ボクが動物、鳥、昆虫などのペットを飼うことに難色を示した理由はいろいろありますが、本質的に、自然に生き自然に死す本来の姿を人為的に制御することに抵抗があったからかと。liberty,仏語でliberte,制約からの解放。これに該当する独語は有りません。古来東洋(中国)では、ある意味同様に勝手気ままを指していたようですが、仏語に反して多分にネガティブな意味合いを含んでいたとか(根拠調べるのめんどくさいんで今日はスルー)。
雲が自在にその形を変え、のんびり空に浮くさまを自由に例える事があります。実際は風などの外的要因によって支配されているにすぎません。freedom.独語でfreiheit.制約内での思想、精神的に捕らわれることのない自由。これに該当する仏語は有りません。
独語、仏語、中国語とも現在はどの意味も含んで「自由」という単語は使われていますが、民族としてのアイデンティティの底流にはその本質的な違いが存在するのかもしれません。
LGBT法が可決されようとしています。他者との違いを認め合い、容認、尊重するのは大いに賛成ですが、それは苦しい軋轢の中で適正な距離を測りながら、徐々に互いの努力、理解しようという萌芽の形成を経て日常の中で形成されるのが望ましい姿だと考えます。それができないからの法制化である側面は判らないのではないのですが、「見えるところだけ綺麗にする」法制化は、返って問題の拗れ、深層化を招く可能性が高く反対であります。
それはこの国でも行われた戦時中の思想統制と同質であり、その法制化はliberte,freiheit、自由の何れもの剝奪行為でもあると考えます。難しい事はボクにはわかりませんが、拙い表現の中から真意をお汲み取り頂きリベラル方々にそれが好ましいかどうかご判断いただけると幸いです。
それとも無知なボクが知らないだけでリベラルの意は、暴力と同効力を持つ互換可能な強制的威圧思考を指すようになったのでしょうか・・・これは勇み足でした、すみません。
雲が自在にその形を変え、のんびり空に浮くさまを自由に例える事があります。実際は風などの外的要因によって支配されているにすぎません。freedom.独語でfreiheit.制約内での思想、精神的に捕らわれることのない自由。これに該当する仏語は有りません。
独語、仏語、中国語とも現在はどの意味も含んで「自由」という単語は使われていますが、民族としてのアイデンティティの底流にはその本質的な違いが存在するのかもしれません。
LGBT法が可決されようとしています。他者との違いを認め合い、容認、尊重するのは大いに賛成ですが、それは苦しい軋轢の中で適正な距離を測りながら、徐々に互いの努力、理解しようという萌芽の形成を経て日常の中で形成されるのが望ましい姿だと考えます。それができないからの法制化である側面は判らないのではないのですが、「見えるところだけ綺麗にする」法制化は、返って問題の拗れ、深層化を招く可能性が高く反対であります。
それはこの国でも行われた戦時中の思想統制と同質であり、その法制化はliberte,freiheit、自由の何れもの剝奪行為でもあると考えます。難しい事はボクにはわかりませんが、拙い表現の中から真意をお汲み取り頂きリベラル方々にそれが好ましいかどうかご判断いただけると幸いです。
それとも無知なボクが知らないだけでリベラルの意は、暴力と同効力を持つ互換可能な強制的威圧思考を指すようになったのでしょうか・・・これは勇み足でした、すみません。