ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

淋しくても生きねばならない。

2009-10-28 11:47:42 | 



人に踏み込むことは人の人生の一部を抱えてしまうこと。
踏み込むからには、余計な苦悩や不遇を、
共有する覚悟がないといけないと思う。
そういう覚悟がないと単なる冷やかしや社交辞令の域を出ないのではないかと思う。
もちろん相手だってそんな人に胸襟を開いてくれるはずもありません。
僕はそれに辟易してきました。
なにより自分が苦しくなります。
自分さえ持て余しているのに、誰かの「生」を、例えほんの少しであれ、
背負ってあげることはできないのです。

だからお酒を飲んでいろんな話を聞いてやり、
調子のよい返答をし、慰めてやる事のすべてが、
後から考えると無責任な「偽善」に思え自己嫌悪に陥ります。

話す当人はそんな大それた事を僕に期待している訳ではありません。
思いの丈を吐露することで満足したいだけなのかも知れません。
トムハンクスの「グリーンマイル」という映画に出てくる、
神秘の力を持った死刑囚。
彼のような力も純粋さもないのだけれど、
彼のような「懊脳」はとても背負い切れるものではありません。




人は人、自分は自分と割り切って生きる。
神でもなければ超人でもない。
そんな自分が身の程を知って生きるとは、
しょせんその程度なんだろう。
嫉み、妬み、悪意や貪欲、私利私欲。
他人の懐にある醜怪なものどもを見る必要などまったくない。

今日もお酒の席があります。
せいぜい「本気」にならないよう気を付けねば・・。
クール&ドライ。

そんなことを思いました。

とても淋しい人間ですね。


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