明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


最終的には陰影の無い石塚式念写法での撮影になるが、そのせいもあり、フェイスブックとインスタにアップした寒山は少々遊び過ぎ、まるで乱歩の踊る一寸法師か、という気味悪さである。ブログにはすでに登録済みの画像しかアップが出来ないでいる。 恒例の花見の誘い。たまには出て来い、というが、私のストレスの解消も作ることによってしか成されない。 久しぶりに、ジャズではもっとも聴いたチャーリー・パーカーを聴いていたら、岐阜の製陶工場にいた頃のことが思い出された。陶芸家を目指していたが、技術も経験も何もなく、先行きの長さに呆然とし、酔っ払って田んぼに落ちたりしていた。自分を信じることなどまったく出来ず、感じるどころか考えてばかりで、月を観ずに指ばかり見ていた。嫌な思い出である。戦場に駆り出されないくらいの役立たずになった頃、ようやくイメージした物が目の前に現れるようになる。



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