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デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ブルーベックとゴルバチョフが握手した1987年に冷戦は終わった

2022-09-18 08:02:10 | Weblog
 1988年にコンコード・ジャズから出たレコードにデイブ・ブルーベックの「Moscow Night」がある。お持ちの方は裏ジャケットを見てほしい。ブルーベックと固い握手を交わすのは8月30日に亡くなったミハイル・ゴルバチョフ(当時ソビエト連邦共産党中央委員会書記長)である。その写真の中央には笑顔のレーガン大統領がいる。

 両国の関係緩和に向けソ連のトップが87年12月に訪米した時のショットだ。奇しくも同年3月にブルーベックがモスクワでコンサートを開いているので、ホワイトハウスの歓迎レセプションに招かれたのだろう。日本では「テイク・ファイブ」のヒット以外ほとんで知られていないが、本国ではキャンパスで多くのコンサートを開いて若者にジャズの魅力を伝えたピアニストだ。その評価と人気は100枚以上のリーダー作を発表していることからもうかがえる。政府関係者からみると麻薬問題もなくクリーンなイメージが一番なのかもしれない。

 コンサートはモスクワの「Rossiya Concert Hall」で開かれた。メンバーは77年に亡くなった盟友のポール・デスモンドに代わって加入したクラリネットのビル・スミス、ドラムはランディー・ジョーンズ、ベースは息子のクリス・ブルーベックだ。自作の「Three To Get Ready」、「Unsquare Dance」に続きアメリカを代表する「St. Louis Blues」。そして名刺代わりの「Take Five」だ。イントロから大きな拍手が沸く。本国は勿論、ヨーロッパ、日本、ソ連と世界中で愛される曲だ。音楽に国境はないことを証明している。

 90年にノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフは、偉大な指導者と讃えられる一方で、ロシア国内での評価は低いという。米国と並ぶ超大国を崩壊させ、国民生活に大混乱をもたらした張本人という否定的な見方が定着しているそうだが、対話により約半世紀に及んだ東西冷戦を終結に導いた功績は世界が評価している。享年91歳。合掌。

ポンセ投手のノーヒットノーランを見ていたらスティットの「Estrellita」が聴こえてきた

2022-09-04 07:17:17 | Weblog
 北海道日本ハムファイターズが札幌ドームを使用する最後の年にまさかノーヒットノーランを見れるとは思わなかった。8月27日の対福岡ソフトバンクホークス戦に登板したコディ・ポンセ投手だ。1回2死からデッドボールを与えたものもその後は尻上がりにコントロールが良くなり、バックもこれぞプロという華麗な守備で盛り立てた。

 さてポンセといえばメキシコの作曲家にマヌエル・ポンセがいる。ギター協奏曲「南の協奏曲」や「ロマンティックなソナタ」、「南国のソナチネ」で知られるが、ジャズファンにつとに有名な曲は「小さな星」の邦題が付いている「Estrellita」だろう。ヤッシャ・ハイフェッツの編曲でヴァイオリン曲として知られるこの美しいメロディーを1952年に取り上げたのはチャーリー・パーカーだ。数テイク残されているが、繊細なテーマの構築と大胆なアドリブに唸る。ストレートは大胆に、変化球は繊細に・・・まさにポンセ投手のピッチングのようだ。

 カバーはそれほど多くはないが、63年6月にソニー・スティットがインパルス盤「Now!」にアルトで吹き込んでいる。テンポはパーカーとほぼ同じでハンク・ジョーンズのトリオがバックのワンホーンだ。そして何を思ったか同年の12月に今度はプレスティッジ盤「Primitivo Soul!」でテナーに持ち替えて録音している。こちらはパーカーに倣ってコンガを入れたラテンタッチで、テンポはかなり遅い。先の録音に満足しなかったのか、曲に思い入れがあったのか、はたまた楽器選びにこだわったのか、今となっては分からないが、どちらもソロは素晴らしい。

 ファイターズが来季から北広島市の新球場に移るとドームはサッカーと僅かなイベントだけになる。8月30日の北海道新聞に来秋からドームで全道高校野球を開催すると載っていた。少しでも穴を埋めたいようだ。ファイターズがドームを見限った理由の一つに選手の足腰に負担のかかる人工芝がある。日没や天候の心配がないとはいえ発育盛りの高校生の怪我が心配だ。野球を知らないドーム関係者に呆れる。

グラチャン・モンカー3世にみるジャズ・トロンボーンの進化

2022-07-24 07:51:26 | Weblog
 6月3日にグラチャン・モンカー3世が亡くなっていたことを最近知った。「グレイシャン」や「グレシャン」と表記されることもあるが、1960年代にジャズの洗礼を受けた世代は「グラチャン」が馴染んでいるだろう。フリー・ジャズ系のトロンボーン奏者なので敬遠される方も多いが、ジャズ喫茶に通った人なら何度か聴いているはずだ。

 デビュー間もない1962年にベニー・ゴルソンのマーキュリー盤「Here and Now」と「Another Git Together」に参加している。ソロは少ないものの王道を行くスタイルだ。個性が際立ってきたのは翌63年のジャッキー・マクリーンの「One Step Beyond」と「Destination Out」だろうか。幾何学的でメリハリがある。そして初リーダー作「Evolution」。サイド参加したあとリーダー作を吹き込むブルーノート・スタイルなのだが、注目すべきは全曲オリジナルだ。デビュー作の場合スタンダードを数曲入れるのが習わしなのだが、アルバム全体を構築するだけの曲作りと演奏に自信があったのかもしれない。

 当時のブルーノート・オールスターズが並んでいる。マクリーンは先の2作品同様、ネオ・ハードバップというスタイルだ。リー・モーガンは「サイドワインダー」を発表する前で一段と輝いているし、ボビー・ハッチャーソンのミステリアスなヴァイブ音が不思議な世界を醸し出す。ボブ・クランショウの変幻自在のベースにトニー・ウィリアムスのシンバルが刺さる。そしてモンカー3世。アルバムタイトルの如くジャズ・トロンボーンとその後の新主流派というスタイルの「進化」をみるようだ。

 その「進化」はビーヴァー・ハリスと組んだ「360 Degrees Experience」や、カーラ・ブレイが中心となった「Jazz Composers Orchestra Association」につながる。グレン・ミラーやJ.J.ジョンソンのようにジャズ・トロンボーン史に名を遺す奏者ではないが、シーンに刺激を与えたことは間違いない。享年85歳。亡くなったその日は誕生日でもあった。合掌。 

ライオンがシュウィングする、ウルフが踊る、そして名盤が生まれた。

2022-04-24 08:17:53 | Weblog
 2018年制作の映画「ブルーノート・レコード ジャズを超えて」は翌年に上映されたので、同年にヴィム・ヴェンダースがプロデュースした「ブルーノート・ストーリー」も直ぐに観れるものと思っていたが、なかなか掛からない。タイトルも忘れかけていたが、ようやく当地で一日一回、一週間限定で上映の運びになった。そのせいか平日の夕方にもかかわらずやたらと混んでいる。

 前者はジャズ史上最高のレーベルの設立80周年を記念して作られたドキュメンタリーで、歴代アーティストや関係者たちの証言が中心だったが、後者は創設者のアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフにスポットを当てた作品だ。同レーベルについては多くの書籍やジャズ誌で度々紹介されているので、熱心なファンならジャズ常識かも知れないが、ハンコックやショーター、ゴルソン、ドナルドソンが語ると誇張されたり冗談交じりに喋るので活字とは違った味わいがあり面白い。

 お年を召されても綺麗なライオンの最初の妻ロレイン・ゴードンが証言者として出てくる。離婚した理由に涙がこぼれそうになった。二番目の奥方ルース・メイソンもインタビューに答えている。スリー・サウンズの「Moods」とは全くイメージが違うのに驚いたし、残念ながら「Cool Struttin'」の美脚は映らなかった。初めて知ったのはウルフの私生活である。亡くなるまで盟友のライオンでさえ知らなかったというから驚きだ。文献には載っていないので観てのお楽しみにしておこう。

 映画館を出たあと居酒屋で軽く腹ごしらえをして、馴染みのジャズバーに寄った。規制は解除されたというのにガランとしている。自宅に帰りオープニングに流れたリー・モーガンの「I Remember Clifford」を聴くのもいい。ブルーノートの名盤を棚から取り出して眺めるのもいい。が、素晴らしいジャズ映画を観た後はしばしジャズバーで余韻に浸りたいものだ。

プラダを着たアンドラ・デイが「All Of Me」を歌う

2022-03-13 08:10:05 | Weblog
 南部でのリンチを曲にした「奇妙な果実」。強い意志で人種差別を歌うビリー・ホリデイ。その歌詞を危険視したFBIは、歌うのを止めさせようとして麻薬使用で逮捕する。ビリーに扮したアンドラ・デイの歌唱力と演技力は見事なものだが、男運の悪さと薬物の悪癖ばかり強調され、シンガーとしての偉大さが描かれていないのは残念だ。

 ビリーの熱心なファンは観ない方がいい映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」である。リー・ダニエルズ監督は汚い手を使ってまでビリーを執拗に追い詰める連邦麻薬局長官のハリー・アンスリンガーにスポットを当てたかったのか?ケネディ大統領に表彰される彼の実際の映像まで出てくる。デーヴィッド・マーゴリックの研究本「ビリー・ホリデイと奇妙な果実」(大月書店刊)には、この曲を歌いだしたら逮捕されたことは事実として書かれているが、Anslingerの「A」も出てこない。   

 映画だから事実と違うのは仕方ないとしても、B級ポルノのようなシーンが多く、ビリーはセックス依存症と言いたげだ。歌唱ばかりか人生に於いても重要なレスター・ヤングが頻繁に出てくるが、「Lady And Pres」という肝胆相照らす仲に見えない。2019年のドキュメンタリー映画「BILLIE」に使われていた出所後のカーネギーホール・コンサートの賑わいや、多くのファンが見守るなか棺が担ぎ出されるフィルムを挟みリアル感を出そうとしているのだが、これが何とも陳腐でストーリーに一体感がないのだ。

 救いは所々に「All Of Me」が流れることだろう。エンドロールでプラダを着たアンドラがこのビリーが愛した曲を歌うシーンがあり、ユーモアもありニヤリとする。「奇妙な果実」はビリーが自伝のタイトルにするほどの重要な曲であるが、「All Of Me」こそ女としてのビリーに相応しいと思う。隣ではにかみながら吹くプレスを見つめるビリーは美しい。You took the best So why not take the rest Baby take all of me・・・


ファンキー・ジャンプの季節

2022-02-20 08:12:32 | Weblog

 ジャズ・ミュージシャンを目指す若者が世界を放浪する五木寛之著「青年は荒野をめざす」、白人の少年が黒人ばかりのジャズの現場に飛び込んだ時に感じる疎外感や孤独感を描いたナット・ヘントフ 著「ジャズ・カントリー」、チャーリー・パーカーの熱いアドリブがページを捲るたび聴こえてくるジャック・ケルアック著「地下街の人びと」・・・ 

 ジャズを聴き始めたころ読んだ小説である。なかでも今月1日に亡くなった石原慎太郎の「ファンキー・ジャンプ」は何度も読んだ。ブレイキーやガレスピーも絶賛したという日本人ジャズ・ピアニストという設定は身近に感じたし、麻薬中毒のミュージシャンはこの時代当たり前だっただけにドキュメンタリーを見るようだった。本物のビ・バップを追及する現実とヤクによる幻覚は詩的文体で書かれているのでより鮮明だ。守安祥太郎をモデルにしたという主人公が壮絶な演奏の果てに絶命する様は強烈である。

 小説の構成はホレス・シルバーのエピック盤「Silver's Blue」を下敷きにしたそうだ。JMから独立直後の録音で、フロントにドナルド・バードとハンク・モブレーを配したセッションと、ジョー・ゴードンとケニー・クラークが参加した録音が収められている。これから自らのバンドを引っ張っていくという意気込みが伝わってくるシルバーの力強い音は見逃せない。オリジナル曲はバップ・エッセンスが散りばめれていて楽しいし、「The Night Has A Thousand Eyes」の解釈は、この後何作もリリースするシルバー・バンドのスタイルの原型といえるだろう。

 JMの来日とともに日本でファンキー・ブームが起こり、今はなきスイングジャーナル誌が30万の部数を誇っていたのは60年代初頭である。小説が文芸雑誌「文學界」に掲載されたのは1959年8月のことだった。まだ国内盤も出ていない56年録音の「Silver's Blue」をいち早く聴いていたのは驚きだ。時代の寵児、石原慎太郎。享年89歳。合掌。

SWING 2022

2022-01-02 08:12:19 | Weblog
 明けましておめでとうございます。ここ数年、不定期更新ですが、昨年も多くのアクセスをいただきました。2006年にブログを開設してから、これまで639本の記事をアップしているとはいえ、目新しいものがないなか毎日皆様にご覧いただき感謝申し上げます。拙稿がきっかけでジャズの楽しさに触れていただいたならブログ冥利に尽きます。

 正月ですので福笑いをお楽しみください。中古レコード店に並んでいても何ら違和感のないジャケットですが、よくみると「The Jazz Crusaders」のメンバーが違います。私の右後ろは毎年ニヤリとするジャケットを作る鈴木由一さんです。太いベースラインは心地良いですね。左後ろはギタリストの志藤奨さんです。ソロでも歌伴でも閃きのあるフレーズで酔わせてくれます。そして、赤いマフラーが良く似合う佐々木慶一さん。ドラムという楽器を知り尽くし、その魅力を存分に引き出すバンドリーダーです。私が隠れ家にしているジャズスポット「DAY BY DAY」の素敵なメンバーです。

 パシフィック・ジャズから1961年にリリースされた「Freedom Sound」は、71年にグループ名を「The Crusaders」にしてフュージョン界を席巻した「The Jazz Crusaders」のデビュー盤です。トロンボーンのウェイン・ヘンダーソンとキーボードのジョー・サンプルが中心になって組んだバンドですが、まだフュージョンどころかクロスオーバーという言葉すらなかった時代からジャズを基本にあらゆる音楽を取り入れ幅を広げました。このアルバムに「栄光への脱出」が収められていますが、このスタイルが「既成概念からの脱出」」なのかもしれません。

 ジャズ喫茶で毎日リクエストがある大名盤から忘れられたB級盤、ジャズの歴史に埋もれてしまった前衛作品、不思議な魅力がある珍盤にマニア垂涎の貴重なレコードと、まだまだ話題にしたいアルバムがたくさんありますので、不定期ですがアップしようと思っています。次は何をかけようか、どれを買おうかと迷ったとき、ヒントになれば幸いです。

ドルフィーでジャズを覚えた瀬戸内寂聴さん

2021-11-21 08:15:46 | Weblog
 はじめてかけたのが・・・私は、全身震えを感じ、聴き終ったら涙を流していた。なるほど、音楽とはこういうものかと思った。・・・音楽が終ったあと、やさしい男の声が流れた。音は生れてすぎ去り、永久に捕えることが出来ないといっているようだった。私は自分が才能なく音楽に無縁で、一度印刷されたら、消すことの出来ない小説を書く仕事を選んだことが、不幸のように一瞬思った・・・

 今月9日に亡くなった瀬戸内寂聴さんが、ジャズ批評誌30号(1978年発行)の「私の好きな一枚のジャズ・レコード」に寄せた稿の一節である。その一枚とは・・・ここでは「ラスト・レコーディング」と書かれているが、エリック・ドルフィーの「Last Date」だ。「四十年も私は耳がありながらつんぼでいたのである(原文のまま)」と書かれているので、ジャズとの出会いは遅かったものの、最初に聴いたのが数万枚あるジャズ・アルバムの中でもベスト100に必ず選ばれる作品だったというのがジャズファンとして嬉しい。偶々つまらないものを聴いてしまうとそこでジャズとは縁がなくなる。

 性愛を通して人間の業を描いた作家がはじめてかけた時のようにそっとターンテーブルに乗せた。この時点で既にドルフィーが聴こえる。いや、正確に言うならば棚からジャケットを取り出した瞬間から演奏は始まっているのだ。1曲目のバスクラリネットのいななきに仰け反る。白眉は「You Don't Know What Love Is」だ。フルートソロのベストと言っていい。続く自作曲「Miss Ann」で最高の幕を下す。そして、「やさしい男の声」の「When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again」。知らず知らずのうちに涙があふれた。

 「もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、どうしたって危険な道、恐い道を歩かねばなりません。そういう道を求めて歩くのが、才能に賭ける人の心構えなのです」。瀬戸内さんの名言だ。まさにアメリカを諦め、ヨーロッパを活動の拠点にしようと決意した1964年のドルフィーである。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生きた作家・・・享年99歳。合掌。


モンクの友人、ユージン・スミスが録ったホットなジャズ、撮ったクールなフォト

2021-11-07 08:37:50 | Weblog
 ジョニー・デップがユージン・スミスに扮した映画「MINAMATA ミナマタ」が上映中だ。チッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影した写真で惨事を世界に伝えた様子が描かれている。スミスは戦場カメラマンとして活動した後、雑誌「LIFE」に掲載された数々の「フォトグラフィック・エッセイ」で有名になった写真家だ。

 この映画に合わせるかのように「ジャズ・ロフト」が封切られた。こちらは2015年に制作されたドキュメンタリーで、もし先の作品がなければ恐らく日本ではお蔵になっていただろう。スミスがマンハッタンのとあるロフトで夜な夜なジャムセッションが開かれているのを聞きつけ、ついには録音機材を持ち込み移り住む。部屋中に録音の配線を張り巡らす。一音も逃さないぞという意気込みで録った音はその時代の最先端のジャズである。ミュージシャンの喜怒哀楽を撮った写真は数千枚にも及ぶ。

 圧巻はセロニアス・モンクがオーケストラと共演した「タウン・ホール」のリハーサル風景だ。オーケストラといってもチューバとフレンチホルンは入っているもののサド・ジョーンズをはじめペッパー・アダムス、エディ・バート、フィル・ウッズ等、錚々たるメンバーが並ぶ。何といっても個性が強い面々をまとめるアレンジャーのホール・オヴァートンが凄い。「Little Rootie Tootie」は、1952年の「Thelonious Monk Trio」を聴き返してモンクとオヴァートンが議論を重ねる。名演が生まれる緊張感にワクワクした。

 映画ではスミスの撮影方法や暗室作業も紹介される。演奏中に撮る時は誰にも気づかれないようにシャッターを押す。言うなれば「刹那」を切り取った写真はジャズメンの内面をも映し出す。現像の技術は写真に無縁の素人もうなずく。黒と白のメリハリを出す瞬間は魔法を見るようだ。スミスの写真集を開いてみよう。メリハリのあるモンクが聴こえる。

ブルーのニットで「奇妙な果実」を歌うビリー・ホリデイに涙した

2021-09-26 08:00:13 | Weblog
 ビリー・ホリデイのドキュメンタリー「Billie ビリー」を観た。不世出のジャズ・シンガーに魅せられた女性ジャーナリスト、リンダ・リプナック・キュールが、関係者にインタビューしたテープを元に制作された作品だ。取材は1971年頃から10年間費やし、記録したカセットテープは125本にも及ぶという。紹介される証言はほんの一部にしか過ぎないが生々しい。

 インタビューに応じたのは共演したミュージシャンをはじめプロモーターのジョン・ハモンド、親族、彼女を逮捕した麻薬捜査官、刑務所の職員と多岐にわたる。ほとんどの証言は、ビリーの自伝「奇妙な果実」(晶文社刊)と合致する内容だが、なかには怪しい話もある。ビリーの死後10年以上経っているので記憶が曖昧な人もいれば、自分に都合悪いことは録音させない音楽関係者に、あたかも人種に偏見がないと誇張する白人ミュージシャンもいた。もしビリーが生きていたら言えないことばかりだ。

 印象強かったものをいくつか挙げておこう。敢えて証言者の名前は伏せるが、ビリーがベニー・グッドマンと録音した経緯は事実だとしたら驚きだ。「死んだ人のことは言えない」と断ったカーメン・マクレイに惚れ直した。歌唱シーンではお互い「Lady」、「President」と呼び合う仲のレスター・ヤングとの共演が素晴らしい。YouTubeに既に紹介されているのでご覧になった方も多いと思われるが、マル・ウォルドロンをバックに「奇妙な果実」を歌うシーンは感涙ものだ。今回カラー化され画像処理をしているので曲に込められた感情も見て取れる。

 この映画はビリーのドキュメンタリーであると同時に自殺に見せかけた他殺体で発見されたリンダの記録でもある。証言のなかには暴露されては困るものもあったようでリンダの妹によると脅迫もされたようだ。芸能界に巣食うギャングと麻薬の利権、そこに癒着する捜査官、更に人種差別、アメリカの深い闇を生きたビリーは最高のシンガーだ。