
今月5日に亡くなったアストラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」を聴いたのは、ラジオ番組「ミッドナイト・ジャズレポート」だ。55年以上も前になる。番組の提供はポリドール・レコードで、当時発売権を持っていたヴァーヴ・レーベルの新譜が毎週かかった。DJは成瀬麗子さんで、その艶っぽい声に悩殺された。後にアラン・ドロンの吹き替えで有名な野沢那智さんの奥様になる人だ。
ジョアン・ジルベルトの静かなギターと呟くようなポルトガル語のヴォーカルに続いて、アストラッドが英語詞で歌いだす。クールでアンニュイ、そして甘ったるい声と自然な歌唱に引き込まれた。それまでに聴いてきたコニー・フランシスやブレンダ・リー、ペギー・マーチとは違う。「大人の歌」とはこういうものかと漠然と思ったものだ。そしてスタン・ゲッツの煌めくソロ。ジャズを聴きはじめの耳には刺激が強い。思わず口ずさみたくなるメロディーと魅力的な歌声、起伏に富んだアドリブ、ボサノヴァを代表するナンバーに小生同様、虜になった少年少女は数知れずだろう。
ビルボード誌1964年のアルバム・チャートで2位に達する大ヒットの「Getz/Gilberto」だが、録音中のトラブルは有名だ。飛び入りで参加したアストラッドにギャラを出すなとゲッツが言う。一方、ジョアンはゲッツがボサ・ノヴァを正しく理解していないとポルトガル語で怒る。言葉が分からないゲッツが捲し立てる。修羅場のスタジオだが、結果的にはアメリカにボサ・ノヴァを広め、アストラッドを有名にした。性格の悪さが取り沙汰されるゲッツだが、62年にチャーリー・バードと組んで大ヒットした「Jazz Samba」の二匹目のどじょうを釣った商才は大したものだ。
匂いは懐かしい記憶を蘇らせるという。所謂プルースト効果だが、声も同じような利き目があるのではなかろうか。成瀬さんのハスキーな声は残念ながら聞けないが、アストラッドは55年前と同じ声で今でも聴けるのが嬉しい。「イパネマの娘」をかけて少年の頃を想いだすと少しばかり若返ったような気がする。ボサ・ノヴァの女王、アストラッド・ジルベルト。享年83歳。合掌。
ジョアン・ジルベルトの静かなギターと呟くようなポルトガル語のヴォーカルに続いて、アストラッドが英語詞で歌いだす。クールでアンニュイ、そして甘ったるい声と自然な歌唱に引き込まれた。それまでに聴いてきたコニー・フランシスやブレンダ・リー、ペギー・マーチとは違う。「大人の歌」とはこういうものかと漠然と思ったものだ。そしてスタン・ゲッツの煌めくソロ。ジャズを聴きはじめの耳には刺激が強い。思わず口ずさみたくなるメロディーと魅力的な歌声、起伏に富んだアドリブ、ボサノヴァを代表するナンバーに小生同様、虜になった少年少女は数知れずだろう。
ビルボード誌1964年のアルバム・チャートで2位に達する大ヒットの「Getz/Gilberto」だが、録音中のトラブルは有名だ。飛び入りで参加したアストラッドにギャラを出すなとゲッツが言う。一方、ジョアンはゲッツがボサ・ノヴァを正しく理解していないとポルトガル語で怒る。言葉が分からないゲッツが捲し立てる。修羅場のスタジオだが、結果的にはアメリカにボサ・ノヴァを広め、アストラッドを有名にした。性格の悪さが取り沙汰されるゲッツだが、62年にチャーリー・バードと組んで大ヒットした「Jazz Samba」の二匹目のどじょうを釣った商才は大したものだ。
匂いは懐かしい記憶を蘇らせるという。所謂プルースト効果だが、声も同じような利き目があるのではなかろうか。成瀬さんのハスキーな声は残念ながら聞けないが、アストラッドは55年前と同じ声で今でも聴けるのが嬉しい。「イパネマの娘」をかけて少年の頃を想いだすと少しばかり若返ったような気がする。ボサ・ノヴァの女王、アストラッド・ジルベルト。享年83歳。合掌。
ネタもなく生来の怠け癖から今週はアップしよう、来週こそ書こうと思いながら日が過ぎました。札幌円山のジャズ喫茶「GROOVY」のマスターから2ヶ月更新されていませんよ、と指摘され慌ててアップした次第です。
「GROOVY」のマスターはアストラッド・ジルベルトがジャズの入り口だったそうです。私はベンチャーズがジャズの扉を開くきっかけでしたが、アストラッドもよく聴きました。アストラッドがお好きな方は是非コメントをお寄せください。
Astrud Gilberto & Stan Getz - The Girl From Ipanema [4K]
https://www.youtube.com/watch?v=zIdYg3wy9kI
笑顔と結びつかないスタン・ゲッツの性格ですが、アドリブは凄い
60年代後半のヒッピースタイルが想像できない折り目正しいゲイリー・バートンです
アストラッド・ジルベルト、懐かしいですね。レコード・CDは2~3枚もっていすが、なんといっても「イパネマの娘」ですね。
僕が「イパネマの娘」をまず意識したのは、オスカー・ピーターソン・トリオの演奏です。軽いけど、こういうジャズもあるのかと、ボッサのリズムとそのポピュラリティにも驚きました。
そのあとで、本家のアストラッド・ジルベルトの歌、スタン・ゲッツの演奏を聴き、ジャズも間口が広いなと思ったのを昨日のように覚えています。学生時代のことでした。
近く、お目にかかれるのを楽しみにしています。
アストラッド・ジルベルトの訃報は新聞で知りました。先週「GROOVY」に行ったときに、まだ追悼していないと言ってベスト盤をかけてくれました。70歳を超えた爺さんが、ひと時少年に戻りましたよ。
多くのカバーがある「イパネマの娘」ですが、オスカー・ピーターソンは私もよく聴きました。私はナベサダの印象が強いですね。
デイ・バイ・デイでまた飲みましょう。楽しみにしております。
「ゲッツ・ジルベルト」にはハマってしまいましたね。クリード・テイラーが「イパネマの娘、これ、ポルトガル語もええけど、英語で誰か歌ってくれないか」…で、ジョアンの奥さんだったアストラッドの登場となったと聞いてるけど、まさかボサノヴァの女王になるなんて、ご本人が一番驚いたんじゃないかな。
1968年だったと思う。大阪フェスティバルホールのコンサートへ行きました。ところが時間が来ても幕が上がらない。司会者が「ただいま、アストラッドはまだホテルにいます。靴がないと云って探してるようです。しばらくお待ちください」会場の皆さん笑ってましたね。
ブラジルには、ナラ・レオンなど、ボサノヴァの先駆的シンガーがいたけど、なぜ、アストラッドが唯一のボサノヴァの女王になったのか?それは、あの、やや鼻にかかったクールな声とノンビブラートでしょうね。あんな声、ほかにないもんなあ。「メディテーション」など大好きだったけど、彼女が唄うスタンダードもとても良かったですね。合掌
ボサノヴァのシンガーは数多くいますが、アストラッド・ジルベルトがあまりにも有名で日本に紹介される機会は少ないようです。
クリード・テイラーは売り出すのが上手ですね。ボサノヴァもクロスオーバーもテイラーが仕掛けなかったら音楽の世界は寂しいものになっていたでしょう。
アストラッドの靴がない話は面白いですね。ステージ用の靴を忘れたのでしょうか。その昔カルメン・マキが「時には母のない子のように」を裸足で歌っていました。アストラッドが裸足で歌うなら「いそしぎ」でしょうか。エリザベス・テイラーが裸足で海辺を走るシーンは素敵でした。
「イパネマの娘」は多くのカバーがありますが、やはり本家のクールな声に限ります。