明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



禅宗では不立文字といって、文字や言葉では伝わらないということらしい。そんなこともあり特に臨済宗を中心に禅画などが残されて来たようだ。だとすれば、禅画の類を観て、その気になっている私も、まんざら、おめでたいだけではなく、その趣旨から外れてはいないだろう、と座禅ひとつすることなく、開祖だ宗祖だ禅師だ、と手掛けている。しかしどこかに、それで良いのか?という気分もあり、ことさら〝考えるな感じろ”でやって来て、挙句が月指す寒山を作っている。考えていたらこうは行かなかっただろう。 人形用ヘアーを貼り付ける予定の寒山拾得の頭だが、老人ホームのザンギリ頭もちょっと浮かぶ。母には、これは美容師ではなく、植木屋の小僧のアルバイトに違いないから止めておけ、と私がカットしていたが、ここのところ顔を出せず、母は自分で切っているうち、すっかり上手くなってしまった。

 



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