昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

無門関チャレンジ31

2019-08-31 10:47:23 | 日記
今日で8月も終わり。早朝のアサガオ、夜半の虫の音。「趙州勘婆」

五台山へ向かう僧が分かれ道にて、茶屋の婆にどちらへ行けばいいか尋ねると、
「真っ直ぐ行きなされ」と言われ、そのまま少し歩いた。
すると「なかなかの坊さんに見えたが、やはり同じように行こうとしなさる」と婆。

この話を聞いた師。「よし、ワシが行って、婆さんの正体を見届けてやろう」

翌日、婆の処へ出かけた師が同じ様に道を尋ねると、老婆も同じ様に答えた。
帰ってきた師は門弟衆を集め「ワシが君らの為に、婆さんの正体を見破ってやったぞ」と。

ポイント
1、評唱に、師と老婆ともに過失ありと。貶して褒める禅特有の表現かもしれませんが、
  一応、師に対しては、ガキみたい(素直で即行動)。
  どうせ婆に何にも云わず戻ってきたんでしょ。ヒント位あげたら?と想像。

2、婆へは、「無常」故、常に同じ「答え」は、禅者であれば有り得ない!と思ったんですが、
  頌で、質問が同じなら答えも似ると、釘を刺してありましたので、
 「飯裏の砂」「泥中の棘」から、感想の中に嫌味や優越感といった卑屈さを感じるとか?

ボク的解釈。「さて老婆の何を見破ったか」という問の答えをもって、解釈に代えさせていただきます。

「大事な探し物は、外にあるのではなく、自分の中に既にある」と云う事かと。

あれこれ外を探しているようじゃ、見つかんないよ・・・てか?
  
  

初秋の雨

2019-08-30 12:26:10 | 日記
九州北部を中心に水害が拡がっているようで、災害に遭われた方々にはお悔やみ申し上げます。
こちらでは、ソフトな断続的な降りで、蒸し暑さが漂ってます。


「短詩型は、直接のなまの印象から距離を置くという物語的な誘惑を免れていて、
 他のどんな詩型よりも自然に、ある体験された瞬間とピタリと一体化することができる」
(仏詩人イヴ・ボヌフォワ氏)

人生の出来事や思想を物語ろうとすると、そこにどうしても因果関係を持ち込まざるを得ず、
思考が、分析化、一般化という回り道をたどることになるそうで。

表現したいものの違いなんでしょうか。

 バス送る セミの骸や 秋の雨

お粗末様です。
・・・なんかセミに取りつかれているこの頃。

無門関チャレンジ30

2019-08-28 11:59:54 | 日記
アマゾンの大火災。G7の支援金の申し出を、ブラジル大統領が拒否したとか。
・・・色々あります。「即心即仏」

僧「仏とは何ですか」
師「即心即仏」

ポイント
1、個々人の心が、そのまま森羅万象である。ということでしょうか。  
2、「全てにして一」という考え方は、昨日触れた独ヘーゲルさんもお持ちだったようです。
  内容、方向的には別物ですけど。

ボク的解釈。ポイントに書いちゃってますね。補足で・・・

「心」でイメ-ジする、「想い」とかの内向的分野のみを想定するのは、一寸違う気がします。
五感+思考で、「外界の」世界と繋がり一体化している状態が、普通です。
てか、それしか「通常」出来ません。

そこに、分析やら思い込みを加えない状態のことかなあと。

また、「心」の代わりに「脳神経系」と言っても違う気がします。

「漠然とした不安」とか「何となく嫌な予感」とか。

最終的に脳も関係するんでしょうが、ホメオスタシス、自律神経系の影響や
それ以外の未解明な要素、或は組合わせによる、曖昧模糊とした「認識モドキ」の可能性もあり、
分析的明確的であるが故、「脳」というとズレる気がします。




やっぱりAIかも

2019-08-27 12:31:31 | 日記
自国のことで手一杯、そんな感じだったG7。
どこも大変そうですもんね。

国家は、合理的な打算的関心から結合する人工的集合体の「市民社会」の利益目的の関係より成る。
当然、利己主義と弱肉強食の原理が支配する「人倫の喪失態」であると。

やがて、「富裕の過剰」と「貧困の過剰」という矛盾が現前した時、
アウフヘーベンとして上位種「国家」が誕生する。

「市民社会」的国家において相反していた個々人が、理性により弁証法的に止揚され乗り越えられる。
1、民族的由来と伝統
2、議会による世論が法律制定に反映される機構
3、公共福祉の実現を図る政府
以上を備え、理性によって運用される。

しかし「市民社会的国家」を否定するものではない。
各個人の自発性を促し各人の発展を刺激する共同体であるべきだからである。
・・・だったかな?

本日お誕生日の、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリ-ドリヒ・ヘーゲルさんのお言葉。
(誤謬があったらすみません。)

実際、今の世の中どうでしょうか。これからそうなる可能性はあるのかな?

あっ、国家の機構や内容ではなく、「理性による運用」ってとこです。




無門関チャレンジ29

2019-08-26 11:39:29 | 日記
1月以来の1ドル104円後半とか。
米の対中関税第4弾発動時には、まさかの100円ごえあるかも。「非風非幡」

僧が2人、幡が揺れているのを見て
「あれは幡が動いている」「いや、風が動いている」と争ってどちらも引かない。
それを聞いた六祖。
「あれは、風が動くのでもなく旗が動くのでもない。あなた方の心が動いているのです。」

ポイント
1、互いの依存、限定によって相を成しているだけですので、どちらの効用かと考えること自体、
  偏見に心が動かされているということでしょうか。
2、評唱に「実は、風、幡、心が動いているのではない。六祖の言わんとする本当の処はなにか」
  とありますので、これを解釈とします。

ボク的解釈。「あるようにしてある」それだけと云う事かと。

さて、「風、幡、心」とは何でしょう。
いずれも、特徴をピックアップした「言葉」であり「概念」です。当然、実態ではなく本質でもない。

例えば「雨が降って濡れた。」そのままのことで、解釈、分析する必要もない。

知らないことは甚だ多く、サンプル抽出に主観を除く事は困難で、
尚且つ、統計的確率的にしか表現できないのですから。

恐いのは、凡そ確率的な「現象」のはずなのに、言葉によって絶対視し兼ねない、
・・・「心」が動くことかと。