ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

身近にある『死』

2008-03-11 23:03:37 | 
死は常に僕たちの隣にある。
生きていることは、死に向かうことである。
人の生の終着駅としての死は、誰にも平等に、しかもかなり“突然”にやってくるものだ。

先週、久しぶりだとやってきた、とある企業の部長さんであった。
その週末、人事異動が発表され、その部長さんは親会社へ移ることが決まった。
彼は、そんなことはおくびにも出さなかった。
僕は、栄転であろうと思った。
実際そうなのであろうが、かなり唐突な感じの人事であった。
それが、週末、ぽっくり、あっけなく逝ってしまった。
今日、部下の課長から連絡があり、一瞬耳を疑った。あんなに元気そうだったのに。
まさに、そこのソファに座って、ロンドンでのことやニューヨークでの出来事を楽しそうに語っていた部長。
その彼が、この世から、突然に消えた。
実は明日、人事異動を受けて後任の部長と共に挨拶に来ることになっていた。
今日電話をくれた課長と3人で、またこのソファに座ることになっていたのだ。

死は鋭角的にやってくる。すっと切れ味鋭い刃物で時間が切られる。
先に時間は二度と流れない。
僕の時間、君の時間、いつその刃物が自分の時間に振り下ろされてもおかしくないことを、こんな矢先にリアルに気がつかされる。

部長は、くも膜下出血が死因だったという。過労とか心労とか言われるが、彼の場合どうだったか知る由もない。
5千人に2人くらいは、普通の人でもくも膜下出血で倒れることがある。
その2人に入ったのかも知れないし、原因はわからない。

ともあれ、明日はその課長と後任の部長が来ることになっている。
冥福を心から祈るものである。

なぜかクリムトの絵がみたくなった。変だね。

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