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3.11 被災地のある海鮮の店にて

2017年03月11日 | 
今日で東北地方太平洋沖地震から6年。
あの津波で亡くなった方のご遺族にとっては七回忌です。

現地に足を運んで思う事。
復興は徐々にではあるけれど、進んでいるように思えること。
一方で、未だ架設住宅に住んでいる方が多くいる事、
東京電力の事故の影響が収まらず、デマを流す者も多い事。

でも、被災地の人たちは、元気に頑張っています。
「いつまでもクヨクヨしてても、しょうがないでしょ」
気仙沼の商店街で訊いたこの言葉の力強さが
果たしてこの場所にレンズを向けていいのか?
シャッターをきっていいのか?
という疑問に、明確な回答を与えてくれました。

でも、今は撮ってる場合じゃない。
目の前にある旨そうな物を、今すぐ口に運ぶべきなのだ。


(画像は陸前高田の奇跡の一本松)

熱海駅前

2016年12月06日 | 
子どもの頃から毎年家族で遊びに来ていた街、熱海。
駅は、40年という月日の中ですっかり変わりましたが
駅前の商店街は、あまり変わっていないような気がします。

一時、観光客も激減してしまいましたが、熱海市の努力で
少しずつ客足が伸びてきていると聞きます。

バブルの頃は、忘年会だけのために熱海へ来て泊まって宴会!
なんて事もあったんですけどね…。

そんな熱海。今でもたまに行きたくなる場所のひとつです。


TRAIN SUITE 四季島

2016年09月14日 | 
JR東日本が、来年5月から運行するクルージング列車「四季島」。

高額なツアーながら、列車設備の豪華さなどから、
運行初日ツアーの申し込み倍率は76倍、平均倍率は6.6倍と
今から非常に人気のある列車のようです。

乗ってみたいもんですが、一番安いプランでも30万円。
(最上級のプランは95万円)

見るだけで充分です…。


大阪城

2016年08月20日 | 
大阪は、小学生の頃から年に1回は行っていた場所。

正月の京都への家族旅行の帰りに必ず寄っていた。

中学・高校時代には、毎年7月に部活のコンクール
(全国高等学校ギターマンドリンフェスティバル)
で、遠征していた。

大学時代と社会人になってからは、撮影旅行などの拠点にしていたし
転職してからは、イベント屋のようなものだったので
イベント毎に出張していた。

フリーになってからは、思いついた時に行ける場所になって
釜ヶ崎(いわゆる「あいりん地区」)あたりもブラブラしたこともあるけれど
未だに行ったことのない場所がある。

それは大阪城。

城好きのくせに行ったことがないというのもなんだけど
なんとなく大阪城へは足が向かない。

今日まで、大阪城は環状線の車窓から眺めるだけ。


沖縄 慰霊の日

2016年06月23日 | 
今日は、沖縄にとって特別な日です。

昭和二十年の今日、沖縄における組織的戦争が終結しました。

沖縄では休日ですが、内地では平日です。

6月23日と8月15日は、国民の休日とすべきかなと思います。
(6月と8月には祝日がないですからね…)


消えてゆく急行列車

2016年02月24日 | 
北海道新幹線の開業で、消えてゆく列車があります。

札幌と青森を約7時間半で結ぶ、夜行列車「はまなす」号です。
JRで唯一の客車を使った夜行急行列車で、寝台車と座席車、カーペット車の
3種類の席で運行されています。





北海道新幹線が開業する来月26日に先立って、札幌発20日、
折り返し青森発21日の便を最後に廃止になる予定です。

旅情のある列車がまたひとつ消えてしまいますが、これも時代というものでしょう。

なお、列車から見ることができた、青函トンネル最深部のライトも
新幹線化に伴って廃止となっています。


八幡の藪知らず

2015年10月02日 | 
千葉・市川市役所の斜向かいに、不知森(しらずもり)神社という、藪に囲まれた祠があります。
祠の周囲の藪は立ち入ることができず、古来から禁足地とされています。



一説には、一度この藪に立ち入ると、二度と出てくることができないとされ
神隠しの伝承地となっています。

現在の藪自体は縮小してしまい、恐らくは出てこれない事もないとは思われますが
今でも拝殿の一角以外へは立ち入る事が出来なくなっています。

(不知森神社)

禁足地である所以は、日本武尊の東征における陣屋という説や、平将門の墓であったという説、
徳川光圀が立ち入って出てこられなくなった説や、地形に由来する伝承、
入会地であったため立ち入れなかった説や、遷座以前の葛飾八幡宮の旧地であった…
など諸説ありますが、どれも科学的にも文学的にも根拠に乏しいようです。

(現在の葛飾八幡宮は、京成線の線路を挟んだ反対側にある)

碓氷峠と新幹線

2015年10月01日 | 
最大の難所でもあった碓氷峠を走っていた普通鉄道が廃止になって
新幹線がトンネルで一気に通過するようになって18年が経ちました。

(碓氷峠に挑む信越本線)

その新幹線も、長らく長野止まりだったものが今年、北陸まで開通しました

(軽井沢)

(善光寺)

富山や金沢も、東京から近くなりましたが、時間をかけてでも行く楽しさが減ってしまい
有り難みがなくなってしまった感じは否めないような気がします。

(金沢駅)

(金沢城)

(北陸新幹線)

あおもり

2015年09月26日 | 
彼岸を過ぎると、北東北は短い秋の本番。
澄んだ青空と、濃紺の穏やかな海が美しい季節です。



八甲田も、もうじき雪化粧をまとい、冬がおりてきます。

厳しい冬の前の穏やかなひと時は
凛とした風に包まれながら、過ぎてゆきます。



葉山しおさい公園

2015年08月31日 | 
天皇陛下ご一家が、厳冬期にご静養のために訪れる葉山御用邸。
その葉山御用邸に隣接して、葉山しおさい公園があります。



葉山しおさい公園は、もともと岩倉具定らの別荘地であった場所で
大正六(1917)年に、当時1歳半であった澄宮(三笠宮崇仁親王)邸として買い上げ
2年後に竣工した御用邸の附属邸地でした。

(御車寄の残る博物館)

大正関東地震(関東大震災)で、御用邸本邸が損傷し修復中だった大正十五(1926)年八月、
大正天皇は、ご静養の甲斐虚しくこの附属邸地で崩御あそばされます。

(しおさい公園から御用邸まで、クロマツ林と海水浴場が続く)

即座に皇太子で摂政宮であった裕仁親王が駆けつけ
皇室典範に則り間も無く剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)をこの地で行い
同日中に裕仁親王は第百二十四代天皇として践祚されました。

この、昭和のスタート地点となった場所が、昭和天皇が最初の吐血をされた六十二(1987)年に、
つまり昭和の晩年に、しおさい公園として開放されました。








北斗星

2015年08月23日 | 
昭和六十三(1988)年の青函トンネル開業とともに運行を開始した
東京と札幌を結ぶブルートレイン「北斗星」号が、
今朝、上野に到着した上り8008列車を最後に、その27年間の運行を終えました。



運転開始当初は、1日3往復(定期便2、季節列車1)が設定され、
そのほかにも臨時列車が運転されるなど、ブルートレイン斜陽期においても
集客力のある列車でしたが、東北新幹線の延伸やそれに伴う東北本線北部の3セク化、
航空業界の自由化による新千歳便の低価格化などで、北斗星も便数を減らし
青函トンネルの新幹線化工事と客車の老朽化もあり、運行終了となりました。



昔日の上野発着の夜行列車のような、「夢を抱いて上京」とか
哀愁のこもった列車ではなく、北の大地への夢を運ぶ「贅沢な旅」という
そんな雰囲気列車だったような気がします。

近年は、全室個室のまさに「豪華寝台列車」カシオペア号も運行され
北斗星は前述のように車両老朽化という追い打ちもありましたが
それでも、いつでもチケットの取りにくい人気列車でありました。

北斗星の運行終了は、ひとつの時代、おそらくそれは昭和という時代の
残照が消えた瞬間なのかもしれません。


雨上がりの川

2015年07月10日 | 
梅雨の晴れ間、川には昨日降った雨が音を立てて流れる。



いつもより水量の多い川は、涼しい風を夏の太陽の下に運ぶ。

石神井川は小金井市を端にして神田川へ注ぐ川。
流れる水は流域の西東京市や練馬区、板橋区の水を集めて北区へ流れる。

水の旅って、なんとなく冒険心をくすぐる。

(石神井川稲荷橋から)

華頂宮

2015年06月28日 | 
鎌倉の谷戸には、数々の古刹がありますが、その中で異彩を放つのが
ハーフティンバーの建物、旧華頂宮邸です。





昭和四(1929)年に華頂博信侯爵の邸宅として建てられたものです。
華頂博信侯爵は徳川慶喜を祖父に持つ伏見宮博恭王の三男で、
海軍少尉であった20際の時に臣籍降下しました。
その二年前に兄である華頂宮博忠王が薨去されたことで
断然していた華頂宮家の祭祀を継承する侯爵華族として、華頂の家号を賜わりました。

なお華頂博信は、旧皇族の離婚第一号という不名誉な称号も持っています。