日本において、砂防の重要性をいち早く説き、砂防の神様と呼び称された赤木正雄博士の像。
赤城正雄博士は明治二十年(1887)に現在の兵庫県豊岡市に生まれ、新渡戸稲造校長時代の東京帝國大農科大学を卒業しました。
このときの新渡戸の訓示から、治水砂防事業に生涯を捧げることになったと言われています。
内務省入職後、自費でウィーンに留学しヨーロッパの現場などで学び、帰国後は京都帝国大学農学部などで、教鞭も執っています。
昭和四十七年に亡くなりましたが、その際に死没日を以て勲一等瑞宝章が追贈され、従三位に叙されました。
これを記念して、砂防会館と生地豊岡市に、博士の銅像が建立されました。