チベット仏教はダライ・ラマの知名度によって、その存在が知られるようになり、さまざまな国にその信奉者が現在はいます。
チベットに最初、仏教が入ったのは8世紀頃でした。
インドの龍樹菩薩、ナーガールジュナの流れを汲む中観派(ちゅうがんは)と呼ばれる仏教が普及しました。
この龍樹菩薩という方は八宗の祖師といわれる人で、超人的能力を発揮した方です。西紀150年頃の誕生で、本当に100歳頃まで長寿を保ちました。
この龍樹ボサツについては、私が学生の頃、その著書を研究テーマにしたので思い入れがあります。
さて、チベット仏教はその後、インドの密教が流入した結果、ずいぶん変質し堕落しました。と申しますのは、密教というのは釈尊がなくなって一千年以上経ってからできた経典による宗教で、インドの土着宗教であるバラモン教、今日のヒンドゥー教の影響を濃厚に受けています。仏教よりヒンドゥー教に近い宗教です。
この密教の経典の中には、男女の交わりを最高の修行として教えているものもあり、日本においても一時、その種の教えがはやり、禁止令が出ました。
名僧アティーシャという人が11世紀頃、現れて、それまでの堕落した仏教を改革しました。ついで14世紀にはツォンカパという大思想家の傑僧が現れて、新しい仏教、ゲルク派を成立させました。
その後、16世紀にチベットはモンゴルのアルダン・ハーンによって、その勢力下に収められました。しかし、チベット仏教に感化され、お寺を建立してソナム・ギャツォを住職として迎え、ダライ・ラマ(大海の師)の称号を与えました。
そして、偉大な学叢とされるダライ・ラマ5世ガワン・ロサン・ギャッツォ(1617-1682)の頃、モンゴルのグシ・ハンが、モンゴルを治めましたが、その後ろ盾を得て16422年に宗教上だけでなく、政治上のチベットの最高指導者となりました。その流れは今日も続いており、現在のダライラマ14世はインドに拠点を持つ亡命政府の元首の地位にあります。
大思想家のツォンカパが仏教の中でより所としたのは中観派の中の月称(げっしょう)という人の流れで帰謬論証派という系統の仏教です。
私も月称という人の「明らかな言葉」という本を読み、その研究をしましたが、とにかく理屈がすごい。正確な論理を駆使して、他の人の矛盾しているところを挙げて、そのあやまり、どこが間違っているか、そのような思考訓練を積み重ねるのです。
そのような理論が書いてある本をチベット仏教の僧侶は、子どもの頃から読み、勉強しますので、論争、ディベートにものすごく長けているのです。
おまけに亡命生活の長い、ダライラマはじめ坊さんはインドで英語を使います。そんなわけで、チベット仏教は欧米の人にも説得力があり、俳優・リチャードギアのような信者、シャロン・ストーンのようなシンパが現れてくるのです。
私たち佛立教務も、どこかに亡命したら英語が得意になるかも。
あと、ダライ・ラマの後継者は、生まれ変わりの思想によってダライ・ラマの預言にしたがって、その特徴を備えた子どもを捜し出してきます。その子どもに試験を課して、確かにダライ・ラマとしての資質があるかどうか確かめます。まさに生まれ変わりに違いないということになると、徹底的に帝王教育が施されるのです。
こんなやり方だから、なるほど、450年もダライ・ラマが続いているんだなぁと思います。
長いので、今日の講義はこのくらい! ジャッ・ジャン!!
チベットに最初、仏教が入ったのは8世紀頃でした。
インドの龍樹菩薩、ナーガールジュナの流れを汲む中観派(ちゅうがんは)と呼ばれる仏教が普及しました。
この龍樹菩薩という方は八宗の祖師といわれる人で、超人的能力を発揮した方です。西紀150年頃の誕生で、本当に100歳頃まで長寿を保ちました。
この龍樹ボサツについては、私が学生の頃、その著書を研究テーマにしたので思い入れがあります。
さて、チベット仏教はその後、インドの密教が流入した結果、ずいぶん変質し堕落しました。と申しますのは、密教というのは釈尊がなくなって一千年以上経ってからできた経典による宗教で、インドの土着宗教であるバラモン教、今日のヒンドゥー教の影響を濃厚に受けています。仏教よりヒンドゥー教に近い宗教です。
この密教の経典の中には、男女の交わりを最高の修行として教えているものもあり、日本においても一時、その種の教えがはやり、禁止令が出ました。
名僧アティーシャという人が11世紀頃、現れて、それまでの堕落した仏教を改革しました。ついで14世紀にはツォンカパという大思想家の傑僧が現れて、新しい仏教、ゲルク派を成立させました。
その後、16世紀にチベットはモンゴルのアルダン・ハーンによって、その勢力下に収められました。しかし、チベット仏教に感化され、お寺を建立してソナム・ギャツォを住職として迎え、ダライ・ラマ(大海の師)の称号を与えました。
そして、偉大な学叢とされるダライ・ラマ5世ガワン・ロサン・ギャッツォ(1617-1682)の頃、モンゴルのグシ・ハンが、モンゴルを治めましたが、その後ろ盾を得て16422年に宗教上だけでなく、政治上のチベットの最高指導者となりました。その流れは今日も続いており、現在のダライラマ14世はインドに拠点を持つ亡命政府の元首の地位にあります。
大思想家のツォンカパが仏教の中でより所としたのは中観派の中の月称(げっしょう)という人の流れで帰謬論証派という系統の仏教です。
私も月称という人の「明らかな言葉」という本を読み、その研究をしましたが、とにかく理屈がすごい。正確な論理を駆使して、他の人の矛盾しているところを挙げて、そのあやまり、どこが間違っているか、そのような思考訓練を積み重ねるのです。
そのような理論が書いてある本をチベット仏教の僧侶は、子どもの頃から読み、勉強しますので、論争、ディベートにものすごく長けているのです。
おまけに亡命生活の長い、ダライラマはじめ坊さんはインドで英語を使います。そんなわけで、チベット仏教は欧米の人にも説得力があり、俳優・リチャードギアのような信者、シャロン・ストーンのようなシンパが現れてくるのです。
私たち佛立教務も、どこかに亡命したら英語が得意になるかも。
あと、ダライ・ラマの後継者は、生まれ変わりの思想によってダライ・ラマの預言にしたがって、その特徴を備えた子どもを捜し出してきます。その子どもに試験を課して、確かにダライ・ラマとしての資質があるかどうか確かめます。まさに生まれ変わりに違いないということになると、徹底的に帝王教育が施されるのです。
こんなやり方だから、なるほど、450年もダライ・ラマが続いているんだなぁと思います。
長いので、今日の講義はこのくらい! ジャッ・ジャン!!