宮川日厚上人 明日は祥月ご命日

2008年06月12日 | Weblog
九州佛立宗のもとを開かれたのは宮川日厚上人です。
もと清風寺で学徒のご奉公をされていた宮川日厚上人は、第三世講有・日随上人の御弟子として得度。以来、あちらこちらでご弘通ご奉公を展開され、西宮廣宣寺、岡山妙現寺、そして、ついに九州、四国の各地で今日の佛立寺院のもととなるご奉公をされたのでした。
私の父で遠妙寺の中興・日玄上人は伊達日彰上人を師匠として大正15年(1926年)、出家得度しました。しかし、その得度を勧められたのは宮川日厚上人ですから得度親であり、また、後年、実際に小倉不軽寺で日厚上人に親しくお仕えし,そのご教導を受けました。
まだ日玄上人が中学生だった頃、叔父(今井鍵太郎)が保険会社の役員で博多にいた関係で、毎年、夏休みに九州まで旅行。その折、御講席が叔父宅で開かれ、宮川日厚上人にお目にかかりました。
そのとき、両親を幼少にして失っていて、東京の親戚宅に引き取られていた日玄上人の身の上を心配されて、日厚上人が「親がいないのなら、一番の孝養は出家得度して教務となり人のためにご奉公することだ」と諭されたとのことです。
大変がんこで人の言うことを聞かない日玄上人も中学生の時は非常に素直だったんですね。その言葉を聞いて以来、真剣に得度を考えるようになり、上人にお会いして何年目かに、ついに決意しました。
「東京の雑司ヶ谷にいるなら、近くの大塚・遠妙寺に伊達日彰上人がおられる。早速紹介するので入寺しなさい」といわれ、遠妙寺にまず、入り、お寺から当時の早稲田中学に通うこととなりました。そして、十九歳の時、得度をしたのです。
もし、宮川日厚上人の勧めがなかったら、父、日玄上人の遠妙寺での得度もなく、したがって、私の母、久江との出合いもありませんでした。つまり、私という人間も生まれてくることにはなりませんでした。
でも、「得度しなさい」と声をかけて、「得度します」というのはすごいですね。
いくら相手が中学生でも、ハイと言わせるのには相当の迫力がなければ無理。
要するに、日厚上人という方は、カリスマ性があってというより、カリスマそのものだったんだと思います。
このご信心をさせていただけば、必ず、御利益を頂く。
この言葉を正面から相手に言うには、勇気が要ります。しかし、現証ご利益を体験すれば、いおうと思わなくても言わずにいられなくなります。
日厚上人伝を読むと、昔のご信者が日厚上人のお助行を受けて、足が立たなかった人が歩けるようになった、死にそうな病人が見事に回復という類の話が沢山出ています。
信念の差だよね。爪の垢を煎じて飲みましょう。明日は祥月ご命日。
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新幹線 マナーはどうなっているの?

2008年06月11日 | Weblog
通り魔殺人で命を落とした方は、誠に気の毒でした。
お寺で御回向をさせていただくこととします。
事件が起きた直後、しかし、大勢の人が倒れている人の介抱をしたり、助けていたという記事を見て、ホッとしました。
中には、渋谷乗泉寺の御会式の帰り道、現場に佛立信者たち(流山・妙晃寺)が居合わせて、さっそく救援活動をされたと聞きました。すばらしいことです。
考えてみますと、この方たちももう少しのタイミングの差で犯人に出くわしたかもしれません。
そんな話を京都で聞いて、新幹線に乗って帰ってきました。
予約した列車の時刻よりだいぶ早くホームにつきました。
そこで、自由席で帰ることにしました。そうすると、席は十分にあるはずですが、二人がけなら通路寄りの席に座り、もう一つの席には荷物を置いてあったり、三人掛けの方でも真ん中の席に陣取って独り占めして、やはり荷物を置いて誰にもすわらせないぞという意志を無言で示している人がいます。
また、座席に座って大きな声で携帯で話している人もあります。
それが、若者ではなく、いい年をしたおじさん、また、お爺さんがそういうことをしているのです。
もっとも分別があってよい人たちが、この「ていたらく」。
「人に迷惑をかけまい」という人としてのモラルが吹っ飛んでしまっています。
このまま、「たが」がゆるんだままだと、将来はどうなるのか、考えながら帰ってきました。



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通り魔 人間の心を失った犯人

2008年06月10日 | Weblog
大変ショックでした。わが遠妙寺でつつがなく開導会がつとまった今月8日、すぐ近くのアキバで7人が殺害されたのです。
池田小で子どもたちが刺殺されて7年。まさに災難は忘れた頃にやってきます。
池袋の東急ハンズ前でも以前、通り魔事件がありました。
ずっと以前起こった通り魔殺人事件で鮮明に覚えているのが深川通り魔殺人です。
あの事件は、テレビドラマ化されましたが、あの頃がこんな時代になった分岐点だと私は思っています。
あれは1981年(昭和56年)6月のことでした。その頃までは、日本と欧米の事件は少し、違いがあり、どこか日本人には、これ以上できないという所があったように思います。同じ殺人事件でも異質なものを感じました。今は、まったく無差別に、手当たり次第に殺すことが当たり前になってしまいました。
今回も無差別な通り魔殺人事件です。派遣社員、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)が、トラックに乗り、赤信号で交差点に突っ込み3人をはねたこと。また、両手にナイフをかざし、通行人を一突きで刺し殺し、計画通り被害者達を襲っていたことが報道されています。
法華経の教えから天台大師(538~597)や日蓮聖人(1222~82)は十界互具(じゅっかいごぐ)という事を強調されています。
つまり、どんな人間にも十種の世界を内在しています。下から地獄(いかりの世界)、餓鬼(貪欲、欲望の世界)、畜生(因果の道理を信じないおろかな者の世界)、修羅(闘争の世界)、人間界(私たちの世界)、声聞(しょうもん、おしゃかさまの直弟子の流れ、悟りをめざす人々の世界)、縁覚(自然界の観察などして因果の道理を悟る人の世界)、菩薩(自己の悟りを求めず、人を専ら巣くうことを念願する人たちの世界)、佛(大きな慈悲心を持っている超人的存在者の世界)が、その十界です。また、それぞれの世界・・たとえば動物など畜生界の存在にも十種の心が内在されているというのです。
人間でも、このような残虐非道の行為をなす人の心には、もはや人間性、人間の心がなく、地獄や修羅の心でいっぱいになっていたのでしょう。
日本人はかつて、やさしく、思いやりがあり、慎ましかったといいます。
それが、急速に変化して、心を失っている例が多々あります。
根本的欠陥は、日本人が宗教を知り、選び、実践するすべも何もないので、このような人が出てくるのだと思います。または、宗教の価値を認めようとしないから、このような痛ましい事件が起こってくるのだと思います。
無規範の国、日本。無宗教の国、日本。世界中の誰もがそっぽを実は向いていることを認識する必要があるのではないでしょうか。

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開導会

2008年06月08日 | Weblog
今日はわが遠妙寺で三大会の一つ、開導会が行われました。
盛大に奉修でき・・・といっても数百人の参詣なので、あまり大きな顔はできませんが。
しかし、心をこめてご信者さんがこの開導会が盛り上がるよう、力を合わせて協力いただきましたので、私はたいへん有難く思っています。
お蔭で新しく入信する方が相次ぎました。
お天気も心配でしたが、午前中雨の予報をくつがえして一滴も雨が降りませんでした。
ビデオ体験談も二回上映しました。
その主役は菊池さんという方で、今年八十歳になる方の今までの信心の歴史を綴った内容です。
ご信心のキッカケは十九歳の頃、病気で伏せていたお母さんに対する親孝行のつりで「御題目を唱えてちょうだい」という願いに応えて南無妙法蓮華経をお唱えしたところ、大変喜び、こんなに喜んでくれるならと、その後、御題目をお唱えするようになりました。その後、お母さんは帰らぬ人となりましたが、教務(僧侶)から、「あなた自身がご信心を続ければ、お母さんはきっと寂光浄土で喜んでくださる」という言葉を聞き法のともしびを受け継ぐことにしました。
その後、青年会に入り、ご信者のお宅を三人くらいで回っては青年会のお誘いをして、飛躍的に会員が増えました。
二十五歳の時、菊池さんのお父さんが一家離散寸前の家族を教化して入信させられました。8人家族で経済的に追い詰められていました。その家族の大黒柱、父親がうつ病で、長男が働ける年齢ですが夜尿症で悩んでいました。その病気のため、住み込みで働く仕事はできない、また、精神的にも苦しい状態です。
毎日、御利益を頂けるよう御題目を口ずさみながら、御助行に通い、御宝前にお縋りして必死に、その家の奥さんと御題目をお唱えし続けました。
とうとう、4日目に「夜尿症が治りました」と奥さんが喜んで報告し、菊池さんはともに涙を流しながら手を取り合って喜んだそうです。そして、満願の一週間後、とうとう一家の主人、お父さんも御利益を頂いて、うつ病が治り、その後、尋ねますと主人も就職できて働くようになり、息子も就職できました。
そのお助行をして御利益を顕したというこの事実が、ご信心を固めることになりました。
その後、菊池さんはご信者さんの娘さんと結婚。三人の娘さんを育てられました。
その長女は、子どもの頃、大やけどをしました。ヤカンのお湯を浴びて、洋服を脱がせたところ、皮膚がめくれて肉がみえてくるようなやけどでした。とっさに御宝前にお供えしてあった「御供水」(おこうずい、おこうすい)を頭からかけ、御供水で浄めるようにかけ洗ったそうです。すると、その後、泣き止み、少しも痛がらず寝てしまったのです。3日目に薄皮がはり、全快して跡形もなく治りました。
また、その他にも家族中がいろいろとお計らいをいただきました。その中でも、ご本人が七十五歳の時、いただいて忘れられないのが「末期ガン克服の御利益」。
話せば長くなるのですが、気がついた時、胃にはタテヨコ8センチ大のガン、腸には3×4センチ大のガン。
手術の時は、お寺を挙げて、火の出るような御題目口唱。
手術は成功、あっという間に回復して退院。
抗がん剤投与となり、ふつうは副作用は必ずあるが、効果はあるかどうか疑問と医師より説明。
しかし、その抗がん剤があたり、副作用がゼロ、効果てきめんで血色は良くなり、毛髪は増え、白髪は黒くなるという御利益。
御供水を一日4リットルいただくと、食欲は増し、体重も回復。
現在もほぼ毎日のように早朝、狭山市から遠妙寺に参詣、現役教区長としてご信者の先頭を切って菩薩行を実践中。
こういう話でした。
お蔭で、これを見て感動して、新たなご信心の喜びの輪が広がりました。
また、長くなりすぎましたので・・・このくらいに。
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チベット仏教

2008年06月06日 | Weblog
チベット仏教はダライ・ラマの知名度によって、その存在が知られるようになり、さまざまな国にその信奉者が現在はいます。
チベットに最初、仏教が入ったのは8世紀頃でした。
インドの龍樹菩薩、ナーガールジュナの流れを汲む中観派(ちゅうがんは)と呼ばれる仏教が普及しました。
この龍樹菩薩という方は八宗の祖師といわれる人で、超人的能力を発揮した方です。西紀150年頃の誕生で、本当に100歳頃まで長寿を保ちました。
この龍樹ボサツについては、私が学生の頃、その著書を研究テーマにしたので思い入れがあります。
さて、チベット仏教はその後、インドの密教が流入した結果、ずいぶん変質し堕落しました。と申しますのは、密教というのは釈尊がなくなって一千年以上経ってからできた経典による宗教で、インドの土着宗教であるバラモン教、今日のヒンドゥー教の影響を濃厚に受けています。仏教よりヒンドゥー教に近い宗教です。
この密教の経典の中には、男女の交わりを最高の修行として教えているものもあり、日本においても一時、その種の教えがはやり、禁止令が出ました。
名僧アティーシャという人が11世紀頃、現れて、それまでの堕落した仏教を改革しました。ついで14世紀にはツォンカパという大思想家の傑僧が現れて、新しい仏教、ゲルク派を成立させました。
その後、16世紀にチベットはモンゴルのアルダン・ハーンによって、その勢力下に収められました。しかし、チベット仏教に感化され、お寺を建立してソナム・ギャツォを住職として迎え、ダライ・ラマ(大海の師)の称号を与えました。
そして、偉大な学叢とされるダライ・ラマ5世ガワン・ロサン・ギャッツォ(1617-1682)の頃、モンゴルのグシ・ハンが、モンゴルを治めましたが、その後ろ盾を得て16422年に宗教上だけでなく、政治上のチベットの最高指導者となりました。その流れは今日も続いており、現在のダライラマ14世はインドに拠点を持つ亡命政府の元首の地位にあります。
大思想家のツォンカパが仏教の中でより所としたのは中観派の中の月称(げっしょう)という人の流れで帰謬論証派という系統の仏教です。
私も月称という人の「明らかな言葉」という本を読み、その研究をしましたが、とにかく理屈がすごい。正確な論理を駆使して、他の人の矛盾しているところを挙げて、そのあやまり、どこが間違っているか、そのような思考訓練を積み重ねるのです。
そのような理論が書いてある本をチベット仏教の僧侶は、子どもの頃から読み、勉強しますので、論争、ディベートにものすごく長けているのです。
おまけに亡命生活の長い、ダライラマはじめ坊さんはインドで英語を使います。そんなわけで、チベット仏教は欧米の人にも説得力があり、俳優・リチャードギアのような信者、シャロン・ストーンのようなシンパが現れてくるのです。
私たち佛立教務も、どこかに亡命したら英語が得意になるかも。
あと、ダライ・ラマの後継者は、生まれ変わりの思想によってダライ・ラマの預言にしたがって、その特徴を備えた子どもを捜し出してきます。その子どもに試験を課して、確かにダライ・ラマとしての資質があるかどうか確かめます。まさに生まれ変わりに違いないということになると、徹底的に帝王教育が施されるのです。
こんなやり方だから、なるほど、450年もダライ・ラマが続いているんだなぁと思います。
長いので、今日の講義はこのくらい! ジャッ・ジャン!!
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受験はたいへん 講有考試

2008年06月05日 | Weblog
一昨日、昨日と恒例となっている本門佛立宗の上座教務(僧侶)の試験(講有考試)が行われました。
また、その採点を大勢のエキスパートにしていただきますが、これも今朝、終了しました。
大がかりで費用もかかりますが、佛立宗ではお金で僧階を取得する方法がないので、ふだんの布教・弘通活動の実績を参考にして、また、試験を実施して合格者のみが昇進することができるようになっています。
そして、採点には神経を使って厳密、公平を期して実行するので、私たち担当者も大変なんです。
お金で解決しないというのは、すごいコストがかかるということですね。
今回の試験では、もっとも難関とされている宗学の試験の受験者がもっとも多く、25名。そのうち、合格者は例年になく多いようです。
他の部門はそれぞれわずかなようです。
教務は行学二道に励むよう教えられていますが、実際、厳しいところがあります。
ふだんはお寺の種々雑多のご奉公、また、常に御法門―説法のために勉強し、その御法門を実際にお寺で、また、信徒宅での御講席で説きます。
なかなか教えのとおり、誰もが実践できませんから、その場合は、具体的にご信者一人ひとりと話して、少しでもご信心が前向きになり、信ずる心が強くなりお計らいを頂くようにいたします。
誰かが危機を脱した、お計らいを頂いた、幸せになって、その方が信心増進し、お寺に御礼に参詣し感謝されると、教務冥利に尽きます。
忙しい日常の中での受験ですから、試験をごく簡単にしてほしいという要望があるようです。私は担当者として極力、大勢の方が有利になるよう努力していますが、登竜門となっていると厳しさを求める意見も根強いようです。
今日で4日目、自坊はどうなっているのかな。少し心配です。





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