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成田山新勝寺 光明堂と額堂

2018年05月09日 | 千葉のお散歩
新勝寺奥の院に建つ光明堂と額堂は、江戸時代に建立された重要文化財です。

光明堂は元禄十四年(1701)に建立された、釈迦堂より一代前の本堂で
現在は大日如来、愛染明王、不動明王が奉安されています。

光明堂の手前に建つ額堂は、文久元年(1861)の建立で、信徒から奉納された
扁額や絵馬などを納める建物のため、壁のない四阿の様な造りになっています。



成田山新勝寺 釈迦堂

2018年05月08日 | 千葉のお散歩
新勝寺大本堂の右手、参拝者にとって左側に建つのが
安政五年(1858)に建立された重要文化財の釈迦堂です。

現在の大本堂が建立される前の本堂で、昭和三十九年に
現在の場所へ移築されました。

釈迦堂の名の通り釈迦如来像と、普賢菩薩、文殊菩薩、
弥勒菩薩、千手観音菩薩像が奉安されています。


成田山新勝寺薬師堂

2018年05月05日 | 千葉のお散歩
成田山薬師堂は、もともと新勝寺境内にあった1655年(明暦元年)建立の旧本堂で
江戸時代末期(嘉永・安政年間)に現在の飛び地に移された御堂です。

平成二十三年から2年がかりで修復作業が行われたこの薬師堂は
初代市川團十郎(以下 団十郎)が子授祈願をし、成就させた縁から
団十郎家が「成田屋」の屋号を名跡とするようになった御堂です。

もともと初代団十郎の父、堀越重蔵は成田近傍の出身であり
その縁から祈願をしたとされています。
祈願成就の報謝に、山村座で「成田不動明王山」を演じたところ
大向うから「成田山」の声が掛かり、これが歌舞伎における屋号の最初になりました。

以降、「成田屋」は市川宗家の屋号となり、現在に至るまで
市川団十郎、市川海老蔵と成田山の関係は続いています。







成田山新勝寺

2018年05月04日 | 千葉のお散歩
天慶三年(940)に朱雀天皇の勅命によって、平将門の乱平定祈願のため
寛朝大僧正によって開山され、乱の平定後に朱雀天皇より寺号を賜ったのが
成田山新勝寺の開山起源です。

御本尊の不動明王は、弘法大師空海によって開眼されたものです。








大多喜城

2017年05月30日 | 千葉のお散歩
大多喜城は、房総半島中部夷隅郡大多喜町にある城跡で
16世紀初めに小田喜城と呼ばれる城があった場所に
天正十八年(1590)、それまで治めていた里見氏に代わって
徳川家康支配下となり、徳川四天王の一人、本多忠勝が入城し
今日の大多喜城の基礎となったとされています。

小田喜城と大多喜城については、その連続性や曲輪の構造
位置関係など不明な点が多く、大多喜城となった後も
領主の転封や焼失、荒廃によって建物に関して詳細はわかっていません。

現在、天守として復元されている建物がありますが
実際に天守が存在していたのかも含め、わからないことが多い
考古学調査のし甲斐のある城跡のひとつです。