明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



確固たるイメージも浮かんでいないのにトライするには、考えるな感じろだ、といいつのるしかなかったかもしれない。それは心構えのつもりでいっていたが、今に至り、私の解釈では、それこそが寒山拾得のメインテーマということになる。「ブルース・リーの考えるな感じろの後になんて続くか知ってるか?」いう友人に、「知ってるに決まってるだろ、じゃなかったら月を指す寒山を作るかよ。」といっておけば良かった。 考えなければ考えないほど、考えたかのように、あるいは客観的存在が上から観ていて絵図を描いたかのような結果となる。こんなことが頻繁に起きるので、もはや当たり前になっている。寒山は8割は乾燥が進んだので、月指す左手と巻物を持つ左手、左右の足を作る。そろそろ写真作品としてのアイデアが浮かび始める。『慧可断臂図』の雪深い表現を思い付く。できれば考えよう、と思ってから浮かんで欲しいのだが。

 



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禅宗では不立文字といって、文字や言葉では伝わらないということらしい。そんなこともあり特に臨済宗を中心に禅画などが残されて来たようだ。だとすれば、禅画の類を観て、その気になっている私も、まんざら、おめでたいだけではなく、その趣旨から外れてはいないだろう、と座禅ひとつすることなく、開祖だ宗祖だ禅師だ、と手掛けている。しかしどこかに、それで良いのか?という気分もあり、ことさら〝考えるな感じろ”でやって来て、挙句が月指す寒山を作っている。考えていたらこうは行かなかっただろう。 人形用ヘアーを貼り付ける予定の寒山拾得の頭だが、老人ホームのザンギリ頭もちょっと浮かぶ。母には、これは美容師ではなく、植木屋の小僧のアルバイトに違いないから止めておけ、と私がカットしていたが、ここのところ顔を出せず、母は自分で切っているうち、すっかり上手くなってしまった。

 



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寒山乾燥に入る。右手に巻物、左手は月を指差し、左足を少し上げている。真ん中に豊干禅師、左に寒山、右に拾得。以上『三聖図』となる。豊干は杖を持ち、虎の背に乗っている予定だったが、岩の上に座り、傍に寝そべる虎、そらも良い。仕上げや寒山と拾得の髪の貼り付けが残っているものの、一年を超えて、ようやく寒山拾得が揃った。タバコが吸いたくなる。 一昨年のふげん社の『三島由紀夫へのオマージュ男の死』での飯沢耕太郎さんとのトークで「次は何を?」の声に、つい寒山拾得と口をついて出てしまった。とはいえ、いずれは、とは思っていたものの、次というには策がない。しかしふげん社が、拾得が普賢菩薩の化身であるという寒山拾得由来の命名であると知り、こういう縁には必ず乗ることにしている。おかげで最初は水槽の金魚を眺める日々であったが、 それも〝考えるな感じろ”で行こう、と考えた上での策だったが。ブルース・リーの〝考えるな感じろ、の後に〝月を見ず指を見るようなもの〜”と続くのを知ったのはごく最近である。前から知っていたことにしとくか、と月指す寒山を眺めながら。

 



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昨日続きは明日、などと講談師みたいなことをいったが、只今我が身に起きていること、これを異変といわずして何が異変か。実は只今飲酒に対する欲望が、雲霧散消、雲散霧消している。各方面からウソ付き野郎の大合唱が聴こえるようだが。 コロナ禍以降、当然外に飲みに行く機会は減っていたが、家においては昔からどんな酒だろうが、全て生のまま水も氷も全く割らずに飲んでいた。ただ面倒という理由である。工芸学校の卒業制作はニ升徳利。2度目の個展の前にプレッシャーから一年禁酒した後、小学校の図工の先生のお宅で日本酒を飲んで最初で最後の二日酔いをした。原因は何か、2ヶ月前からクリニックの薬が変わったこと、あとはワクチン接種くらいしか思い当たることがない。しかしいずれもそんな副作用は聞かない。 一昨日、飲み仲間のMさんと久しぶりに飲んだ。行きつけの居酒屋の女将さんを偲んで2人で涙ながら、サイゼリアでマグナムを三本空けたことがあるが、一昨日はキンミヤ一本で終わってしまった。幸いなのは、飲みたいのに飲めないのではないことと、検査結果は良好なことである。本日もロングでもないチューハイ缶を飲み残してしまった。異変である。まさか寒山拾得が何かしてる訳ではなかろうけれど。



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ここ何年来不思議に思っていることがある。前半の人生をまるで取り戻すかのように、昔嫌いだった食材がほとんど好物に転じている。元々食材のレパートリーの広さが男の腹の太さ、◯◯の穴の大きさに比例している、と自論を持っており、昔、好き嫌いの多かった亡くなった父を例えて農協新聞に書いたら、農協に勤める父方の親類に読まれてしまってバツが悪かった。 しかし食えば好まない物はあった、かつて不味かった東京のうどん、おでんのちくわぶ、酢、和菓子、コーヒー(ブラック)ひたすら酸っぱい梅干しや、丸のままのレモンはともかく。それが次第に克服していった。酢は、ラジオで深田恭子嬢が餃子を酢だけで食べるのを聴き試して以来、今では薄ボケた醤油ラーメンにまで入れるくらいだし、子供の頃から、ドラ焼などあんこを捨て、がわだけ食べていたくらいだが、今では朝ドラ観ては東京でいう今川焼きが食べたい。コーヒーは本格的ホットコーヒーには手は出ないものの、ペットボトルのブラックコーヒーはガブ飲みしている。という訳で、最近制作しているモチーフを手掛けながら子供時代の心持ちに戻りつつ、何かを取り戻そうとしているのか、と不思議に思っている。だがしかし、この程度のことでタイトルを異変、などとはしない。長くなった。続きは明日。



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昔一度書いた思い出である。妹がアメリカから子供二人を連れて帰っている、というので食事でもしよう、と実家に帰ったら空気が重い。息子二人が妹に叱られ泣いており、妹は叱り疲れている。すると母が私に小声で「◯美(妹)はちょっとうるさ過ぎるのよ。」といった。私は耳を疑った。なぜなら私が幼い頃、母に叱られ泣いていると、祖母が「◯子(母)はちょっとうるさ過ぎるんだよ。」といったのを覚えていたからである。私を笑わすために母と妹が仕掛けたギャグにしては、オチまで40年かかっている。 独学、無手勝流の大変さが身に染みていたある日、博物館に出かけた。古代から現代まで、父から子、師匠から弟子、先生から生徒、精神及び技術が学ばれ受け継がれて来たはずが、現代作品が過去の作品より優れているとは限らず、むしろ逆だったりしている。こんな調子なら、独学だろうと構うこたぁねぇや。気持ちを新たにした私であった。それはともかく。 結局、いくら歴史を重ねても、人間は懲りずに同じ事を繰り返す。ため息の日々である。



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昨日、朝ドラカムカムエブリバディで五十嵐が夢である時代劇俳優を諦め、というシーンがあった。現状と目標の間の距離が問題である。私のように、今日、明日、せいぜい2年後くらいのことだけ目指していれば目標までの距離が短か過ぎて折れない。酒で失敗したのがきっかけであっだが、酒の飲み方を教えなかった虚無蔵も悪い。いかにも酒癖が悪そうな弟子である。 私は渡世の割に何でいつも笑っていられる?といわれるが、そういえば案外挫折感を感じたことがないな、と考えたら、先のことなど考えず、パン食い競争のように、ほんの目の前のパンに齧り付くことをただ繰り返しているだけだからだ、と気がついたのは昨年のことである。ついでに〝何でも自分の都合の良いように解釈する”ともいわれるが、つまりオメデタく出来ている、ということであろう。 このオメデタイ男は、月を指差す寒山にすぐ取り掛かれば良いものを、この期に及んでグズグズ自分を焦らし、より多くの快感を得ようとしている。もはや処置なしである。



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幼い頃、頭に浮かんだイメージはどこへ消えていってしまうのか。誰かに話したならまだしも。それを取り出してやっぱり在ったな、と確認するのが主な目的である。外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想だといって来た。写真はセルフポートレートやレントゲンを別にすれば、基本的に自分の外の世界にレンズを向ける物である。よって比喩的表現用ツールという気がする。私の場合は外の世界のイメージに仮託してみたいこともなく、機械音痴と相まって、かつてはまったく好きになれなかった。それが自分で作った物を撮ることにより擬似念写が可能となった。今まで廃れていたオイルプリントを写真のド素人にもかかわらず個展を開いてみたり、マコトを写すという写真に抗って来たが、ここに至り、レンズの味など余計なことはせず、カメラにはそのまま写してくれよ、と。カメラという物はつくづく良く出来ている、それにしても寒山拾得とは。考えずに感じているとこんなことになる。



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寒山拾得の頭部の完成が一年を以上待つことになるとは思っていなかった。お陰でその間に他のラインナップが増えてしまった。この調子だと、寒山拾得展の看板は上げられないのではないか、と思ったが私なりの2人になりそうである。寒山拾得というと普通は絵画だから『寒山拾得写真展』とすべきだろうか?しかし想像されるのは、定年退職した初老の男が、カミさんの慰労も兼ねて念願の中国旅行。愛用のアナログカメラで撮影した天台山は国清寺、蘇州夜曲にも出てくる寒山寺の風景写真展であろう。まったく観る気にはなれない。もっとも昔、作家の人形作って写真撮ってます、と自分で言いながら実につまらなそうだ、と思ったものだが。



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寒山と拾得はボロを着ている設定だが、陰影のない手法だと、着彩で凝っても、ただ汚くなってしまう場合がある。日本画では着衣のシワなどの描写を衣紋線というそうだが、40年前からやり方は一緒で、実際のシワを改めて観察したこともなく、一挙に作る。全ては表情を生かすためにある。 まずは拾得をボロボロヨタヨタと作ってみた。何が良いといって、石塚式ピクトリアリズムは、日本画調になるけれども、元が粘土製ならではの衣紋になるだろう。実は制作中に寝てしまい、表面が乾いてしまった。通常ならいったん湿らせるのだが、そのまま続けてみたらボロボロの感じになった。こんな〝怪我の功名”を、意図的にやったのだ、という顔をしてやっている手法が多い。陰影を出さない手法は頭で考えたので、手掛けるまで時間がかかってしまった。やってみたら一晩で出来てしまったけれど。



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ロクロ台の高さが高くて肩が疲れるので低いロクロを注文。少しでも無理な姿勢は避けたい。無呼吸症候群発覚以来判ったのは、私から制作欲が失せることはあり得ない、と思っていたら、ご馳走を目の前に箸を止め、ボンヤリしてしている自分に驚いてしまった。手さえ動けば、と思っていた私が間違っていた。 子供の頃、算数などという面白くも可笑しくもない物が、大人になって必要になるはずがない、と思っていたが、独学者の良い所は、その調子で、自分にとって必要なことと必要でないことを自分で決められることである。〝君にはまだ判らないだろうが、将来必ず必要になるから、やっておきなさい”そんなセリフは小学生ですでにうんざりである。工芸学校では、洗練されていない個性は癖だ、と聞いたが、癖も40年もやっていれば〝作風”となる。

 



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昨日のブログを読んだ友人から、イメージは写真のように頭に浮かぶのか、とメールが着た。こいつは20年前も同じことを聞いた。実をいうとそれがそうでもない。私は思い付いた!という顔を良くするそうだが、具体的な部分に、後はモヤのようなガスのような何かである。なのにここに在るのは判る、としかいえない。 寒山と拾得に関しては、せっかく実在者から解放されたので、日本、中国で星の数ほど描かれて来たのとは、趣きの違う表情にしたかった。なのでデータのストックの底を叩き、一度粘土を掴んだら、必ず完成まで持って行く、とずっと決まりを守って来たのに、一つ目の寒山と拾得の首を没にした。 拾得、仕上げを残し乾燥に入る。次は〝月を指差す”寒山という、今回のメインテーマということになりそうな寒山の制作に入る。たった一つ、鉄拐仙人が次に作る作るといいながら頭が残っている。



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イメージというものは、棚からぼた餅のように降って来る、とはいうものの、あくまで私の中に在るもの由来であるのは間違いない。データは殆ど無意識のうちに取り込んだ物だが、寒山拾得のイメージに貢献したであろう、いくつかの記憶を探してみた。 I、粉撒きまっちゃん。昭和30年代、汲み取り口に石灰を撒いて回る通称粉撒き屋の親子がいた。息子のまっちゃんは二十歳前後、坊主頭でほとんど喋らず、汽車が通るとニコニコ嬉しそうに眺めていた。2、小学生と、中学生の時、テレビで観た泉鏡花の『高野聖』を原作とした『白夜の妖女』(日活1958)の妖女月丘夢路の夫の小男。歌が上手かった。おそらく俳優でなくホンモノ。3、20年以上前に、東京駅の向かいのホームの人波の間から一瞬見たヘンな男。4、江東区は某所の酔っ払いの男。酔ってコタツの角で30数針縫い、額に刻まれた〝ヘ”の字の刻印。大通りで真後ろに倒れて気絶。乾いた空っぽな音を聴いた。



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私の大リーグボール3号、石塚式ピクトリアリズムだが、まるで今回のモチーフのために考えたかのようである。それがあるからこそ寒山拾得を、というところもあったと思うが、考えなければ考えないほど、まるで考えたかのようになるから、考えない方が良い、ということになる。昔の人なら〝お天道様が見ていて下さったおかげ”なんていうのかもしれない。私はというと外側に、そんな物が在るとは思いたくないので、あくまで私の臍下三寸辺りにマシな何かが在る、ということにしている。 月を指差す寒山が出来たら、一度部屋を片付け、撮影に取りかかる準備をしたい。もっとも、すべて切り抜いて配するので、寒山と拾得の後ろにグヤトーンやカワイのビザールなエレキギターや、座布団が写っていようとかまわない。自分で考えた手法は、あくまで自分に都合良く出来ている。高価なレンズなど不要だし。逆にいえばレンズの力、陰影の効果を頼ることが出来ず、成否は被写体の出来にかかっており、原点の人形制作に正面から向き合うこととなる。さすがお天道様である。



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今回のモチーフは、私の中に在る人間のイメージ、種々相を創作するには最適であろう。写真資料を見ながら実在者を作るなどと、本来苦手なことを25年も続けてきたが、写真やパソコンなど嫌いで苦手だったことばかりやることになる、これはどういうことだったのか。これまで行き当たりバッタリ、と思って来た。そして何を言っているのか判らない寒山拾得に至った。しかし実はそれもこれも〝考えるな感じろ”の賜物であり、その挙げ句の寒山拾得なのだ、とようやく。 ブルース・リーの〝考えるな感じろ”は、そんなことはいわれなくても知っている、と思っていたが、その続きが〝月を見ず指を見るようなもの〜”と、続くことを知り、あろうことか、今週中にも、寒山拾得定番のモチーフである月を指差すところを作ることになっている。  これは至るべくして至った、と思うしかない。   



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