昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

静岡県藤枝市藤枝市南駿河台5-4-21  054-639-5711
コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

いの一番

2022-08-31 09:08:00 | 日記
ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包括)が言われて久しいですが、最近はエクイティ(公正)も加わっているとか。本来は人種、性別、年齢、宗教、思想、障害等異なった者同士を包含し、共生により新しいものを生み出すことを目指すシステムだと思うのですが、この国ではどうもほぼ管理者の女性割合や障害者、高齢者の組織加入率を示すようであります。

中露をはじめアジアによくみられるような中央集権トップダウン型を基本とし、計画重視、合理性効率性から脱却しなければ、所詮体裁だけ整える現状から変わることは困難だと思っています。無論それが必ずしも悪いとは思っていませんが。

束縛の強さの違いはありますが、EUや合衆国制のように加盟者は平等で独自の自治を有し、統合管理者は全体的な管理をするにとどめる所謂「大いなる実験」をベースとした、ある意味ボトムアップ的な本来のダイバーシティ構想とはベクトルが逆向きなのかもしれません。

現実には、例えば米の中央政府と州の権限の軋轢を見るにつけ、必ずしも最適解とは言えないかもしれませんし、矢張りどこかで組織としての枠を決めなければならない以上、中央集権型との違いは濃淡の違いに過ぎないともいえる気もします。

完璧なものなどありえませんから、状況によって変化する柔軟性と厳密過ぎない対応が肝要かと。大抵優柔不断、機能不全に陥りますけど。

個人的には方針、システムや法などは本来2の次3の次で、基本は、代替不可能な個であると同時に代替可能な集合体の一部であり、且つ個もまた集合体であるという多角的視野の全個体レベルでの理解だと思っています。





定住

2022-08-30 08:24:28 | 日記
雨天時傘をさしていても濡れるという奥さんの怒りにふれ、アジサイの低木は鎌で叩き切られました。
何故、結構激烈な攻撃をされたのか。そこに「定住」していたからではないかと思います。

人類の戦争の起源は、狩猟から農耕へと変わった際の富の蓄積の収奪というのが長らく定説です(多分今も)。日本においても縄文時代は献花や小競り合いの個人若しくは10人程度の争いはあったでしょうが、数十人から100人規模の部族同士の戦争というのは農耕が広まった弥生時代になってからと言われています。

が、その他にもいくつもの説があり、有名な1万3千年ほど前のスーダンのジャベルサハバ177遺跡では、当時狩猟採集者であった100人以下であろうグループの内、子供を含めた60名以上が道具を使った攻撃により死傷した遺体が発見されています。

食物といった富を耕作、蓄える以外にも、狩猟に適しているとか外敵(肉食系動物)が来ない、洪水等の災害に合いづらい、利便性が高い等の理由で自らのグループの「縄張り」という考え方は初期型定住性を含み、それは同種他種族にとっても魅力的な場所でありますから、奪い合うのも必然、将に「一所懸命」だったでしょう。

己のみが亡くなっても血を分けた家族が存続できる争いと異なり、遺伝子の全てを抹殺される可能性のある戦争は生物としては本来避けたい事象であり、逃げるという選択肢もあるはずですが、それよりも定住性のメリットが大きいという事かも知れません。

領土に血眼になる現国家群。知能は発達しても、人はやはりこの分野では、既存の業を超えることはできないのでしょうか。

切られたアジサイの枝から新たな葉が生まれ出ています。来年は無理でも再来年は花を咲かせるかもしれません。


オシアンの夢

2022-08-29 08:23:42 | 日記
感情を重視するロマン主義と対立、享楽的なバロック、軽佻浮薄なロココに一瞥もくれず、ルネサンス期の荘厳で理を重んじた新古典主義の旗手をダヴィッドから受け継いだ1780,8,29生まれのアングル。ただのタイプ踏襲ではありませんでした。

グランドオダリスクと呼ばれるオスマンスルタンの愛妾を描いた作品は脊椎骨が3本多いと言われるほど胴長で、その造形美は女性の曲線美を最大限に描こうとするマニエリスムとも捉えられますが、そこに性的女性肉体美への彼の執着を感じるのは僕だけでしょうか。

彼の東方趣味はライバルロマン主義のドラクロアとも共通していますが、他にも北欧神話への憧れもあったようです。オダリスクの前年に描かれたのが「オシアンの夢」(図)。どちらもナポレオンの遠征の影響が大きいのかもしれません。

息子の裏切りにより一族の滅亡を招きショックで盲目となった王オシアンが、かつての一族の勲功を吟遊詩人となって語り歩いたという伝説の絵画。夢の中の人物群は克明で鮮やかな色調の眠れるオシアンを前面に配置する構成は格調高く新古典主義的ではあるものの、濃緑の中凍てつく月光でアラバスタの様に揺らぐ人物群と紅の生ある現実描写の対比は怪異を想定させ、ロマン主義的であるともいえるかと。

写真の登場を画家の生活が立ち行かなくなるとして批判したアングル。ちゃっかり絵をかくときには写真も使っていたという逸話も残ります。

ボクにはこのナンチャッテ原理主義が、大層魅力的であります。

契約若しくは約束、又は誓い

2022-08-28 07:56:14 | 日記
絶対見ないでと約束した機織りを覗かれた鶴は去り、話したら殺すと言われた吹雪の夜の話を妻にした男の許を、雪女だった妻は去りました。

後継ぎの弟殺しの嫌疑をかけられたエルザを、白鳥が曳く小舟に乗ってきた騎士が救います。
身元や名前を決して尋ねないことを条件に、エルザの夫となり領地を護ることを騎士は誓い、彼女はこれを承諾。

エルザの失脚を画策する者が流す騎士の謂れのない黒い噂に、抑えようない騎士への疑惑と不安を募らせた彼女は夫になった騎士に素性を問い詰めてしまいます。
「聖杯を守護する円卓の騎士の息子、ローエングリンだ」と告げ、彼女のもとを去る騎士。白鳥は彼女を失脚させようとした女の魔法で姿を変えられていた弟でした。

他に居場所を見出せない社会構造と同時に、洋の東西を問わず、約束や誓いを反故にすれば全てを失う、そういった文化的に刷り込まれた、ある意味オカルト的な心理的支配が無条件の受け入れを自らに課し、カルトの盲目的な絶対的信者の維持を可能にさせているのかもしれません。

ただし、証明不可能なものを根拠に持つ以上決して否定しきれない分野でもあることも念頭に置くべきかと。
また「反社会性」という錦の御旗も、本質的には法治国家という同様に虚構である秩序を維持するための二重の虚構に過ぎないのですから。

1850、8.28、ワーグナーのオペラ「ローエングリーン」が初演されました。

腹違いのお兄ちゃん

2022-08-27 07:56:01 | 日記
ワルだった中学時代、親と喧嘩し家を飛び出し、流れ流れて一攫千金を夢見ながらテキヤの道へ。
学はなく粗暴で短気、でもウブで面倒見がよく、義理人情に厚い家族想いな「フーテンの寅さん」。

ハートブレイクな、想いを寄せていた幼馴染の結婚、その父でもある中学時代の恩師が病の床に彼を呼び出し「天然ウナギが食べたい」と。
よっしゃ任せとけ!と悪戦苦闘の末ウナギをゲット、勇んで持ち帰るものの、既に恩師の息はなく。

先生に立派な墓を作ってやる!と意気込んだものの金はなく、ハブ酒で大儲けを画策、奄美大島に渡ったが返り討ちにあったとの妹さくらへの伝言。

ある晩、彼女のアパートに、気がつくと寅さんがいて、「お兄ちゃん、やっぱり死んでなかった!」と歓ぶさくら。でも・・・

フジテレビ系で放映されていたこの連ドラのラストに、視聴者からのクレームの嵐が巻き起こり、昭和44年8月27日、やがて大長寿映画となる人情喜劇、映画版「男はつらいよ」が封切されました。

昭和は遠くなりにけり。平成生まれの3人の娘は多分寅さんを知りません。