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とてつもなくミーハー。夢見るのはお気楽生活

捨てられないもの

2006-06-25 09:42:03 | 日々のこと
うちの地域では「雑誌や紙類」などのゴミは毎週水曜に集荷してくれます。

で、水曜がくる度に「捨てよう」と思いながら、結局「思っただけ」で捨てることができないものがあるのです。

それは


「月刊ジャイアンツ」



わははは~。
何を隠そう、私は昔、熱狂的な「ジャイアンツファン」だったのです!!

1979年から1986年までの間、私はジャイアンツのファンで、「月刊ジャイアンツ」と「週刊ベースボール」を購読していたのです。

好きな選手は中畑清!
「絶好調!」とか言いながら、好調じゃないことも結構ある波のある選手でしたが、おごらない性格が大好きでしたねえ。両親と同じ福島県出身ということもあって応援していたのかも知れません。
それから、結局はジャイアンツから出されてしまったのですが、山本功児(最近は千葉ロッテマリーンズの監督をやっていましたよね。あまり出場させてもらえませんでしたが、才能ある選手だったんです)と鈴木康友(昔は素敵だったんです…)が好きでした。

あの頃はジャイアンツファンでしたが、他球団にも魅力的な選手がいっぱいいました。
近鉄の監督やNHKの野球解説をしていた、コンニャク打法(笑)で有名な梨田昌孝、阪急の盗塁王福本豊、阪神の真弓明信、ランディ・バース、広島の鉄人衣笠祥雄、ヤクルトの若松勉、松岡弘…。職人っぽいプレイをする選手が好きでした。ジャイアンツの篠塚利夫なんかは守備も打つ方も巧かったですねえ。
当時のジャイアンツは今よりずっと強くて、その巨人を倒そうと闘志をむきだしにしている、星野仙一なんか敵ながらあっぱれって感じでした。
広島の津田恒実もいい選手でしたね(彼が亡くなったのを知った時は泣きました…)。彼は星野ほどではないですが、結構内なる闘志を秘めて投げていたと思います。

だんだん面白い選手が少なくなってきて(サラリーマン化しているというか)、野球に魅力を感じなくなったので、私のジャイアンツのファン暦は8年くらいで終わってしまったのですが、それでも黄ばんでぼろぼろになった雑誌を、捨てることがなかなかできないんですよねえ。当時は本当に彼らを愛しておりましたから(笑)。

高校時代、授業中にノートに中畑の絵を書いていたら先生に見つかり「何しているんだ!」と怒られたこともあります。でも先生はノートを見て「お。中畑だな。なかなか巧いじゃないか」って言ったのです。いい気になって、その後も見つからないようにこっそり書いてました。
デザイン学校に通っていた頃に出された、課題のモチーフは「ジャイアンツの選手」ばっかり使いました。でも先生に「好きなものだとやっぱり力の入れ具合が違うねえ。他のもこれくらい出来たらすごいんだけど」と褒められました。他のモチーフの時はけちょんけちょんにけなされていたのです。
私の機嫌は「ジャイアンツが勝ったか負けたか」に左右されました(笑)。サヨナラ負けの時は最高に気分が悪くて、結構人に八つ当たりしましたね。


来週こそは捨てよう!と毎週思いながら、結局部屋のすみにつんだままの「月刊ジャイアンツ」。
思いきりよく捨てられる日が、果たしてくるのかしら……。
コメント (4)
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