駒込の吉祥寺 2020年10月16日 | 東京のお散歩 駒込の曹洞宗寺院諏訪山吉祥寺。太田道灌の時代、長禄二年(1458)に江戸城内西の丸に創建されました。和田倉(現在の皇居和田倉門付近)の諏訪神社の社地にあった井戸から吉祥と刻された金印を見つけた事から、吉祥寺と号されました。その後、家康の入府の際に駿河台西縁(現在の水道橋駅付近)に移り明暦の大火によって現在地駒込に移りました。武蔵野の吉祥寺は、明暦の大火で焼け出された門前の人たちの移住先で当時牟礼野と呼ばれた武蔵野を、玉川上水を利用して開墾しこの新田を吉祥寺と名付けました。
茗溪 駿台 2020年10月15日 | 東京のお散歩 茗渓とか駿台という響き、なんとも風流です。御茶ノ水駅付近の神田川は、江戸時代に人工的に開削されたもので仙台藩の普請によって開通したため仙台堀とも呼ばれています。中国の赤壁にも擬えられるほどの谷で、風流人らに愛され茗(酒に酔うとか茶という意味)渓と呼ばれるようになりました。もともとは地続きの台地で、家康の江戸入府の際に駿府から同行してきた譜代の家臣がこの付近に屋敷を与えられ駿河台と呼ばれるようになりました。江戸城からも近く、また当時は富士山も望めました。(明治大学の校歌にも「霊峰不二を仰ぎつ」とあります)この駿河台がいつしか短縮され、駿台と呼ばれるようになりました。駿台予備学校(法人名は駿河台学園)、や駿台学園(現在は王子にあります)、明治大学の学内組織の名前として、駿台の名が活きています。(住居表示としては千代田区神田駿河台)
大崎 三木の道標 2020年10月13日 | 東京のお散歩 JR大崎駅の南、三木台地から目黒川の低地に下り始める四辻に大正六年の銘のある道標が遺されています。四面にはマエ オホヰ道(大井)マエ ヘビクボ道(蛇窪)マエ キリガヤ道(桐ヶ谷)マエ オホサキテイシャバ道(大崎停車場)と刻されています。江戸時代には、この四辻が江戸市中朱引きの境界線となっていてここより東側の低地、南品川宿二日五日市村が朱引内(広義の江戸市内)西側の南品川宿枝郷が朱引外となっていました。大正六年銘道標
品川 貴船神社 2020年10月12日 | 東京のお散歩 大崎駅から10分弱歩いた高台の細い道に鎮座する貴船神社。和銅二年(709)藤原伊勢人(藤原不比等の曾孫、従四位下治部大輔)が南品川宿三木の現在地に創建した、たいへん古い神社です。当初は貴布禰大明神と称し、水神として崇められてきました。貴布禰大明神は東海道近くに遷座し後に荏原神社となりましたが旧社地(現在の貴船神社)でも引き続き三木の鎮守として崇敬され例祭の折に品川神社(牛頭天王社)の御神体を奉遷し祀っていました。江戸時代享和三年(1803)、貴船神社と改め、現在に至っています。祭神は高龗神(龍神)、素盞嗚尊
DORAEMON-GO! 2020年10月11日 | 鉄道 西武鉄道では10月8日から、ドラえもんの連載開始50周年を記念して8両編成の30000系電車1編成に、ドラえもんっぽいラッピングをして西武新宿線を中心に運行を開始しました。余談ですが私はてんとう虫コミックス1巻あたりのドラえもんが大好きです。
お札と切手の博物館 2020年10月08日 | 東京のお散歩 王子駅から徒歩5分、独立行政法人国立印刷局王子工場に付属して「お札と切手の博物館」が開かれています。もともとは市ヶ谷の大蔵省印刷局敷地内にあったものが、悪名高い事業仕分けによって休館になり、平成二十三年(2011)に王子工場に移転開館したものです。王子は古くから紙の街でもあり、また南側の飛鳥山には初代紙幣頭であった渋沢栄一(澁澤榮一)が居を構えるなど考えようによっては、お札に縁深いこの地に開館することになった事業仕分けに感謝すべきですかね。なお渋沢邸近くには、印刷局東京工場(旧滝野川工場)もあり工場見学は東京工場で受入れています(要事前予約)東京都北区王子1-6-1月曜休館 9:30~17:00入館無料
江戸と東京の混ざる風景 2020年10月07日 | 東京のお散歩 芝浦。古くから漁師町として市場なども建っていたあたりの沖合を前回の東京オリンピックに合わせ開業した「未来の交通機関」モノレールが高層ビルの間と、昭和時代の埋め立てで出来た運河の上をくねるように進んで行く。棒手売の魚屋だった勝五郎は、この辺りで黒革の財布を拾って(落語「芝浜」)バブルの時代には羽扇子持ったボディコンねーちゃんが闊歩していた虚実ともども富の象徴的な街でもありますね。
本郷 櫻木神社 2020年10月06日 | 東京のお散歩 地下鉄丸ノ内線本郷三丁目駅近く、春日通りに面して鎮座する桜木神社。15世紀後半の文明年間、太田道灌が北野天満宮から菅公の御分霊を勧請し江戸城内に創建したのが始まりで、徳川秀忠の時代に桜馬場へ遷座しました。桜馬場は、現在東京医科歯科大学が建つ御茶ノ水駅北側にありました。綱吉の時代、ここに昌平坂学問所(湯島聖堂)が設置されることになり再び遷座することになり、本郷真砂町の現在地に遷りました。
北とぴあ展望台から、すぐ下を見てみた 2020年10月05日 | ご近所 王子稲荷と、その別当寺であった江戸時代の将軍の御膳所、金輪寺。そして田中角栄の出身校でもある中央工学校。王子は昔から権力者に好かれやすい場所なのかもしれない。
金木犀 2020年10月03日 | 季節 金木犀(キンモクセイ)の香りが、街を包む季節になりました。この香りを嗅ぐと、学生時代の学祭や体育祭を思い出します。学校帰り、金木犀の香りのする少し冷たくなった風にあたりながら仲間とふざけあった日々が、ついこの間のように思い出されますがもうあの日々から四半世紀も経ってしまったんですね……
根付かなかった 2020年10月02日 | 徒然 都電荒川線。いつの間にか「東京さくらトラム」なんて愛称がついて、都電の都の字も書かずに案内板など出すようになっていましたが都営バスや都営地下鉄三田線の乗務員・駅員はたまた都電の人までもが今までどおり「都電荒川線」と呼び続けた結果……公式までもが都電荒川線の名前をまた大々的に使うようになりました。JR東日本の旧国電区間を「E電」と呼ぼうとしたり振り込め詐欺を「母さん助けて詐欺」と言おうとしたように黒歴史になりつつあります。