もうそろそろ終り

2011年08月16日 | 徒然
3月の大震災のあと
富士山が噴火するだの爆発するだの言われていたものの
噴火の予兆もなく日本のシンボル富士山は
今日も美しい姿を見え隠れさせています。

今年も多くの登山客を迎えた富士山も
8月の折り返し地点を過ぎて
そろそろ山終いが近づいて参りました。

例年、お盆を過ぎると
登山客の数はいっきに少なくなります。

夜の富士山を彩る
山小屋と登山客の灯りの列は
そろそろ見納めです。

来年も同じような景色が見られますように。
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200円

2011年08月15日 | グルメ
小田急線豪徳寺の駅前、東急世田谷線の山下駅へ向かう
小さな商店街の一角にある
満来というラーメン屋…というより
「中華そば屋」がある。




ここのラーメンの値段は
なんと200円!(並、税込)

昔ながらの、弱く縮れた麺のあっさりしょうゆ味。

最近流行のラーメン店のような味ではなく
まさに基本に忠実な飽きのこないおいしさは
値段もさることながら、これからも作り続けていってもらいたい
そんな逸品です。


あ、書いていてまた食べたくなった。

ウチから片道300円以上かけてでも
食べに行きたくなる味です。

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新・新東京百景?

2011年08月14日 | 
スカイツリーをバックに走る都電。

都電の車窓からスカイツリーが見えるのは
熊野前と荒川区役所前周辺だけのようです。

この風景、絵葉書のネタなんかにいかがでしょうか。

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三ノ輪橋

2011年08月13日 | 
都電荒川線の始発駅、三ノ輪橋。
下町風情の残る商店街の一角
古い建物をくぐり抜けたその奥に
都電の乗降場がある。

真夏の昼下がり。

都電の乗客はいつもの顔ぶれではなく
観光客でいっぱい。

普段、通勤客として乗っていると忘れがちだけど
この路線は東京が誇る立派な観光資源なんだな。
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たけくらべ

2011年08月12日 | 徒然
スカイツリーも
かなり出来上がってきました。

高さ634m。
世界一の高層建築はドバイの「ブルジュ・ハリファ」の828mですが
地震大国日本でこの高さは技術力の高さの証でもありますね。
ちなみに、「ビル」ではなく「塔」としてみると
間違いなく世界一の高さになります。

3月11日の震災では
地盤の決して良くはない下町のこの場所にありながら
破損・事故が一切なかったことで
図らずも耐震性の証明が出来てしまいました。

同じく地震国の台湾にも509mの臺北101(熊谷組 J.V)がありますが
建設中の2002年3月に発生した台湾北部地震(M7.1)で
クレーンが落下する事故が発生しています。
(東日本大震災よりも、震源地に近かったため
 スカイツリーよりも大きく揺れたものと推測される)

エレベーターに関しては
臺北101が東芝、スカイツリーが東芝と日立が受注しています。
ちなみに、故障が多いとされるブルジュ・ハリファのエレベーターは
アメリカのO社のエレベーターです。

麓の環境の問題などもまだまだ山積ですが
オープンまで1年を切ったスカイツリー。
これからますます観光客が増えて
東京の経済活性になればと思います。


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併用軌道

2011年08月11日 | 
都電荒川線は「路面電車」ではあるけれど
実際に自動車との併用軌道を走る区間は
非常に短い。

道路上を走っていても
都電軌道内は自動車進入禁止になっている箇所がほとんどで
実際には王子駅前~飛鳥山の明治通りだけが併用軌道区間となっていて
巣鴨新田~大塚駅前の自転車置き場脇のほんの数メートルだけは
生活道路と一緒になっている便宜上の併用区間となっている。


王子駅前から飛鳥山にかけては
国道122号線(明治通り:環状第5号線)の中央線を挟んで
都電荒川線の上下線が走っていて
この区間は路線バスも運行している。
(かつてはトロリーバスもこの区間を運行していた)

王子駅前の停留所と明治通りは、ほぼ直角に位置していて
都電はここを半径18mという急カーブで曲がっている。

東北本線のガードをくぐると
左にカーブしながら飛鳥山の傾斜を上っていくのだが
ここは66パーミルという急勾配。
渋滞時は坂道発進しながら運行するという都電屈指の難所。

この区間の力走を見ていると
都電の逞しさを感じずにはいられない。

できれば昔ほど出なくてもいいから
もっと路線が延びると便利でいいんだけど…
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水路

2011年08月10日 | 
都内はもともと海だった場所の埋め立てと
その海に浮かぶ島と、台地とそこを流れる川が削った谷に
街が形成されている。

特に中央区周辺は海運の為の水路が発達していたために
網の目のように川が流れていた。

その川たちは
高速道路によって蓋をされてしまったり
暗渠になってしまったり
果ては完全に埋め立てられてしまった川もある。

そんな川跡を
古地図片手に辿ってみるのも
いろいろな発見があって楽しい。
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夏景色

2011年08月09日 | 徒然
暦は立秋を過ぎて
暑さの名称は「残暑」になったわけですが
立秋前にも増して暑くなったような気がします。


東京地方は
天気予報で言われているほど
いわゆるゲリラ豪雨に遭遇していません。

まぁ、それはそれでいいことなんですが…

日曜日の雷雨は築地で遭遇しました。
普通の夕立程度でしたが
練馬では停電で電車が止まったようですね。

いずれにしても
早く涼しくなってほしいものです。
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徒歩120分

2011年08月08日 | 徒然
日本橋から始まる各街道。
最初の宿場は品川、千住、内藤新宿、板橋。

その板橋(というか自宅)まで
歩いてみると約2時間かかります。


江戸時代の人びとと体格に差はありますが
現代では信号待ちという厄介なロスがあるので
当時とはそれほど時間差はないかと思います。

大停電や交通機関の麻痺でも
これくらいなら歩いて帰るのも苦にはならない距離ですかね。
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日本橋と食べ物の話

2011年08月07日 | 徒然
日本橋は老舗が多く残る街ゆえ
「いいモノ」が手に入る(胃に入る?)わけです。

愛用のメガネも1615年創業の日本橋室町・眼鏡舗村田長兵衛商店製のもので
このこだわり(というか浪費?)は、どうやら母方の家系の遺伝のようです…。


さて、近代において日本橋発祥のグルメといえば
「ハヤシライス」。
丸善の早矢仕有的が云々という薀蓄は省略しますが
まぁ、そんなわけで丸善やら千疋屋やら
グルメ垂涎の店が立ち並んでいるわけですよ。



目新しいところだと
コレド室町にはいっている箔座という金沢の金箔屋。
ここでは金箔入りのお菓子やお茶が愉しめます。




奈良のアンテナショップと島根のアンテナショップが
三越の向かいにあって
奈良の店では、かの有名な「奈良県職員・せんとくん」が出迎えてくれます。
奈良の特産品の吉野葛と柿で作った「柿こーり」。
さっぱりした甘さで、何個でも食べられそうです。
と、思ったけど1個食べたら結構冷えた:(;゛゜'ω゜')




手土産にはイ(にんべん)か山本海苔店。
特に山本海苔店のお茶をいただきながら商品を待つスタイルは
なんとなく於大尽ぽくていい気分。
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エレベーターも乗り物です

2011年08月06日 | 
毎日、何気なく乗っているエレベーター。

これも、ちゃんとした乗り物なわけで
現に管轄は国土交通省なのです。
世の中に乗り物好きな人は多いのでしょうが
その中にエレベーター好きという人も意外といるようで
いろいろと乗り歩いている人もいるらしいです。


さて、
日本橋高島屋のエレベーターは
そんな趣味人には有名な
いや、そんな人でなくても知っている
「手動運転式」のクラシックエレベーターで
いわゆるハンドル操作によって運転されるカゴなのです。

見た目だけでも
内扉が格子型というクラシカルなタイプなのですが
ハンドル操作式となると
すでに国内にはあまり残ってはいないと思われます。

このハンドル操作によって
乗り心地が大きく変わるらしく
エレベーターガールは乗客数などを考えた上で
操作をするとの事。
そしてその緻密な職人技とは裏腹の、素敵な笑顔で
今日もデパートの中を上下しています。
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日本橋の傷

2011年08月05日 | 
日本橋川に架かる日本橋。
日本道路元標のある、いわば日本の道路の中心。

慶長8年(1603)年に最初の木製の橋が
人工の日本橋川(当時は道三堀)に架けられて以来
江戸五街道の起点として
また江戸一番の繁華街としてこの橋を中心に栄えてきました。

現在の花崗岩製の石造二連アーチ橋は
明治44年(1911年)に架けられた19代目の橋。

ということは、関東大震災も、太平洋戦争も、東京オリンピックも
東日本大震災もすべて見てきたことになります。

そんなこの橋に、太平洋戦争の記憶がしっかりと残されています。
機銃掃射の痕と、焼夷弾の痕。

2010年にケミカルクリーニングによる洗浄再生が行われ
白い美しい姿を取り戻しましたが
焼夷弾によって焼け焦げた痕はそのまま残されたとのことです。

高度成長期に失われた空は
いつか帰ってくるのかもしれませんが
戦争によって焼かれてしまった石の白さは
二度と帰ってはこないのです。
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日本橋の名水

2011年08月04日 | 徒然
飲み水の利の悪い東京。
江戸時代には玉川や千川、三田といった「六上水」を
整備しなければならないほどに飲み水の利がわるかった東京だけれども
そんな中で江戸市中最大の、というよりも近世において
世界最大級の繁華街日本橋のど真ん中に
「名水」が存在していたのです。


白木屋は1600年代後半に開店した
大丸(大丸)、越後屋(三越)と並ぶ「江戸三大呉服店」で
維新以降も大正期には三越、高島屋、松坂屋、松屋と
「五服会」を組んでいた老舗。

ソニー発祥の店でもあり(白木屋の店舗の一角からソニーはスタートした)
また、女性の服飾史に大きな変革を齎した事件も有名な店です。

1712年(正徳2年)に2代目大村彦太郎によって井戸が掘られ、
以来江戸市中に広く「白木名水」と呼ばれていたそうです。

すでに井戸は失われ
百貨店として営業していた東急百貨店も10数年前に閉店しましたが
涼しげな良水の名残を偲ばせる石碑がコレド日本橋アネックスに建っています。
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漱石

2011年08月03日 | 徒然
日本橋界隈は夏目漱石の作品に何度となく描かれている。

「我輩は猫である」「三四郎」「こころ」などに
たとえば白木屋(居酒屋ではない)であるとか
路地にあった寄席だとか料理屋だとか…

今でこそオフィス街になってしまったこの町も
明治までは確かに江戸から連綿とつづく
世界屈指の繁華街だったわけで
現在の日本橋○○町をすべてひっくるめて
日本橋の賑わいだと考えれば
それは相当な広さをもった繁華街だったことがわかる。

漱石の碑は
たいめいけんの側の
白木屋があった場所に建てられている。
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ニッポンの(はない)祭り 詳細 サンバの巻

2011年08月02日 | 徒然
ラテンのノリ、いいっすね~!!

浅草のサンバカーニバルは
ずっと昔に1度行ったきりで
そのころはサンバが何たるかも知らなかったので
今回はある意味ではじめてのサンバでした。

それにしても
狭い商店街の通りを
楽団とダンサーがパレードをする光景は
そこそこの広さがある通りでやる浅草のサンバよりも
より賑やかな感じがします。


ただし山車がないのがちょっと寂しいかも。


震災の影響で、中止にしようか迷ったらしいこのカーニバル。
でも、
何でも「自粛」ではよくない!
この祭りからニッポンに元気を届けたい!
と、都内の小さな区の小さな(でも、とても元気な)商店街が下した決断は
間違っていなかったと思う
そんな賑やかなカーニバルでした。
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