1988年にコンコード・ジャズから出たレコードにデイブ・ブルーベックの「Moscow Night」がある。お持ちの方は裏ジャケットを見てほしい。ブルーベックと固い握手を交わすのは8月30日に亡くなったミハイル・ゴルバチョフ(当時ソビエト連邦共産党中央委員会書記長)である。その写真の中央には笑顔のレーガン大統領がいる。
両国の関係緩和に向けソ連のトップが87年12月に訪米した時のショットだ。奇しくも同年3月にブルーベックがモスクワでコンサートを開いているので、ホワイトハウスの歓迎レセプションに招かれたのだろう。日本では「テイク・ファイブ」のヒット以外ほとんで知られていないが、本国ではキャンパスで多くのコンサートを開いて若者にジャズの魅力を伝えたピアニストだ。その評価と人気は100枚以上のリーダー作を発表していることからもうかがえる。政府関係者からみると麻薬問題もなくクリーンなイメージが一番なのかもしれない。
コンサートはモスクワの「Rossiya Concert Hall」で開かれた。メンバーは77年に亡くなった盟友のポール・デスモンドに代わって加入したクラリネットのビル・スミス、ドラムはランディー・ジョーンズ、ベースは息子のクリス・ブルーベックだ。自作の「Three To Get Ready」、「Unsquare Dance」に続きアメリカを代表する「St. Louis Blues」。そして名刺代わりの「Take Five」だ。イントロから大きな拍手が沸く。本国は勿論、ヨーロッパ、日本、ソ連と世界中で愛される曲だ。音楽に国境はないことを証明している。
90年にノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフは、偉大な指導者と讃えられる一方で、ロシア国内での評価は低いという。米国と並ぶ超大国を崩壊させ、国民生活に大混乱をもたらした張本人という否定的な見方が定着しているそうだが、対話により約半世紀に及んだ東西冷戦を終結に導いた功績は世界が評価している。享年91歳。合掌。
両国の関係緩和に向けソ連のトップが87年12月に訪米した時のショットだ。奇しくも同年3月にブルーベックがモスクワでコンサートを開いているので、ホワイトハウスの歓迎レセプションに招かれたのだろう。日本では「テイク・ファイブ」のヒット以外ほとんで知られていないが、本国ではキャンパスで多くのコンサートを開いて若者にジャズの魅力を伝えたピアニストだ。その評価と人気は100枚以上のリーダー作を発表していることからもうかがえる。政府関係者からみると麻薬問題もなくクリーンなイメージが一番なのかもしれない。
コンサートはモスクワの「Rossiya Concert Hall」で開かれた。メンバーは77年に亡くなった盟友のポール・デスモンドに代わって加入したクラリネットのビル・スミス、ドラムはランディー・ジョーンズ、ベースは息子のクリス・ブルーベックだ。自作の「Three To Get Ready」、「Unsquare Dance」に続きアメリカを代表する「St. Louis Blues」。そして名刺代わりの「Take Five」だ。イントロから大きな拍手が沸く。本国は勿論、ヨーロッパ、日本、ソ連と世界中で愛される曲だ。音楽に国境はないことを証明している。
90年にノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフは、偉大な指導者と讃えられる一方で、ロシア国内での評価は低いという。米国と並ぶ超大国を崩壊させ、国民生活に大混乱をもたらした張本人という否定的な見方が定着しているそうだが、対話により約半世紀に及んだ東西冷戦を終結に導いた功績は世界が評価している。享年91歳。合掌。