さいわい、わが遠妙寺には毎年、かなりの方が新しくご信者となられ、そのうちのほとんどの方が御本尊をいただき、熱心に礼拝、御題目口唱をされています。
ですから、何らかの形でご利益を頂かれ、幸せに暮らされるようになっています。
そこで、新しい方にしても古い方にしても、御講(信徒宅での法要、法席)の集りの折、体験談を発表していただきます。その中で、これはという方の体験談はビデオに映像化してお寺で春の門祖会、夏の開導会、秋の日蓮聖人御会式の時に、上映して参詣者の皆さんに見ていただくようにしています。
ただ、残念なのはせっかく、目の覚めるような御利益を頂きながら、しばらくすると御宝前に対する感謝の気持ちを忘れて、不平不満や見当違いのおかしなことを言って、参詣しなくなったり信心をやめてしまう人があることです。
もう、七回忌も終えた頃ですが、柳家小さん師匠が敬虔な仏教徒だったことは知る人ぞ知る所です。小さん師匠は、十歳の時に面疔になり、命が危ぶまれ、今の状態では手術ができないと、なかば医者にさじを投げられました。近所に中村さんという乗泉寺のご信者がいて、子さん師匠の両親に「それだったら乗泉寺に行ってご祈願しよう」と話しました。中村さんと師匠のお父さんがお寺に行き、徹夜で命が助かるようご祈願。その結果、手術ができるようになり、一命を取りとめたのでした。(中村さんは後年、得度して応岳師と呼ばれました)
小さん師匠は、「私は御法様に助けていただいた」といつまでも、その恩を忘れず、終生、ご信心を持ち続け、どんなに忙しくても朝夕の御宝前にお給仕、そして御題目口唱、お寺にも一人で歩いてお参りをさせていただいていたそうです。
名ばかりではなく、後のことは他のご信者にまかせたのですが、お教化もでき、自分の剣道場には、神棚ではなく南無妙法蓮華経の御題目の御本尊を奉安していたとのこと。
遠妙寺にも、小さん師匠のような方がいたらなぁ。恩義を忘れない方は大勢ありますが、お教化までできている方は少数派ですね。中には、すっかり御法様のことを忘れて、サヨナラ信者があることは嘆かわしいことです。
まっ、しょうがないですね。負けずに頑張ります。
(写真は日刊スポーツより)
ですから、何らかの形でご利益を頂かれ、幸せに暮らされるようになっています。
そこで、新しい方にしても古い方にしても、御講(信徒宅での法要、法席)の集りの折、体験談を発表していただきます。その中で、これはという方の体験談はビデオに映像化してお寺で春の門祖会、夏の開導会、秋の日蓮聖人御会式の時に、上映して参詣者の皆さんに見ていただくようにしています。
ただ、残念なのはせっかく、目の覚めるような御利益を頂きながら、しばらくすると御宝前に対する感謝の気持ちを忘れて、不平不満や見当違いのおかしなことを言って、参詣しなくなったり信心をやめてしまう人があることです。
もう、七回忌も終えた頃ですが、柳家小さん師匠が敬虔な仏教徒だったことは知る人ぞ知る所です。小さん師匠は、十歳の時に面疔になり、命が危ぶまれ、今の状態では手術ができないと、なかば医者にさじを投げられました。近所に中村さんという乗泉寺のご信者がいて、子さん師匠の両親に「それだったら乗泉寺に行ってご祈願しよう」と話しました。中村さんと師匠のお父さんがお寺に行き、徹夜で命が助かるようご祈願。その結果、手術ができるようになり、一命を取りとめたのでした。(中村さんは後年、得度して応岳師と呼ばれました)
小さん師匠は、「私は御法様に助けていただいた」といつまでも、その恩を忘れず、終生、ご信心を持ち続け、どんなに忙しくても朝夕の御宝前にお給仕、そして御題目口唱、お寺にも一人で歩いてお参りをさせていただいていたそうです。
名ばかりではなく、後のことは他のご信者にまかせたのですが、お教化もでき、自分の剣道場には、神棚ではなく南無妙法蓮華経の御題目の御本尊を奉安していたとのこと。
遠妙寺にも、小さん師匠のような方がいたらなぁ。恩義を忘れない方は大勢ありますが、お教化までできている方は少数派ですね。中には、すっかり御法様のことを忘れて、サヨナラ信者があることは嘆かわしいことです。
まっ、しょうがないですね。負けずに頑張ります。
(写真は日刊スポーツより)