「よくご存じないようだったから丁寧に説明してあげたのに、ちょっと嫌な顔された。知力って何なんだろうね」と、中々哲学的なご質問。
ウーンと考えて、材料と彫刻じゃないですかと。
引き合いに出したのが漱石「夢十夜」第六夜。鎌倉時代から明治まで何故か生きている運慶が仁王像を彫っていて、「木の中に仏像が埋まっている」と小耳に挟んだ漱石が自宅の薪を割ってみたけれど、仏像は埋まっていなかったという話。
材料は知識で、収集した木材つまり加算、量。彫刻は知恵で、削り加工する減算、質。両方合わせて知力かな。
学校や本などで得るのは主として材料の収集「知識」であって、現実に如何に対処するかという「知恵」は、もう一つの知力でしょう。
材料はたくさんあってもいいですが、多機能スマホにように各個人のキャパによっては、ほぼ使わない機能も多いかも。例えば新ダイアリー購入時、3色の選択には対応できるが、10色位になると決められず、結局現在使用中と同色を選択することが多いという実験があった気がします。
今自分が持っている材料を、どう自分で彫刻するか・・・学びなおしが奨励されそれはそれでいいとして、個人的には乗っかる気はありません。
各種木造仏やミロのビーナス、ラオコーン、アポロン像を始めとする大理石の彫刻の素晴らしさ。本質的に、生きて行く為の材料と手段は既に自らとその周囲にあるはずかと。
それでも・・・例えば紀元前2600年頃のシュメル・ウル王墓から出土した「聖樹と牡山羊」(題図)は、木組みを芯としピッチ(タール等)で丸みをつけ、金、銀、ラピスラズリ、貝殻で覆うという複数材質材料の組合せ、融合を施してあり、これは知識と知恵の融合の1例と捉えることも出来ましょう。
結局、時代や主観の嗜好の問題と、常に変化する状況による量と質のバランスの調整という、いつもの答えに帰結するのですが。
いくら美味い!と評判でも、苦手なものを大量に食べさせられるのは苦痛でしょうし。
ウーンと考えて、材料と彫刻じゃないですかと。
引き合いに出したのが漱石「夢十夜」第六夜。鎌倉時代から明治まで何故か生きている運慶が仁王像を彫っていて、「木の中に仏像が埋まっている」と小耳に挟んだ漱石が自宅の薪を割ってみたけれど、仏像は埋まっていなかったという話。
材料は知識で、収集した木材つまり加算、量。彫刻は知恵で、削り加工する減算、質。両方合わせて知力かな。
学校や本などで得るのは主として材料の収集「知識」であって、現実に如何に対処するかという「知恵」は、もう一つの知力でしょう。
材料はたくさんあってもいいですが、多機能スマホにように各個人のキャパによっては、ほぼ使わない機能も多いかも。例えば新ダイアリー購入時、3色の選択には対応できるが、10色位になると決められず、結局現在使用中と同色を選択することが多いという実験があった気がします。
今自分が持っている材料を、どう自分で彫刻するか・・・学びなおしが奨励されそれはそれでいいとして、個人的には乗っかる気はありません。
各種木造仏やミロのビーナス、ラオコーン、アポロン像を始めとする大理石の彫刻の素晴らしさ。本質的に、生きて行く為の材料と手段は既に自らとその周囲にあるはずかと。
それでも・・・例えば紀元前2600年頃のシュメル・ウル王墓から出土した「聖樹と牡山羊」(題図)は、木組みを芯としピッチ(タール等)で丸みをつけ、金、銀、ラピスラズリ、貝殻で覆うという複数材質材料の組合せ、融合を施してあり、これは知識と知恵の融合の1例と捉えることも出来ましょう。
結局、時代や主観の嗜好の問題と、常に変化する状況による量と質のバランスの調整という、いつもの答えに帰結するのですが。
いくら美味い!と評判でも、苦手なものを大量に食べさせられるのは苦痛でしょうし。
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