昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

静岡県藤枝市藤枝市南駿河台5-4-21  054-639-5711
コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

板チョコ

2022-03-30 09:23:23 | 日記
あさイチ野暮用でカーナビなしの愛車アルトにて野田I.Cでおりました。
始めていく場所でしたので、路肩に停めてジャンバーのポケットから何時ものようにスマホを取り出して・・・板チョコでした。

へ?あ、ちょっと前にコンビニで煙草買うついでに、何となく買ったやつだコレ!

ところでスマホは?

あー、昨日1時間ほどかかる法事会場に行くため、礼服に入れたまんまでした。
美味しかったです。

あ、わかりやすい場所にあったんで、何とか目的地には到着できました。

本日16:30までの営業です

2022-03-29 09:37:13 | 日記
法事が入りました。すみません。

アカデミー賞で司会者のジョークで妻が傷ついたとして、俳優が司会者をビンタする映像を観ました。笑いは毒をもってナンボだとは思いますが、俳優に肩入れしたい気分です。それに対し賛否両論あるようですが「何があっても暴力はダメ」というご意見にはちょっと抵抗があります。

DV等強者が弱者に振るう力による強要は個人的に嫌悪感を伴います。それは力を背景とした独裁国家の脅迫と同じ臭いさえ感じます。
が、それを排除しようとする思考法もまた理性による本能の弾圧であるといえるのではないかと。理性を重んじる禁欲主義的な方のご批判はごもっともですが。

本質を損得や快楽苦痛に変換させ行動選択を迫るヒト社会の容認は、未だ人がケダモノの域を出てはいない証だと思います。臭い物に蓋をする理性の使用法では解決は困難ではないでしょうか。暴力は使えるが自然と使う必要性を感じなくなるには、まだまだ精神的な成長が人には必要ではないかとおもいます。

故に暴力は嫌いですが、現状必要な時はあると考えます。

桃花源記

2022-03-28 10:25:42 | 日記
いつの間にか路の遠近を忘れた漁師の眼前には、川の両岸にどこまでも続く満開の桃花のみの林。萌え出たばかりの下草にはらはら舞い降ち続ける桃の花、芳草鮮美落英貧繽紛。心奪われた漁師はさらに川を遡る。(陶淵明「桃花源記」)やがて水源にたどり着くと山の根方に小さく狭い洞窟を見つける。

暗闇なら怖気づき、見通せたなら興味を持たなかったもしれない。が、髣髴として光有るが若し。チラリズムのエロスに魅了されたか、身をくねらせ入り込み手探りで更に数十歩、「豁然として開朗す」。神仙の住まいなどではなく、春の日を浴びた豊かな村里、ユートピアがあったという。

壮健な大人は甲斐甲斐しく働き、老人と子供の笑い声があちこちで聞こえ、鶏と犬がのどかに声を上げる春の昼下がり。歓待を受けた漁師は帰りがけ「ここの事は秘密に」と約束するが・・・

さて、この穏やかな桃源郷の秩序が保たれているのは何故だろうか。ひょっとして某国と同じように、出る杭を打ち同質化しない者を排除しているからだろうか。

1年前、旭川の中2女子が自殺した事件がイジメ認定されたそうです。

水滴と銃弾

2022-03-27 08:55:46 | 日記
ビックリするほど暖かい雨上がりの遊歩道の朝。
こちらではようやくチラホラ咲き始めた桜を見上げていると、水滴が一滴、髪をかすめてレンガ状の道に落ちていきました。

水滴の分子を構成す水素原子の陽子からクオークを一つ取り出し運動と位置のデータを取って標準偏差してみると、その2点の誤差、乱れ、ゆらぎの組合せの総和は、光子のエネルギーと運動関係を示すブランク定数(6,64?だったか×10∧-34m∧2kg/s)を4πで割ったものと等しいかそれ以上になるとか。

水滴が当たるも当たらないも運次第、量子の世界から見ればかなりの距離があるでしょうけど。今、ウクライナで飛び交う銃弾も水滴と同じかもしれないと。

銃弾を撃ったから足を負傷した(原因によって結果が起こる)というのはホントは正確ではなく、足を負傷したのは銃弾を撃たれたから(結果が起こると同時に原因として収束する)んじゃないかなあなんて、どうでもいいこと考えました。

一刻も早い戦争の終結を願います。

春寒

2022-03-26 08:21:31 | 日記
なんか体が重い気がすると言ったら、「太ったんじゃないの」と身も蓋もない奥さんのお言葉。
たしかヒッグス粒子(場、波)そのものよりエネルギー(≓質量)の方の影響が大きいとかの説も聞いた気もしますけど。

曇天は今にも泣きだしそうで、昨今の寒暖の差は、もう若いとはいえないわが身には思いの外影響があるのかもしれません。

季節がらご自愛ください。