ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

日本の童謡の始まり

2009-10-04 12:44:35 | 



目黒不動尊に「本居長世」の碑が建っています。
本居長世と言われてもピンとくる人はさほどいないと思います(僕も?でした)。

その碑には彼の遺影とともに「十五夜お月さん」の楽譜が刻まれています。
大正9年に発表されたこの十五夜お月さんは実は〝日本で最初に生まれた童謡〟だそうです。
作詞は野口雨情。
雨情&長世のゴールデンコンビはその後も
「七つの子」「赤い靴」「めえめえ児山羊」など
童謡の黄金期を築きあげました。
(それまでは「唱歌」しかなかったんです)


(※ 本居長世は江戸時代の国学者・本居宣長の6代目の子孫に当たります)


   こんな歌を誰かに教わったという記憶がない。
   みんな生まれながらに身につけていた。
   男の子はそんなことはしないが、
   女の子たちは公園や幼稚園で揺れる乗り物に乗ると、
   ほとんど自動的に「ゆりかごの歌を、カナリヤが歌うよ」
   といい気分で歌いだした。

     (童謡「サッちゃん」を書いた阪田寛夫さん談)



童謡とはそんな感じですよね。
(最近はどうなんでしょう…???)

メディアが発達していなかった時代にもかかわらず発表された童謡は
いつのまにか多くの子供たちが歌っていたのでしょう。
今だって流行歌や流行語といったものはいつの間にか口の端に上ります。
大正後期から昭和初期にかけてまさに童謡が時の歌として急速に流行していったんですね。




本日の走りは目黒通り→目黒不動尊→武蔵小山商店街でした。
武蔵小山の住宅街にある「三谷八幡」でしばし骨休めをしながら、
「この道は~♪いつか来た道~♪ああそうだよ~♪あかしやの花が咲いてる~♪」
なんて口づさんでいました。


この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂れてる

(北原白秋作詞・山田耕作作曲)
  ※ 山田耕作は本居長世のお弟子さんだったそうです。







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