今日で8月も終わり。早朝のアサガオ、夜半の虫の音。「趙州勘婆」
五台山へ向かう僧が分かれ道にて、茶屋の婆にどちらへ行けばいいか尋ねると、
「真っ直ぐ行きなされ」と言われ、そのまま少し歩いた。
すると「なかなかの坊さんに見えたが、やはり同じように行こうとしなさる」と婆。
この話を聞いた師。「よし、ワシが行って、婆さんの正体を見届けてやろう」
翌日、婆の処へ出かけた師が同じ様に道を尋ねると、老婆も同じ様に答えた。
帰ってきた師は門弟衆を集め「ワシが君らの為に、婆さんの正体を見破ってやったぞ」と。
ポイント
1、評唱に、師と老婆ともに過失ありと。貶して褒める禅特有の表現かもしれませんが、
一応、師に対しては、ガキみたい(素直で即行動)。
どうせ婆に何にも云わず戻ってきたんでしょ。ヒント位あげたら?と想像。
2、婆へは、「無常」故、常に同じ「答え」は、禅者であれば有り得ない!と思ったんですが、
頌で、質問が同じなら答えも似ると、釘を刺してありましたので、
「飯裏の砂」「泥中の棘」から、感想の中に嫌味や優越感といった卑屈さを感じるとか?
ボク的解釈。「さて老婆の何を見破ったか」という問の答えをもって、解釈に代えさせていただきます。
「大事な探し物は、外にあるのではなく、自分の中に既にある」と云う事かと。
あれこれ外を探しているようじゃ、見つかんないよ・・・てか?
五台山へ向かう僧が分かれ道にて、茶屋の婆にどちらへ行けばいいか尋ねると、
「真っ直ぐ行きなされ」と言われ、そのまま少し歩いた。
すると「なかなかの坊さんに見えたが、やはり同じように行こうとしなさる」と婆。
この話を聞いた師。「よし、ワシが行って、婆さんの正体を見届けてやろう」
翌日、婆の処へ出かけた師が同じ様に道を尋ねると、老婆も同じ様に答えた。
帰ってきた師は門弟衆を集め「ワシが君らの為に、婆さんの正体を見破ってやったぞ」と。
ポイント
1、評唱に、師と老婆ともに過失ありと。貶して褒める禅特有の表現かもしれませんが、
一応、師に対しては、ガキみたい(素直で即行動)。
どうせ婆に何にも云わず戻ってきたんでしょ。ヒント位あげたら?と想像。
2、婆へは、「無常」故、常に同じ「答え」は、禅者であれば有り得ない!と思ったんですが、
頌で、質問が同じなら答えも似ると、釘を刺してありましたので、
「飯裏の砂」「泥中の棘」から、感想の中に嫌味や優越感といった卑屈さを感じるとか?
ボク的解釈。「さて老婆の何を見破ったか」という問の答えをもって、解釈に代えさせていただきます。
「大事な探し物は、外にあるのではなく、自分の中に既にある」と云う事かと。
あれこれ外を探しているようじゃ、見つかんないよ・・・てか?