イメージというものは、棚からぼた餅のように降って来る、とはいうものの、あくまで私の中に在るもの由来であるのは間違いない。データは殆ど無意識のうちに取り込んだ物だが、寒山拾得のイメージに貢献したであろう、いくつかの記憶を探してみた。 I、粉撒きまっちゃん。昭和30年代、汲み取り口に石灰を撒いて回る通称粉撒き屋の親子がいた。息子のまっちゃんは二十歳前後、坊主頭でほとんど喋らず、汽車が通るとニコニコ嬉しそうに眺めていた。2、小学生と、中学生の時、テレビで観た泉鏡花の『高野聖』を原作とした『白夜の妖女』(日活1958)の妖女月丘夢路の夫の小男。歌が上手かった。おそらく俳優でなくホンモノ。3、20年以上前に、東京駅の向かいのホームの人波の間から一瞬見たヘンな男。4、江東区は某所の酔っ払いの男。酔ってコタツの角で30数針縫い、額に刻まれた〝ヘ”の字の刻印。大通りで真後ろに倒れて気絶。乾いた空っぽな音を聴いた。