昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

選挙と晴明桔梗紋

2021-10-31 09:52:51 | 日記
本日衆院選で、安倍晴明の1016回忌でもあります。

星型である晴明桔梗を一筆書きで書けば、5つの頂点は書き順通りに相剋(相手に勝ち抑え込む)陰の関係にあり、
各頂点を時計回りに円で囲えば、相生(相手を産み育む)陽の関係を現すのが陰陽五行説の基本とか。

自らを支援するものだけでなく敵対するものがいて始めて、バランス良く循環するという東洋的思想には共感が持てます。

さて、どういう結果が出るのか。

発酵と腐敗

2021-10-30 08:37:43 | 日記
そういえばお客様から、嫌気的発酵コーヒーの取り扱い尋ねられてたなあと思いだし、ブラジルフルッタメルカドンでも発注してみようかどうしようか考えています。酵母も使用方法も企業秘密なんで、たぶんそうだろうという憶測にすぎないので。

嫌気(酸素を必要としない)発酵といえば、生物が有機体を代謝して「エネルギー通貨」アデノシン3リン酸(ATP)を形成、NADだかを酸化させる行程を想像される方も多いでしょうが、コーヒーの発酵といえば一般的に、精製過程で実を剝いた後に残る粘々したミューシレージを酵母で取り除くことを言います。実はこの際、コーヒーの香りに影響を与えるコトがわかってきて様々な挑戦がされているわけですが、この場合、発酵は好気も嫌気どちらもありだと思うんで、ちょっと悩みます。

ところで同じ反応にも関わらず、発酵とは呼ばれないのが腐敗。ヒトにとって良いか悪いかの違いです。人である僕にとってはその線引きもありですが、スピノザ「エチカ」で触れていた気がする「牛と馬は解剖すれば違うが、競走馬、野生馬より農耕牛は農耕馬に近い」という主張を思い出しました。

主体を作用が規定するという龍樹以来の大乗仏教系縁起(=空)とも通じているようでちょっと違う、エゴについてまで考えるようになったので、今日はおしまい。

汚れっちまった

2021-10-29 09:58:48 | 日記
この国ではコロナによる様々な規制も徐々に解除へと向かい、やや変化しそうだとは言え日常へと戻りつつあります。が、物価高。ガソリンいれてびっくりしちゃいました。表面上の数字を取り繕う公のデータや輸出をメインにする企業群、為替差益で恩恵を被る方々には素晴らしい行き過ぎた?円安も、一般人にとっては必ずしも。

ため息交じりに一難去ってまた一難と呟いて、さて、もうひと辛抱です。

通路のツワブキが一斉に黄色の花を咲かせだしました。海辺の岩場、日陰で生息するため「謙虚」「困難に耐える」などの花言葉があるそうです。
それで「ボクも頑張ろう!」と思えるほど、ピュアじゃない捻くれたオッサンに成っちまいました。






存在理由

2021-10-27 09:06:42 | 日記
起き掛けに第一曲「雲」を聴いてきました。1901年の今日初演されたドビュッシー「夜想曲」は、ホイッスラー「黒と金のノクターン(図)」若しくはもう一点の絵画か耽美主義時代の英スウィンバーンの詩「ノクチュアル」から着想を得たといわれている話は、既にブログネタの2番煎じで恐縮であります。

耽美主義とは道徳や功利性を廃し、美の享受と形成に最高の価値を見出すものだそうで、スウィンバーンの絵画評に「この絵(A.Jムーア『アザレア』か?)の意味は美そのもの。存在することだけがレーゾンデートル(存在理由)だ」とあるとか。

美ですか。

耽美主義だけに留まらず、存在理由なんてものは別に本質的にあるわけではなく勝手に作るものだと思いますので、極端な話、ここにただ自分が要ると思えば、それだけで条件クリアじゃないかと。

そして、例え自分でそう思えなくても、誰か1人(匹、個、台等)でも居てほしいと思うモノがいるなら、それが存在理由になると思います。

浅はか

2021-10-26 09:34:54 | 日記
昨日の昼過ぎの話。

2~3日前から、店舗裏庭に面する倉庫に滞在していたオンブバッタのメス(オスは既に単独でチェックアウトした模様)が出ていけるように、営業中はドアを開け放していたのですが、一向に出ていくそぶりも無し。

まあいいかと思っていたところ、バッタの留まる壁面の下方にイエグモが迫ってきているのを発見。咄嗟にバッタを捕らえ外に逃がしちゃいました・・・自然の営みには関与しないようにしていたのですが、イエグモには悪い事しちゃいました。

その後天気は下り坂で結構な雨の中、バッタも生きながらえたかどうか。天候を察知して倉庫内に留まっていたかもしれないのに。

己の心の弱さと浅はかさに、忸怩たる思いです。

この反射的にとった行動に対する杞憂は、結果(バッタの死、産卵成功or失敗、クモの餓死等)が決まって始めて、ある意味原因の1つになりうるものであり、全てぼくの物語に過ぎないこともわかってもいますけど。