フランス女優ジュリエット・ビノシュは、20代にレオス・カラックス監督と組んだ「汚れた血」(1986年)、「ポンヌフの恋人」(1991年)で衝撃的な青春像を作り上げました。デビュー時は「ほとんど精霊の域にある美貌と無垢さ」と評されたが、その奥の深い個性は、以後次第に洗練されていきます。その彼女も、すでに50歳。オリヴィエ・アサイヤス監督の「アクトレス~女たちの舞台~」(10月24日公開)では、歳を経た女優の試行錯誤を表現、変幻自在のメーク(スッピンに近いときもあり)・髪型・衣装で登場、女優としての貫禄を溢れさています。アサイヤスとは4度目の共作となる彼女は、クランクインの数年前、同監督に「時間と対峙する女性の本質をより掘り下げてほしい」と耳打ちしたといいます。
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大女優マリア(ビノシュ)は、優秀で忠実なマネージャーのヴァレンティン(クリステン・スチュワート)と二人三脚で世界を股にかけて活躍している。そんな時、マリアはかつて女優として花開く機会を与えてくれた舞台劇への出演を再び打診される。だが、マリアは躊躇していた。なぜなら、20年ぶりのリメイク作品で依頼されたのは、かつて自分が演じた若い小悪魔のシグリッド役ではなく、彼女に翻弄され自滅していく中年の上司ヘレナ役だったからだ。若い主人公の配役は、すでにハリウッドの大作映画で活躍する若手女優のジョアン(クロエ・グレース・モレッツ)に決定していた。混乱するマリアは、ふたつの役柄の間に自らに流れた時間を重ね合わせることで、次第に演じることの意味を見出していく…。
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映画は、最初はメロドラマ風の展開を見せるが、次第に演技・演劇論とシリアスな方向に収斂していく。また、ジュリエット・ビノシュを支える、ふたりの女性像もユニークだ。クリステン・スチュワート演じるマネージャーのヴァレンティンは、スター女優に寄り添い、見守りながら、客観的で冷静な言動を見せる。彼女は、若いジョアンを軽蔑するマリアに「ジョアンはゴシップまみれの問題児だが、ハリウッドでは珍しく減菌されていない」と語り、ふたりでジョアンが出演するハリウッド式モンスター映画を見に行く。そして、「続編の脚本は物体のようなもの。立場によって見方が変わる」という予言的な言葉を残して、忽然と姿を消す。スチュワートは、この演技で米女優初のセザール賞最優秀助演女優賞を獲得した。
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対して、クロエ・グレース・モレッツ扮する若いハリウッド女優ジョアンは、不倫相手を堂々と同行させてマリアに会いに行くような傲岸な存在だ。そしてマリアに対して、このゴシップ・クイーンは「敬愛している」と言いながらも、物怖じしない発言を繰り返す。このジョアンという存在を媒介にして、マリアは言い放つ。「CGとワイヤーに頼った『X-MEN』のネメシス役は一度で懲りたわ」と。それは、ビノシュの本音ともとれるアンチ・ハリウッド的な姿勢そのものでもある。一説には、大作「GODZILLA ゴジラ」(2014年)への出演が、マリアを演じる上で経験値として役立っているという噂もあるようだ。そしてラスト、ロンドンでの舞台リハーサル本番では、マリアは予測通りにジョアンと対立してみせる。
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映画の原題は「Sils Maria」。また、劇中マリアとジョアンが共演する舞台のタイトルは「マローヤのヘビ」。本作のメインのロケ地は、スイス東南部のリゾートとして知られるサン・モリッツ近くの集落シルス・マリア。このあたりでは、初秋の早朝、湿った空気がイタリアの湖で生じて雲に変わり、マローヤ峠をうねりながらヘビのように進む壮観な風景を望むことができるという。劇中、マリアとヴァレンティンが、この山と湖の風景を楽しむくだりがある。アサイヤス監督は、「こちらを圧倒させるものを持ちながらも、とても人間的な風景の中の、不変であると同時に絶えず変化する風景」と語る。とは言うものの、そうした抽象的な概念よりも、観客はヒロインの演技論、若さの喪失、女優としての心理的な葛藤などを通して、ひたすらビノシュの華麗な魅力を堪能すればいい、と思います。(★★★★)
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