デビューアルバムを作るときにプロデューサーとプレイヤーが重点を置くのはメンバーと曲目、ごちらか?管楽器だとリズムセクションが重要になるだろうが、そのリズムセクションであるピアニストがリーダーならサポートするベースとドラムも勿論大事だが、最も重要視されるのは曲目ではなかろうか。カルテット以上の編成だとホーン奏者のソロも入り長尺の演奏になるため曲数は少なくてもすむが、ピアノトリオの場合、それぞれのソロパートも短いことにより曲数が多くなる。
そこで選曲が問題だ。オリジナル曲を数曲入れ、あとはスタンダードという構成が多く、特にデビュー作なら無難な選択といえる。自作曲は作曲家としての力量を示すものだし、その能力はアドリブ発展にも大きな意味を持つ。そしてスタンダードは、既存曲をいかに解釈するかでジャズ感覚やアイデア、閃き、さらには歌心をも問う。リスナーの立場からすると自作曲ばかり並んだデビュー作は聴くにも躊躇するが、耳慣れたテーマが収録されていると購買意欲を誘われ、他のプレイヤーと比較する尺度にもなる。過去の名演と比較するのは決して懸命な聴き方ではないが、比べることにより新しい発見もできるのだ。
1998年にデビュー作の型にはまらないアルバムで登場したのは、リヨン国立音楽学校で古典音楽を学んだピアニスト、フランク・アヴィタビレで、14曲中9曲がバド・パウエルの曲で占められている。バドの曲は一部を除いて他のプレイヤーが取り上げることはない。それはバドというピアニストと曲が一体になった芸術品であるがゆえの近寄り難さによるものだが、デビュー作で敢えて難題に挑んだアヴィタビレに拍手を送ろう。ミシェル・ペトルチアーニが見出した逸材だけあり、最近の新人ピアニストがそうであるようにテクニックは完璧で、バドを彷彿させる早弾きとバラードの間は完全にクラシックのフィールドを離れバップの語法といえる。
ジャズピアニストも毎年多くの新人がデビューしているものの将来に名を残すような大器は少ない。世代がそうさせるのだろうが、ハンコック、ジャレット、コリアからスタートする多くのピアニストが伸びないのは伝統を知らずに目先の音楽に流されているからである。今では時代遅れであっても、バップの伝統を踏まえないプレイヤーは、スランプに陥ったとき出口を見つけるのは容易ではないだろう。
そこで選曲が問題だ。オリジナル曲を数曲入れ、あとはスタンダードという構成が多く、特にデビュー作なら無難な選択といえる。自作曲は作曲家としての力量を示すものだし、その能力はアドリブ発展にも大きな意味を持つ。そしてスタンダードは、既存曲をいかに解釈するかでジャズ感覚やアイデア、閃き、さらには歌心をも問う。リスナーの立場からすると自作曲ばかり並んだデビュー作は聴くにも躊躇するが、耳慣れたテーマが収録されていると購買意欲を誘われ、他のプレイヤーと比較する尺度にもなる。過去の名演と比較するのは決して懸命な聴き方ではないが、比べることにより新しい発見もできるのだ。
1998年にデビュー作の型にはまらないアルバムで登場したのは、リヨン国立音楽学校で古典音楽を学んだピアニスト、フランク・アヴィタビレで、14曲中9曲がバド・パウエルの曲で占められている。バドの曲は一部を除いて他のプレイヤーが取り上げることはない。それはバドというピアニストと曲が一体になった芸術品であるがゆえの近寄り難さによるものだが、デビュー作で敢えて難題に挑んだアヴィタビレに拍手を送ろう。ミシェル・ペトルチアーニが見出した逸材だけあり、最近の新人ピアニストがそうであるようにテクニックは完璧で、バドを彷彿させる早弾きとバラードの間は完全にクラシックのフィールドを離れバップの語法といえる。
ジャズピアニストも毎年多くの新人がデビューしているものの将来に名を残すような大器は少ない。世代がそうさせるのだろうが、ハンコック、ジャレット、コリアからスタートする多くのピアニストが伸びないのは伝統を知らずに目先の音楽に流されているからである。今では時代遅れであっても、バップの伝統を踏まえないプレイヤーは、スランプに陥ったとき出口を見つけるのは容易ではないだろう。