ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

今日は日本酒をたらふく飲んで

2008-03-20 00:43:47 | 
あああああ・・・もうだめ。

酔っ払ってPCに向かうも目がくらくらして定まらない。

別にいいんだけど、一日一回はブログ更新したいと思っているので・・・

一応、志功の別の版画をアップして、寝ます。

こんな夢を見れたらいいな、と思いつつ。

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菩薩の胸に身をうずめ

2008-03-18 21:56:51 | 
棟方志功の作品に菩薩の版画は数多い。
ふくよかな顔に、大きな目、豊満な乳。
女の魅力だけでなく、あったかくて、ほっとする安心がある。
男なら、心のどこかで追い求めている「安らぎ」がある。
志功が、繰り返し繰り返し「菩薩」に求めていたのは、
母の胎内で羊水に守られ静かに育まれる胎児の快さ。
もう二度とそれはやってこないことを分かりつつ、版画の中の菩薩に
それを求めた節がある。

ある時、えもいわれぬ苦しみの末、何もかも忘れて、
ふくよかな乳の谷間に、身を埋めたくなるような、
そんな衝動に駆られることは無いか。

そんな時、志功の菩薩をふと思い出す。
その菩薩とは、母なのか、女なのか区別もつかぬままに・・・。

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代官山方面へGO!

2008-03-16 17:07:41 | 
恵比寿カーデンプレスへと向かう、目黒区三田付近の上り坂は、結構きつい。
似たようなきつさは、中目黒から代官山へと続く、青葉台あたりの坂にもいえる。
このだらだら続く坂道を登りきり、恵比寿の駅前に出て、代官山へ向かった。
緩やかなくだり坂、そして緩やかなのぼり坂。何しろ、上ったり降りたりと忙しい。

代官山は久しぶりであった。代官山の駅前に向かう恵比寿西のあたりは閑静な住宅街で、しゃれたレストランやファッション小物のお店が点在している。
東横線の線路を越えるとそこは代官山。とにかく駅前付近は学生らしき若者が多い。
そんな客層を対象にしたような小さなお店がキラ星のごとくにある。
バス通りまで出ると、やや年齢層も上がり、とてもファッショナブルな方々の空間となる。
バス通り沿いに、魅力的なお店が長いこと連なっているが、その通りの両側から続く小道という小道にまた雑貨屋やカフェがみっちり詰まっている。

猿楽町方面の旧明治通り。ここが一番好きな僕の代官山。
西郷山公園で、しばし休憩をし、芝生の上でストレッチを10分ほど。
気の早い人たちが、一本わずかにつぼみを開きつつある桜の下で、「お花見」をしていた。

そして、坂道を下り目黒川まで出た。あともう少しすればここは桜が満開になり今年も大勢の人が訪れるのだろう。まだ開花の気配は無かった。

明治通りを超えて、世田谷方面へ歩みを続ける。もうそろそろくたくた。

お金を持ってくるのを忘れたため、昼食はとれず。

帰ってきてあまりの空腹に、宅配ピザを速攻頼み平らげました。

以上が、本日の「修行」のあらまし。まだまだだな・・・

サウナに行ってさっぱりしてこようかな。

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修行が足りない

2008-03-16 08:42:08 | 
「煩悩」とは、人間の身心の苦しみを生みだす精神の働き、例えば、
肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着などだという。

仏教では、「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させる事によって悟りを開く。


  色即是空

頭を丸めた出家坊主が、道行く妖艶な女に思わず心を奪われそうになり「色即是空・・・色即是空・・・」と呟く。
今は、この煩悩が一番きついようだ。レベル低すぎだな。

週に一度の「修行」の日が今日。日曜日。
魔羅損(いや「マラソン」)の日。・・・ 
※ 文字の変換ミス。思わず意味深長だったので

坊主の修行は、自分を極限にまで追い込む手法を用いるようだ。それに似ている。

  修行が足りない


さて、昨日の志功の「釈迦十大弟子」の紹介。



棟方志功作 二菩薩釈迦十大弟子 1939 六曲一双屏風 164×367センチメートル

 棟方志功の代表作としてよく知られた作品。

昭和30年のサンパウロ・ビエンナーレ、昭和31年のヴェニス・ビエンナーレで、版画部門の最高賞を受賞したが、いずれの展覧会にも「釈迦十大弟子」が含まれていた。
昭和20年の空襲で、東京の自宅を焼かれ版木のほとんどを失い、普賢菩薩と文殊菩薩の柵は昭和23年に再制作された。

上段左から、普賢菩薩(ふげんぼさつ)の柵 目賢連(もくけんれん)の柵 須菩提(しゅぼだい)の柵 優婆離(うばり)の柵 舎利弗(しゃりほつ)の柵 阿難陀(あなんだ)の柵
下段左から、羅業羅(らごら)の柵 摩訶迦葉(まかかしょう)の柵 阿那律(あなりつ)の柵 富樓那(ふるな)の柵 迦旃延(かせんねん)の柵 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の柵

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生きることに没頭しているか

2008-03-15 21:57:01 | 
東北出身の鬼才。棟方志功。

この写真。圧倒的だ。
昔から、この写真に圧倒されていた。

激しい没頭。「板画」への執念。

めらめらと、あわ立つように、彼の気迫が伝わらずにおれない。
まいった。もう勘弁してくれ。そうつぶやきたくなる。

ある意味、うらやましくもあった。命を燃やしても惜しくないものを見つけてやがらあ。

久しぶりに、ネットで捜しだした。ネットは何でも見つけられるもんだ。
学生の頃、古本か、芸術雑誌か何かのグラビアで見て以来の彼のこの白黒写真。
その気迫は永遠に色あせない。

「二菩薩釈迦十大弟子」
彼の命を削ったこの作品。見て損はない彼の代表作です。


棟方志功 (1903-1975)

青森県青森市刃物鍛冶屋の三男として生まれる。
少年期より絵に対する興味が強く、雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの油絵「向日葵」の原色版に大きな衝撃を受け、油絵画家を志して1924(大正13)年上京。
1928(昭和3)年、独学で帝展初入選を果たしたものの、油絵修行に悪戦苦闘していた志功は、日本の伝統的木版画のもつ豊かな芸術性に開眼し、独自の版画世界を歩み始めた。

1936(昭和11)年、国画会に「大和し美し版画巻」を出品し、柳宗悦や濱田庄司らにその画才を見出され、大さな転機となる。
柳の説く、「当たり前のものがもっとも美しい。本当のものは個人を越えたところにある」という思想は、棟方の仕事にはかり知れない影響を与えた。
以後72歳で他界するまで、宗教・自然・文学を題材に人間の生命力のたくましさや、神や仏の世界の厳かさを彫り摺り続け、従来の版画(棟方は自らの作品を「版画」ではなく、板のいのちを彫り起こす板による表現という意味で、1942年以降は「板画」と呼んだ)の伝統を破るような独創的な作品を次々に発表した。

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ドル円100円割れ=金融市場のメルトダウン

2008-03-15 07:40:34 | 
昨日のニューヨーク外国為替市場では、ドル円相場は3日連続の大幅安、前日比1円55銭ドル安・円高の1ドル=99円05~15銭で取引を終えた。
ニューヨーク連邦準備銀行が証券大手ベアー・スターンズへの支援を決定したことを受け、リスク回避目的のドル売り・円買いが優勢となった。

資金繰り悪化のうわさが出ていたベアー・スターンズが、米銀大手JPモルガン・チェースと緊急の融資枠を設定したと発表。JPモルガンを通じてニューヨーク連銀から融資を受ける見通しで、金融システム不安が強まっているとの見方から幅広い通貨に対してドル売りが優勢となった。
午後に格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)がベアー・スターンズの長期債格付けを「トリプルB」に引き下げたと発表した。

ドル円相場は、1995年9月以来初めて99円を上回り98円89銭まで上昇し約12年ぶりの安値を付けた。ユーロ円もで大幅に続落、前日比2円5銭ユーロ安・円高の1ユーロ=155円25~35銭で取引を終了。リスク資産圧縮目的での円買い・ユーロ売りが優勢だった。
ユーロは対ドルで3日続伸。1ユーロ=1.56ドル台前半から1.56ドル台後半に上昇した。

また、米株式相場は大幅に反落。ダウ工業株30種平均は前日比194ドル65セント安の1万1951ドル9セント、ハイテク株の比率が高いナスダック総合株価指数は51.12ポイント安の2212.49で終えた。
資金繰りの悪化した米証券大手ベアー・スターンズに対し、ニューヨーク連邦準備銀行などが緊急支援に乗り出すことで合意。信用リスクの高まりが嫌気され、売りが膨らんだ。ダウ平均の下げ幅は一時300ドルを上回った。


しかしたくましくも、一般個人投資家の外貨預金や外国為替証拠金取引が急増しているという。株式は敬遠される一方らしいが・・・。

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「座右の銘」ありますか・・・

2008-03-14 22:06:33 | 
「じぶん この やっかいなもの」

相田みつを氏の言葉の中で、一番これがぐ っとくる。

いいじゃあないか人間だもの。全部許す思想。人間の愚かさや悲しさ儚さ。
それゆえの肯定。みんな同じという同化の思想。諦観から生まれる明星。灯火。

多くの大衆の共感を生む。日本人のセンチメンタルに馴染む言葉を一杯発している。
僕も、やはり「しっとり」と、それに浸ってしまうのだが、
共感できる言葉は、これ。「じぶん この やっかいなもの」
これこそ、いろんなレトリックをとっぱらった、彼の真実の言葉に聞こえる。

というのも、今日、部下から、

『座右の銘は何ですか?』

と聞かれた。とっさの問いに、何か格好の良い言葉も浮かばず(実は“無い”のかも・・・)、とっさに答えたのが次の言葉。


   真実一路


嘘ではない。本当なのだ。真実。これが何か。僕は、こだわってきた。
答えはいまだ見つからない。一生見つからないかも知れない。
何かわからない正体不明なものに僕は、あえて“一路”と言うのである。

目暗めっぽう、そんな曖昧な代物に向かって、一途に進む。
だから右往左往ばかりしている人生。

だから僕は、「じぶん この やっかいなもの」と感じるのだろう。
この言葉に、何か親しみを感じてしまう。


真実とはなに?


愛、社会正義、唯物論、大宇宙、恋人、家族、相対性理論、芸術、死、
正直者、市場原理、イエスキリスト、SEX、「我思う故に我あり」・・・・


本能が真実なら、本能の赴くままに、誰とでもSEXを望む。
あなたと、君と、友人の妻と、会社の部下と、すれ違った可愛い娘と。
無頼を気取り、虚無の隘路に落ち込んだ時は、そんな気持ちにもなるが、
それは違うと、どこかでわかっている。それだからこそのダダイズム。
しかし結局、そうした虚無と自棄からは、何も生まれないことを知ってきた。
愛があってこそのものだね。

すると真実は、「愛」か。よくわからない。

ひとつだけ言えること。

  屁理屈に真実は無い。


けれど、その「屁理屈」の世界に生きている自分が悲しい。

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お風呂で読書

2008-03-13 23:00:58 | 
僕の日課のひとつに“お風呂で読書”というのがある。
時間があれば、本を片手に1時間くらい平気でお風呂に浸かっているのだが、
ここんところ忙しくて帰りも遅く、あまりのんびりしてるとすぐ翌日になるため、
お風呂の時間は十数分と限られる。まことに不本意極まりない。
それでも、常備している文庫本を、数ページはめくる。
いま「愛読」しているのは、ビートたけしの

   『結局わかりませんでした』

集英社文庫から96年に刊行された本。
これがまた面白くて、かつ、ためになる。
たけしは勉強できないが頭がいい。つくづくそう思った。
その道のオーソリティーとの対談形式の展開。
地球物理学者、脳医学者、生物学者、数学者、・・・。

駅前の古本屋で、文庫本が5冊でなんと「100円」で売っている。
結構回転率もよくお店の店頭に積んである。
僕は、帰りの道すがら寄り道してガサゴソと物色するのが癖になった。
この「たけし本」もその1冊なのだが、これは当たりだった。

物色して1冊でも「これは!?」という本があると、あとの4冊は適当に拾う。
例えば今回の他の4冊は以下の通り。

■「パイナップルの彼方」(山本文緒)
■「黒い鯱」(西村寿行)
■「アンの青春」(モンゴメリ)
■「世界短編傑作集2」(江戸川乱歩)

そのまま読まずにどっかへ行ってしまうこともあるが、大体は目を通す。
お風呂での読書は暇つぶしだし、面白半分だから、とてもリラックスできる。
いくらシャボンで汚れても、どうせ読んだら捨てるので気にもならない。
何しろ1冊25円だもの。たまに湯船に丸ごと落としておじゃんになる本もある。
全然モノを大事にしないんだよね僕は。

  これでもA型なんだが。

自分でも信じられない。

しかし、ビートたけしっていう人間の生き方にはあこがれるなぁ  

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どうでもいいですよ~♪

2008-03-12 22:44:59 | 


新銀行東京、日銀総裁選、賃上、円高、株安、物価高、そして福田政権・・・

どれひとつとして明るいイメージのない単語。

今年はいったいどんな年になろうとしているのだろうか。
3月決算月であるが、すべての悪材料が出尽くして、4月から一転、
明るい日差しが見えてくればいいのだが。

誠実なサラリーマンを痴漢に仕上げた極悪野郎のニュースが・・・。
どうも大学の法学部生らしい。捕まって黙秘権を行使しているとか。

このケースでも警察はこの年配のサラリーマンの無実の叫びを聞こうともせず、
ひたすら自白を迫った。
良心の呵責にかられ、自首した共犯の(当事者の)女性の存在がなかったなら、
確実にこのサラリーマンは、

『有罪』
にされていたんだろうな。そんな人はこれまで一杯居た様な気がします。

痴漢なんていう卑劣な行為は、僕はあまりないのだろうと想像する。
あるのは、AVビデオとかそんなフィクションの世界でのことだろう。

「男を見たら痴漢と思え」などという行き過ぎたプロパガンダが、
こんな悲劇を許してしまうのだろう。

どんなことでも罪を犯すものは必ず居る。けれども、それは一部であって多くではない。
そのことをよく吟味する必要があると思った。

今日は、本当にどうでもいいことを書きました。

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身近にある『死』

2008-03-11 23:03:37 | 
死は常に僕たちの隣にある。
生きていることは、死に向かうことである。
人の生の終着駅としての死は、誰にも平等に、しかもかなり“突然”にやってくるものだ。

先週、久しぶりだとやってきた、とある企業の部長さんであった。
その週末、人事異動が発表され、その部長さんは親会社へ移ることが決まった。
彼は、そんなことはおくびにも出さなかった。
僕は、栄転であろうと思った。
実際そうなのであろうが、かなり唐突な感じの人事であった。
それが、週末、ぽっくり、あっけなく逝ってしまった。
今日、部下の課長から連絡があり、一瞬耳を疑った。あんなに元気そうだったのに。
まさに、そこのソファに座って、ロンドンでのことやニューヨークでの出来事を楽しそうに語っていた部長。
その彼が、この世から、突然に消えた。
実は明日、人事異動を受けて後任の部長と共に挨拶に来ることになっていた。
今日電話をくれた課長と3人で、またこのソファに座ることになっていたのだ。

死は鋭角的にやってくる。すっと切れ味鋭い刃物で時間が切られる。
先に時間は二度と流れない。
僕の時間、君の時間、いつその刃物が自分の時間に振り下ろされてもおかしくないことを、こんな矢先にリアルに気がつかされる。

部長は、くも膜下出血が死因だったという。過労とか心労とか言われるが、彼の場合どうだったか知る由もない。
5千人に2人くらいは、普通の人でもくも膜下出血で倒れることがある。
その2人に入ったのかも知れないし、原因はわからない。

ともあれ、明日はその課長と後任の部長が来ることになっている。
冥福を心から祈るものである。

なぜかクリムトの絵がみたくなった。変だね。

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目で追うクセ

2008-03-10 23:08:30 | 
眼鏡を買おうかと迷っている。車が不可欠で、あちこち乗り回していた頃。
僕は、『眼鏡等』ということで眼鏡が必須であった。
東京へ出てきてからというもの、一度も車を運転していない。
運転する必要がなくなった。何せ東京は地下鉄やJRで十分だし、
実は、少し我慢して歩けば、どこにだって行ける。
排気ガスを出し、渋滞の中、いらいらしながら車を乗り回すのは愚の骨頂に思えた。
しかも、駐車場ではお金が掛かるし、交通違反で切符きられるのもばかばかしい。
そういうことで僕は、車から遠ざかり、それゆえ眼鏡も必要なくなった。
眼鏡をかけているとはいえ、もともとそれほど視力は悪くはなかった。
それが、PCに向かって仕事をするようになりはや十数年、コンマ二つくらいまで、
視力が低下してしまった。
視力が低下し、要するにいろんなものが正確に見えにくくなって、悪いことばかりではない。
見なくていいものは見なくて良い。見たいものは見えないが、どっちもどっちだ。
強がりかも知れないね。

いや、目の悪さを書こうと思ったわけではなく、
どうもここのところ、とみにすれ違う女の人が気になってしょうがない。
そう、先週見かけた女の人の残像が、脳裏から離れない。

近くまで来ないとぼんやりしか見えないので、ついつい見つめてしまいがちになる。
見られている人たちはさぞ“薄気味悪い”だろう。
あまりいい趣味とはいえないのでもうやめよう。
見間違い、勘違いでしかないのだから。

きっと元気で、しぶとく生き抜いてるよ。そんなに弱い奴ではなかったろうに。
寧ろ弱っているのは「自分」ではないのか。
人のことを心配する前に、もっとしっかり生きろ。 自分 。

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GRAND COCO PARIS ホワイトデー

2008-03-09 16:31:57 | 
本日は快晴で、暑くもなく寒くもなく、大変素晴らしいマラソン日和でした。
近場をぐるぐる回っただけでしたが、ナイス・ランだった。

地元のカフェで、『玄米蟹チャーハン』を食べ、帰りに桜餅、醤油団子、草餅団子など、
和のスイーツを買い込んだ。

白梅、紅梅が満開で、住宅地の庭々にも春の匂いが一杯だった。

さて、今週は『ホワイトデー』と相成り、義理チョコのお返しも考えねばと、
昨日は渋谷をさまよい、お返しを物色してきた。
そして選んだのが、『GRAND COCO PARIS』 。

LES GRANDS(レ・グラン)のGRAND COCO(グランココ)というチョコレートとアクセサリーのコラボコレクション。
LES GRANDS(レ・グラン)は、M.O.F(フランス最高職人賞)の称号を持ったパティシエ、ショコラティエ9人を贅沢に集めて、美味しいものだけを出しているブランド。
このLES GRANDS(レ・グラン)が今年のバレンタインから、GRAND COCO(グランココ)というファッションブランドを新たに作り、チョコレート&アクセサリーのシリーズを売り出した。
そのホワイトデーバージョンである。

写真は、今回購入したものとは違う。今回は、化粧品ポーチのような立方体の器の中に、二段重ねでおいしそうなチョコが詰まっている。
また、ハート型にの金の金物で細工された器のものと、多少奮発してあげた。

いずれにしても、“チョコ&アクセサリー”のコラボモノ。
きっと歓んでもらえるだろう。

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HUNTER×HUNTER25巻●突入

2008-03-08 22:58:03 | 
お待ちかね、HUNTER×HUNTER25巻●突入 出ました!!

また、週刊少年ジャンプ14号(3月3日売)から連載も再開。
(コミックしか読みませんが)

ついに宮殿内に突入!!中央階段の脇から飛び出したゴン達!!
そして空からやってくる会長。
一方コピーは、ゴン達が予期しなかった階段にいた。
対峙するゴン達一行。
壮絶な死闘の幕が上がる中、王は・・・・。

空からやってくる会長。これが驚くほど意外な格好で。
王との軍儀の勝負で覚醒したコムギ。王とのこれも意外な展開。
さすが冨樫と感嘆するあっという間の30分でした。

  もう一度読み直します。

HUNTER×HUNTER NO.25 (25) (ジャンプコミックス)
冨樫 義博
集英社

このアイテムの詳細を見る


冨樫さん。頼みますからガンガン書いてストーリー前に進めてくださいな。
宜しくお願いします。

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幻を追いかけても・・

2008-03-08 00:14:04 | 
チューリップ(財津和夫)に『青春の影』という歌がある。

そんなものを未だに求めているのだろう。
だからそんな“幻”を見るのだ。

昔を追い求めるよりも、もっと前を向いていかねばと思う。
いや、昔のことを思い出し、これからの“糧”とするのがそもそもの目的だったはず・・・。

懐古趣味に走ってはならない。元も子もない。

それにしても、本来ならC子なはずなのに、なぜかH子のほうをよく思い出す。
C子は、多分、幸せに暮らしているだろう。
H子は、未だ路頭に迷っているのではないか。そんな「親心」からだろうか。

そういえば外国為替市場ではドル円が1ドル=101円台だという。
突然現実的になってしまったが、これは困り者だ。実に、困った・・・。
来週の株式市場も大きく崩れ、続落していくのだろう。
世界は常に漂流している。安定というものがない。
人間の心も千変万化。永遠や無限は人間世界にはない。

今生きているのは永遠の中の一瞬に過ぎない。

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あのおちびちゃんは今いずこ

2008-03-06 22:58:08 | 
通勤の駅のターミナルで、H子に似た人を見た。
あれからだいぶ経っており、その当時の姿のままであるはずはない。当然だ。
けれどもあれからだいぶ経って、今ならそうなっているだろうと容易に想像できる、
そんな容姿をした人を見た気がする。
見間違いかも知れない。しかし、確かに面影があった。
後を追ってみようと瞬間思ったのだが、その人は雑踏の中に消え、僕は、
そのまま通勤電車のなかに、いつものように押し込まれ流し込まれた。
もう確かめる術は無い。その人も通勤にここを使うのなら、またすれ違う可能性はあるだろう。
しかし、どこかに勤めている風でもなく、たまたま何かの都合でその時間、ここを通過しただけかも知れない。
ならば、もう二度と巡り会うこともないだろう。
多分、見当違いだろう。最近、とみに視力が低下している。

仮にその時、その人に声をかけ、「H子さんではありませんか?」などと聞いたなら、
そこから何かが生まれるだろうか。
いや、別に何かが生まれることを期待している訳ではない。
何か懺悔にも似た、すまない気持ちとその後のH子の苦労をねぎらってあげたい。
たったそれだけの衝動に過ぎなかったろう。
僕の自己満足に過ぎない。例えその人がH子だったなら、今更僕に声をかけられて、
どう思うことだろうか。やめとこう。
そんな考えが、僕の行動を逡巡させた。

しかし、いずれにしても僕の見間違いの可能性が高いのだ。
H子のことを今更どうこう思うものでもないけれど、かつての部下であったH子を、
今でも心のどこかで心配しているのだろうか。
そんな潜在意識が、疲れて帰る途上の駅のターミナルで、そんな幻を僕に見せたのかも知れない。

元気で生きていてくれればいい。それだけでいい。

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