北の杜

ニセコ・羊蹄山麓に暮らす一級建築士の奮闘記

泊原発

2011年06月02日 | 思い
 後志地方議員連絡協議会の研修に参加し、北海道電力泊原子力発電所を視察してきた。後志管内選出の北海道議会議員3名と市町村議員27名が参加したそうだ。


    構内は写真撮影禁止のため、パンフレットの写真

 セキュリティが厳しく、いたる所でチェックを受ける。構内では、携帯電話やデジカメなどの携帯が禁止され、金属類も持ち込み禁止であった。

 まず、北海道電力の幹部の方より原子力発電の概要(仕組みや基本的なこと)のレクチャーを受け、その後、構内を視察した。



 中央操作室など見学者ルートで3号機の内部を見学し、使用済み燃料プールも見せてもらった。職員の方々は淡々と仕事をしているようであった。
標高31m地点には、今回追加導入した「移動発電機車(3200kw)」も待機していた。また、水中ポンプやホースを積んだ車も待機していた。しかし、今回の福島に対応する急ごしらえのようでリース車であった。
現在、構内に車庫や倉庫を建設中で、常設の機器の導入が予定されているようである。
想定外の対応に向けた対策が進められているようである。

 わが町は、泊原子力発電所から24kmほどの地点。今まで、町民に対する説明や防災訓練等もない。ほとんど無関心であったと言ってよい。現在10km圏外の町村で北海道や北海道電力に対して要望書を出しているが、住民のためにきちんとした防災対策を考えなければならない。
 人間のやることで絶対や完全なんてない。
子どもたちのためにも、きちんとしなければいけないと思う。

太鼓のロクさん

2010年02月22日 | 思い
 羊蹄太鼓の生みの親「太鼓のロクさん」がご逝去されました。


(2003年8月24日銀座数寄屋橋公園:真夏の銀座雪ダルマで演奏)

 突然の悲報にビックリしてしまいました。

 太鼓のロク(高田緑郎)さんが昭和38年に作曲した「羊蹄太鼓」は、倶知安町から羊蹄山へ登り行く様を太鼓の曲に表したものです。登り行く者の喜び、途中嵐に襲われ雷鳴が響き渡る様、そして登頂し太陽が昇り行くイメージを表現し、歓喜に包まれ軽やかに下山していくところを表した曲で、平成9年に倶知安町無形民俗文化財に指定されています。
現在は、ロクさんの弟子である「鼓流(こりゅう、羊蹄太鼓保存会)」のメンバーが、羊蹄太鼓を受け継いで演奏活動を行っています。(詳しくは倶知安風土館で)

 昨年まで20年間銀座で行っていた「真夏の銀座巨大雪ダルマ」のイベントにも、鼓流のメンバーと共に羊蹄太鼓を演奏し、銀座を行き交う人々の足を止め、演奏にくぎ付けにしてくれました。
 また、同時に養護学校へ雪のプレゼントを行っていたときも、学校で子供たちに羊蹄太鼓の演奏を聞かせてくれました。その時の写真を学校の先生が記録し送ってくれたものです。



 羊蹄太鼓の音色と共にロクさんの笑顔は、永遠に受け継がれていくと思います。 合掌

羊蹄山避難小屋

2010年02月20日 | 思い
 2月20日の北海度新聞の朝刊に「羊蹄山避難小屋建替え」が掲載されていました。



 昨年9月に定例議会の一般質問で「急を要す『羊蹄山避難小屋』の建替え!」を問うておりました。
山小屋の管理人さんのブログや町内の登山愛好家の方々から話を聞き、自分でも山登りを始めていたので、とても気になる問題でした。
 質問の内容は、「羊蹄山の避難小屋は、築37年たっており、老朽化が著しく、危険な状態であります。現在、環境省では支笏洞爺国立公園管理計画を作成しており、羊蹄山の避難小屋も含め、関係行政機関と検討を図っていくと書かれておりますが、いつになるかわかりません。年間1万人を超える登山者を迎え、1、000人ほどが宿泊しています。登山者の安全・安心を確保するためにも、避難小屋の修理、あるいは補強、建替えを積極的に国に要請すべきと思いますが、町長のご見解をお聞かせ願います。」という内容でした。
 町長の答弁は、「後志総合開発期成会としましても、これまで北海道や環境省へ避難小屋の再整備に関する要望活動を行ってきたところであります。また、7月には羊蹄山避難小屋整備検討委員会を開き地元としての考え方を後志支庁が中心となって最終取りまとめを行って、何としても環境省の来年度予算に向けた本要望を提出すべく、準備を進めているところであります。避難小屋の現状を考えて、北海道を通じた要望とは別に、地元関係町村として羊蹄山管理保全連絡協議会による環境省への陳情書の提出、また、環境省による建替えには最短でも約3年間を要することが想定されることから、北海道に対しての緊急補強工事の要請、陳情もあわせて検討したいと考えております。」
 町長としては前向きの答弁でしたが、地域の実情をもっと発信しないと動きが鈍いままのような状態でした。

 10月1日に村田道議会議員を先頭に支庁や役場の担当者や倶知安観光協会の鈴木会長さんはじめスタッフ2名の方と共に避難小屋の視察に羊蹄山登山を行いました。
私は、建築士ということもありレーザー水平器などの機材を持って登り、建物の垂直・水平を行ってきました。
 壁は最大100mmほど歪みがあり、床も100mmほどの傾斜があり、歩行禁止の部分もあり、いつ壊れても不思議ではない状況でした。





 その後、村田道議会議員の活動や地元の整備検討委員会と道や国との協議が続けられてきていました。
情報も入ってきていましたが、問題点は避難小屋を新設するとしても現在の半分以下のものになる。トイレは、持ち帰り可能な携帯方式が検討されていました。国の考えと地元の要望とに隔たりがありました。
 国としては、羊蹄山が独立峰なので日帰り登山の小屋というスタンスで、トイレも汲み取りなどのライニングコストの掛からない、登山者自らが携帯トイレで対処する初期投資の掛からない計画を考えているようです。
 地元では、独立峰といっても片道5時間は掛かる山なので宿泊を視野に入れており、現状でも多いときは小屋が満杯で窮屈な状況なのに半分では話にならないということと、トイレ設備も設置しないと携帯トイレをその辺に捨てられては堪ったものではないので、きちんと管理ができる設備にしてほしいといった要望を持っています。

 新聞報道では、「小屋の規模や維持管理費の負担は、今後協議をする」となっているので、問題解決はまだのようで、現状の応急処置と新設の計画といった当初の方針を発表したようです。

 是非、現状に相応し、登山者の安全・安心に繋がる「人に優しい」避難小屋にしてもらいたいものです。

2010,02.20 北海道新聞の朝刊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
羊蹄山避難小屋建て替え 環境省、新年度に基本計画

建て替えが決まった羊蹄山9合目の避難小屋
 環境省は、老朽化して倒壊の恐れがある羊蹄山(1898メートル)の避難小屋を建て替える方針を決めた。新年度に現地調査を行い、基本計画を策定する。一方、現在の小屋を所有・管理する道は、建て替えまでの間の応急措置として、6月ごろに補強工事を行う。
 羊蹄山は支笏洞爺国立公園の一部。2005年に国が国立公園の管理を道から国直轄に移したため、道や倶知安町など後志管内5町村が環境省に建て替えを要望していた。
 環境省は植生への影響や小屋の建設位置などを調査、基本計画をまとめ、11年度以降に実施設計を行って工事に取り掛かる。小屋の規模や完成後の維持管理費の負担については今後、同省と道や町村が協議する。
 一方、道は新しい小屋が完成するまでの登山者の安全を確保するため、現在の小屋の応急補修に乗り出す。
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HIROSHIMA 2

2008年08月06日 | 思い
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参列しました。



4万5000人の参列者があったそうで、8時15分に平和の鐘の音とともに黙とうを行い、犠牲になられた方々の冥福をお祈りしました。



昨年、1年間に亡くなられた被爆者の方が5,302人で、この63年間で258,310人の方が犠牲になったそうです。



平 和 宣 言

平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」―――被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰(だれ)にもさせない」ための決意を新たにする日です。

しかし、被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過少評価され、未だに被害の全貌(ぜんぼう)は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2か年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

昨年11月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理を裏付けています。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生れています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

また来月、我が国で初めて、G8下院議長会議が開かれます。開催地広島から、「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待しています。

被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います。



2008年(平成20年)8月6日
                      広島市長 秋 葉 忠 利
(広島市のHPより)


HIROSHIMA

2008年08月05日 | 思い
初めての広島です。



一昨年、イタリアに住んでいる弟夫婦が子供たちを連れて里帰りにきた時、子供たちに広島を見せたいと広島に向かいました。また、下の娘も高校の修学旅行で広島を訪れています。しかし、50数年、日本に暮らしている私は一度も広島を訪れたことがありませんでした。そんなことがあって、気にかけていたのですが、この度、話があって、広島に行くことができました。

昭和20(1945)年8月6日午前8時15分。
広島市に原子爆弾が投下されました。




辺り一面、焼きの原となり、一瞬にして14万人余の命を奪ってしまったのです。



明日は、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式」です。