルト)に協力を要請。だがフランクフルトでは、敵対勢力がバウアーの失脚を狙い狡猾な謀略を巡らせる。当時、ドイツには刑法175条というのがあって、同性愛は法律で罰せられていたという。敵方はこれを利用して、バウアーが男娼と一緒にいるところを逮捕されたことが記録された調書を公開。また、同性愛嗜好のアンガーマンを罠にかけて、裏切りを迫ったりするのだ。
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 ドラマは、1950~60年代、戦後の暗澹たる時代を背景に、フリッツ・バウアーの徹底した孤軍奮闘ぶりをみごとに描き切る。では具体的には、なぜバウアーはこんな闘いに挑んだのか。クラウメ監督は言う。「バウアーは暗い沈黙を破ることで、アデナウアー時代の若者たちにまったく新しい視点を与えた。だから、その後の学生運動の重要なインスピレーションの源になった」と。更に晩年のバウアーは、原告団を率いてアウシュヴィッツ裁判を起こし、ホロコーストの細部を明らかにした。1960年代から70年代は、世界的に見ても若い世代の反乱の時代だった。ドイツ映画界でも、1960年代後半からニュー・ジャーマン・シネマ運動が興り、反体制・反権力の旗印を掲げた。本作もフリッツ・バウアーを主題に、時代の変革を目指すドイツ映画の新展開を示すものと言っていいのかもしれない。(★★★★)



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