昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

自由

2023-05-31 07:42:30 | 日記
ボクが動物、鳥、昆虫などのペットを飼うことに難色を示した理由はいろいろありますが、本質的に、自然に生き自然に死す本来の姿を人為的に制御することに抵抗があったからかと。liberty,仏語でliberte,制約からの解放。これに該当する独語は有りません。古来東洋(中国)では、ある意味同様に勝手気ままを指していたようですが、仏語に反して多分にネガティブな意味合いを含んでいたとか(根拠調べるのめんどくさいんで今日はスルー)。

雲が自在にその形を変え、のんびり空に浮くさまを自由に例える事があります。実際は風などの外的要因によって支配されているにすぎません。freedom.独語でfreiheit.制約内での思想、精神的に捕らわれることのない自由。これに該当する仏語は有りません。

独語、仏語、中国語とも現在はどの意味も含んで「自由」という単語は使われていますが、民族としてのアイデンティティの底流にはその本質的な違いが存在するのかもしれません。

LGBT法が可決されようとしています。他者との違いを認め合い、容認、尊重するのは大いに賛成ですが、それは苦しい軋轢の中で適正な距離を測りながら、徐々に互いの努力、理解しようという萌芽の形成を経て日常の中で形成されるのが望ましい姿だと考えます。それができないからの法制化である側面は判らないのではないのですが、「見えるところだけ綺麗にする」法制化は、返って問題の拗れ、深層化を招く可能性が高く反対であります。

それはこの国でも行われた戦時中の思想統制と同質であり、その法制化はliberte,freiheit、自由の何れもの剝奪行為でもあると考えます。難しい事はボクにはわかりませんが、拙い表現の中から真意をお汲み取り頂きリベラル方々にそれが好ましいかどうかご判断いただけると幸いです。

それとも無知なボクが知らないだけでリベラルの意は、暴力と同効力を持つ互換可能な強制的威圧思考を指すようになったのでしょうか・・・これは勇み足でした、すみません。

むかしむかし、あるところに。

2023-05-30 07:31:38 | 日記
フランドル(ベルギー北部)アントウェルペン大聖堂にある、本日命日のルーベンスがオランダとの80年戦争休戦協定時に描いたキリスト昇架とキリスト降架(図)。フランダースの犬のラストで、ネロが凍死直前観た(幻視した?)憧れの絵画です。

どちらも当時の法や常識、社会システムにはじかれた者の死の描写ですが、生物にとって本能的に忌避される死というインパクトを伴い、特定の意味づけをされれば、強大な宗教や感動的物語になります。

日経平均がバブル崩壊期以降の最高値を更新したとか。円安を背景とした収支も以前のような輸出に有利といった側面は影を潜め、第一次所得収支(債務債権等投資の収支)に軸足を移したようです。現実的物品取引の仲介役から、それ自身が価値を持つ部分の方が中心的性質となった貨幣。

無いものを有ると信じ現実的に効用を及ぼす人の特性は、この時代でも未だ現役バリバリで、呪い占いや宗教の類はかなりの効力を発揮できる環境にあるなあと。いくつかの新興宗教問題も表面化してましたし。

勿論銃や核兵器と同じで道具ですから、それ自体に善悪、良し悪し(これも意味付け)などありません。全てそれを使用する(しない)者の質(定性と程々性)に集約すると考えます。

「過ぎたるは及ばぬが如し」とは言いますが「過ぎる」基準が変われば、それは有りなわけで。さてどうなりますか。

ななつのこ

2023-05-29 07:55:49 | 日記
かーらす、なぜ鳴くの。ドリフや名探偵コナンでも使われ、幅広い世代に知られている童謡七つの子。カラスの鳴く理由をめぐって昔から様々な説があります。

子が7羽、いやいや7歳でしょ、7か所の巣って意味じゃないの?、バカだな~7つは単に数の多さを示しているだけだよ。確か決着はついていません。

個人的には幼児の死亡率が高かった時代、どうなっちゃうかわからない、まだこの世にいると言い切れない「7歳までは神の内」の小さな子への切ない想いかなと思ってます。

シャボン玉、赤い靴。何れも解釈にいくつかの説がある3代童謡詩人の一人野口雨情の誕生日。彼は理屈で歌詞を分析することを良しとしなかった気がします。

ただ浸ります。

どうして日本は太平洋戦争に参加したか

2023-05-27 07:45:44 | 日記
「それは軍部と政府が国民を先導し暴走したからだ!」というお客様のご意見に対し、グッと飲み込んだのは、街路樹のセイヨウトチノキですよ、という答え。とある公案のパクリです。煙に巻かれたと思われたくなかったからです。そして例えば、意図、非意図。

既に過ぎ去った記憶や資料、伝聞を基に構成された物語に過ぎない過去も、未だ起こっていない推測、空想に過ぎない未来も、今この現在、この瞬間にしか存在しません。出来るだけ「真実」に近付けたければ、眼前にあるものを帰着、結果としなければならないかと。

そして原因は、結果が決まって初めて原因として収束します。リンゴが収穫できたのは種を蒔いたからですが、種を蒔いたら必ずしも収穫できるわけではないのです。様々な要因が変化し関係しあい結実します。

責任の所在を、軍部、民衆、世界情勢等々に求めることは可能でしょう。勿論その各因子を排除すれば展開は変わるかもしれません。しかし、原因を1点に集約する行為は、責任の押し付けスケープゴート、生贄に過ぎないと思います。インテリな方々が鼻で笑われる呪いの類、手の施しようのない物に対し、名を与え形態をあてがい、対処可能な形にしてそれを排除することで払う憑きモノオトシの作法と大差ないかと。

形式化、方程式化の一種ですから、それで穢れを払い、禊ぎが済むこともありますが。

過去の様々な出来事の結果はすべて今この瞬間であり、こう言っている瞬間に過去になって、永遠に真の結果、実態をつかむことはできませんし、それが決まらない以上、原因など決まるはずもなく。ただ、物語としてある部分を抜き出しその虚構を実態視して仮の結果、原因を想定しているに過ぎない。

選択するのは構わないですが、それが絶対だと思うのは危険だと考えます。