ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

恋歌と桜の季節

2008-03-20 17:01:29 | 
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

この世の中に全く桜というものが無かったならば、春を過ごす心はのどかであったろうにという古今和歌集の在原業平の有名な歌。
この季節ともなると、その歌が不意に脳裏をよぎる瞬間がある。
桜の開花を待ち焦がれる気持ちや、咲いたら咲いたで散ることへの愛惜を語ったものだが、桜を、「恋焦がれる人」と読み替えることも出来る。
そう、実は恋歌なのである。


「桜は強いんだね」

「なんで?」

「年に1回咲くためだけに生きている」

「それはどんなお花でも一緒でしょ?」

「いや。同じこの場所で何百年も生きてるんだ」
「回りが変わっても、自分はこの位置から動かない」
「そして、毎年同じ時期にここでこんなにきれいに花を咲かせる」
「これは並大抵のことじゃあない」

「なんか変。桜は人間じゃないよ」
「人間だったらもう気が変になっちゃうよ」

「そりゃそうだが、中にはそんな人もいないわけじゃない」
「僕は、そんな人こそ尊敬できる」
「残念ながら、あまり身近には居ないんだが」

「例えばどんな人のこと?」

「そうだなぁ・・・。高村光太郎とか室生犀星とか・・」

「じゃあ、ほとんどいないってことじゃない」

「そうだね。いないね」

「けど、そんな生き方もいいかなと思ってる」

「私はいやだな。もっといろんなことがしたいし、
いろんな生き方を経験したいよ」
「春になればここにきて桜もいいけど、夏は浜辺のハイビスカス、
秋は野山のコスモス、冬は・・・シクラメンとか」

「ずいぶん忙しい人生だな(笑)」


別にどうでもいいことだったが、満開の桜の老木を見ながら、
こんなたわいも無い話をしていた。
実は君がいるだけでほかに何もいらないんだ。
どんな生き方でもできる。本当はそう思っていた。
そんなことを思いながら、ただ言葉遊びを、僕らは楽しんでいた。


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