覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

大和と寿の週

2016年01月12日 18時50分54秒 | Weblog

 終わってからすっかり忘れていた、と悔いるレースはある。

 お正月ともなると、来るべきシーズン全体への眺望、展望で大局に立とうと逸り、ありゃ!と思うこの日その週の固有、特有を失念しがちにもなる。


 この3日間開催。

   1月 9日 京都10R 寿ステークス 
   1月11日 京都11R 大和ステークス  


 この2つだけ、取り出し、凝視してみれば、直ぐ思い当たったはずだ。レース後もボウイに頭を占められ、もっと親しみを抱いていた方の訃報のレース反映を通り過ごしてしまった。


   2015年2月21日  坂東三津五郎さん(歌舞伎役者) 死去    


 昨年のフェブラリー前日だった記憶はあるが、実は

     本名  守田寿  もりた ひさし   最初の奥様  寿ひずる   2番目奥様  近藤サト
     屋号  大和屋   

 揃っており、先週のネタだった。本来、正月2日には幕が開き、お正月興行でお忙しい筈の人気立ち役が向こうから舞台を凝視する有様。しかも親友・勘三郎と並んで、である。

 わたくしはある折、国立劇場のジェントルマンズルームで出会い、あれ!三津五郎さんではと思い、が、意外に背がお小さく、人違いとも思ったが、やはり三津五郎さんだった。幕が開くと、1F最後方のお席から舞台を見守っておられた。後輩、弟子筋の御出演があったのだろう。逆に、舞台で小柄だと思ったことは一度も無い。八十助時代の若い頃、不気味な程、故・市川雷蔵さんに生き写し。楽屋では幾度も相識の方が恐怖さえ覚える程だったと云う。「母とはお友達同士でしたが、間違いは無かったと思います」と語っておられたことも思い出す。


 わたくしは、大和のレースで、同じく大和屋・坂東玉三郎(本名・守田伸一)ばかり、思い出していた。無論見るべきは

     森田(もりた)直行 厩舎      伊藤伸一 厩舎 

 この2つと見た。



 確かに、

    1月 9日(土) 中山 3R メイクデビュー中山

    1枠 1番 ソロダンサー                     1番人気   1着  
    1枠 2番 アロットメント       伊藤伸一厩舎    16番人気 


 これは、伸一のソロダンサー、即ち独り立ちし、ソロで舞を披露できる名人クラス、人間国宝・玉三郎写しの枠の優勝で、2着枠には コマチ(小町)馬 も寄り添い、見事な玉三郎写し。


 そして、


   1月10日(日) 京都 7R 

   1着 7枠11番 コスモボアソルテ     三津谷隼人騎手     8番人気 
   2着 5枠 6番 スマイルフォース     森田直行厩舎      12番人気 

 
 わたくしが2つある 6番 スマイル馬 これに注目しゲットしたレースだが、荒れた。

   枠連 5-7  7070円    馬連 62370円    馬単 105250円  


 モリタさんと三津谷騎手  = 三津五郎 (本名 モリタ 寿)  映し出しで間違い無い。

 現役の人間国宝玉三郎は1番人気枠。訃報翌年の 寿 大和 のレースの週の三津五郎さん追悼は高配当


 土曜京都5R サトノマイヒメ  月曜中山 成田特別 の サトノセレリティ などの発射も、2番目奥様、サトさんに発していると見ることも出来る。


 実は決して歌舞伎界では大きな家系、大名跡の家柄ではなかったが、熟成を経、精進の甲斐あって、三津五郎さんには次々に大役が回ってくるようになった。正しく、看板立ち役のお一人だった。ボウイも69歳の若さだったが、三津五郎さんは59歳。膵臓癌での早過ぎる死去だった。


 寿 大和 のこの先週、とどめは 日月続けての


      お弔いの 黒い2枠ダイワ(大和)馬   発射   

      月曜 フェアリー での ダイワ(大和)枠同士 の 枠連 2-3  成就  


 これだった。大和ステークスの週、またその当日、ダイワの馬が乱射するのは、ある節度の中で十分考えられ、良い。が、これ程までに発射が続くと、異様に、何故


    お正月第2週目の中央競馬   大和 への固執    


 この意味は格別なものが込められていたことを銘記すべきである。追悼・大和の兄さん。
 
 歌舞伎を観られない方でも、『武士の一分』でのキムタクの敵役の侍。無類の城好きで、日本の名城をめぐる番組での楽しそうな出演ぶり。華麗な女性関係など、一般にも知られ、親しまれたお人柄だった。本当に、勘三郎を追いかけて逝った気がする。

 

  三津五郎さん、御本名・寿(ひさし)さんのレース、


    1月 9日(土) 京都 9R 寿ステークス  

    1着 1枠 1番 ロングリバイバル     =  長期の復活  
    2着 8枠11番 シホウ            =  至宝


     枠連 1-8  2030円   馬連 6630円  


 お正月の賀の祝意のレースで、長くリバイバル(復活)するとは、一体何が? また至宝とは何か、誰を指すのか。

 わたくしとてレース直後、意味が分からなかった。


 50代の梨園の兄さん。まだまだ若手である。まだ先にずっと輝かしく、感動の舞台が待っていたはずだ。


    大和屋~ ! 


 忘れ難い名演、舞台は長く、記憶にとどまる。思い出の名役者だった。馬が送った。



 


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ボウイ母の名

2016年01月12日 09時02分06秒 | Weblog

 余りにも恐ろしい。

 いや、頭を冷やし、状況、起きた事実を思いめぐらせば、向こう=JRA演出側が、情報に早く(恐らく事前にメディアが報ずる内容を概ねチェックできる立場にあるのだろう)、これを冷徹にレース結果に反映させた。いつものただそれだけとも考えられる。

    2016年1月8日   69歳 誕生日 
          1月10日  死去 


 こう伝えられた、デヴィッド・ボウイ だが、2000年の著名雑誌が行ったミュージシャン対象のアンケートでは

    20世紀で最も影響力のあるアーティスト  

 この第1位に選ばれるほどだから、戦メリでしか知らない向きは、想像もつかない程、偉大なアーティストと呼べるだろう。この人物は1972年に出したアルバムに沿って、架空のロックスターを名乗り、これを別名として活躍を続けた。この別名が ジギースターダスト である。以下は、架空ではなく、JRAの戦歴に残っている事実である。


    競走馬  ジギースターダスト     鈴木勝美厩舎  2006年6月~07年6月 5戦未勝利 


 馬主・牧畠さんがボウイを知らなかったとは言わせないぜ。唖然とするのは


       ジョリーズヘイロー     
       フェアリーウィナー     


 しばし、1分程度は、わたくしとてこの事実にこころ沈黙した。

 デヴィッド・ボウイ死去の翌日の、日本のフェアリーステークス。ボウイの別名 ジギースターダスト が母「フェアリーの勝者」を持つ以上、向こう(JRA演出側)も、これを無視できず、逆にこれを利用し、これに沿った演出を案出し、急遽現場に命じ、演じせしめた、と云う、要は中枢が正当に機能した、昨日の結末だったと考えられる。


 ボウイ最期に偶然合致した、日本の 第32回 フェアリーステークス 使われたのは、別名ジギースターダスト最後のレースだった。


    2007年6月16日(土) 福島 3R   

    1着 4枠 7番 サトノアマゾネス      田中勝春   藤沢和雄
    2着 4枠 8番 ジューシー          吉田隼人   堀井雅広 
     ・
     ・  
     
   16着 3枠 6番 ジギースターダスト    土谷智紀   鈴木勝美  
         (16頭) 

 ジギースターダスト最後のレースは 3枠6番 最下位

 そして、このレースの 枠連 4-4 7番8番 の意味。これを取り上げる必然性。昨日情報をお読み頂いた方々には、改めて御説明の必要は無い。
 

 上記レースが想定されていた証には、このレースとフェアリーの枠順上の合致  

     4枠 8番 ジューシー         吉田隼人 
     4枠 8番 フジマサアクトレス     吉田隼人


 向こうは、この訃報と重なった フェアリーウィナー の息子ジギースターダスト最後のレースの最下位位置 3枠6番 これこそ


    昨日 フェアリーS  優勝  3枠 6番 ビービーバーレル    石橋脩  


 このジョッキーも生涯初重賞が、この 2006年 フェアリーステークス だったジョッキーである。
 オルフェーヴル馬群のままで悲鳴の上がった、2012年 天皇賞・春 の ビートブラック 以来久々の重賞だったが、当然、このジョッキーの大輪のタイトルも


    ビートブラック    石橋脩   

      ビート武さん    映画 『戦場のメリークリスマス』 で共演 
      ブラック      死去2日前発売、ボウイ最後のアルバム 『ブラックスター』 


 揃え、選び出された追悼役ジョッキーだった。一体、向こう様は何時、訃報あるいは死去間近を知り、この出馬表を造型したのか!


 ジャック・セリアズ少佐から前記事で申し上げた プリンセスジャック だが、この馬はデビュー勝ちしており、そのレースは

  
    2012年8月18日(土) 札幌 5R 

    1着 6枠 7番 プリンセスジャック        四位   加用正   
    2着 5枠 6番 ラストタキオン          藤田   矢作  


 これが、死去当日のメイン 第50回 シンザン記念 馬番 6番7番  何故、これと一致するのか。

 利用された偶然か、必然に見せられた演出だったのか。


 少々、興奮が収まらないと、わたくしもファンの夢想の中にしばし漂うばかり。


  

 もう一度、申し上げる。ボウイの別名ジギースターダスト 母 フェアリーステークスの勝者 その最後のレースの 3枠6番 がボウイの最期、訃報翌日の昨日、フェアリーステークスの優勝位置となった。

 明らかに、レースに併せて亡くなっている。



 もう1つ。『地球に落ちて来た男』 と云う映画もあるらしい。



 トウショウボーイ が 春の盾のビッグタイトルを手中にした テンポイント を一蹴した、1977年 第17回 塚記念 枠連 2-3 これが反復された フェアリーステークス である。

 ボウイ最初の日本CM出演は、意外にも1980年 酒造 焼酎「」 であり、楽曲「クリスタル・ジャパン」が使われ、本人も出演している。そう云えば、誕生日1月8日もちゃん(小泉元首相)と同じ。5歳年下。



 スーパースター 

 在英経験のあるわたくしには、向こうにはアイドルなど皆無、アーティストとスーパースターしか居ないことをよく承知している。


 芸も技も無いタレントがちゃらちゃらお茶の間番組に出て来て、お友達感覚でおバカ話に明け暮れている国。 
 お正月だと余計にこれを痛感したが・・・


 今年、昨日のフェアリーの正体。  ボウイ → ボーイ馬   この敷衍はまたあるに違いない。 



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