明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島由起夫を書籍の表紙に、という話しが来て、時間もなく有り物で、ということであったが、何しろ私の三島は怪獣に噛み砕かれていたり、エレベーター内で射殺されていたり、ジェット機に載っていたり、腹切っていたり、背中で唐獅子牡丹が泣いていたり、何かしらやっていて、とても使えない。ただ立っているカットがⅠカットだけあったので、これが使えるなら、と送ってみたのだが。 母がヒステリーを起すとうるさくてしょうがない。子供の頃はカッときたら裸足でよいから家からまず飛び出すのが先決。駐車しているトラックの荷台にでも乗っていたらいずれ夕飯、と迎えに来る。そういえば歌舞伎座の前を走ったこともあった。この場合、靴が脱げたのが功を奏した。銀座を片方靴を履いていない少年が走っていればみんな見る。 有り難いことに叱られても食事を抜かれることはなかったし、外出時にしでかしたことについて、帰宅後叱られることはない。ようするに私と一緒で怒りが持続しないのである。後始末には血統値を上げることである。何がいいというとチョコレートと鳥の唐揚げという。87にもなっていい加減にしろよ、というのだが、平気で連日唐揚げを食べている。こんなに好きなのは同居して知ったのだが、私の鶏肉好きも母由来か、となんだか複雑である。
HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


團十郎は搬入しようと思ったら、深川資料館側の都合で16日の搬入となった。となるとまだ時間があるわ、とピタリと手が止まる。もう出来たも同然だから圓朝のことを考えたい。こういうところがいけない。完成させてから次に行けという話しである。しかし九台目團十郎は今の所写真作品にする予定がないので人形が完成すれば終わりである。 某所より夏に圓朝展示を、という軽い打診。たしかに圓朝は白い壁に囲まれたギャラリーという感じではないかもしれない。すでにランプ、ガス灯の時代だったのに、あえて燭台を立て蠟燭の光て口演した人物である。 二台あるパソコンが調子悪くなり、一台が回復したと思ったらモニターが壊れる。ネットで調べもの1つやれない。これはもうトイレットペーパーの次くらいの必需品である。しかたなく買いに行く。
HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日の大睾丸の話しだが、一斗はないだろう、と友人からメールが着たが、江戸時代の絵草紙には大睾丸をまるで火鉢のような扱いで頬杖ついたり一服している絵があるが、私が見たアフリカの大睾丸の写真はスイカよりさらに大きい物がぶら下がっていた。西郷隆盛の睾丸の大きさは定かではないが、軍服など洋服着るのは無理だったに違いない。西郷があのまま生きていたとして、大睾丸の人物が明治新政府でどうやって活躍ができたであろう。大睾丸の話しはいいかげんにして。 大睾丸よりいい加減にしなければならないのは九代目團十郎である。着彩を終え、今週中には深川江戸資料館に搬入しなければならない。それにしても母がショートステイに出かけている間はあっという間に日が過ぎて行く。矢の如しとはこのことである。昼間から椅子に座ったまま居眠りしているものだから睡眠充分、朝から今度はデイサービスのカラオケ大会が楽しみ、と歌を歌っている。「うるさいよ朝っぱらから!」 先日の誕生日、どう考えても解せない。10年ほど気絶していたのではないか?まさに光陰矢のごとしである。気絶していなかったとするならば、先ほどからすでに居眠りしている生き物が原因ではないのか?
HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「文化文政の頃は知りませんが、明日が日にも江戸が潰れるといふ時にも、奇人は多かつた。」「私が奇態に思つたのは、浅草に居る時分に、年中寝ていた乞食があつたが、五十歳近くでしたが、それが蔵前の大睾丸(おおきんたま)といつて、睾丸が一斗以上になつてるので肩から汚い晒しで吊っていた。昔の乞食はみんな菰を持っていた。所謂本当のお菰さんでした。その菰を上へきて睾丸をぶらぶらさせて札差の所に行って貰うのです。所が札差のところなどでは酒の燗冷ましや飲み残りなどが何時でもある。それを大睾丸は瓢箪を持って居てもらって歩く、だから年中酒に酔っていて、何時でも真っ赤な顔をしていた。従って睾丸は膨れ放題だった。」 蔵前のおおきんたまといえば下町では誰でも知っている有名人で、睾丸を引きずりながら往来を綺麗に掃除して歩くのでみんなに可愛いがられたそうである。大睾丸とはフィラリアからくる象皮病であろう。 西郷隆盛もこれで、斬首された遺体は、この大睾丸で西郷だと判ったという。 本日は私の記念すべき日にふさわしいブログとなった。
HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




維新直後の東京はほとんど無政府状態だったようである。商店はことごとく店を閉じ強盗が横行している。参勤交代していた諸藩は去り土地はほとんどタダ同然。それでも買い手がいない。そこで土地に板囲いすることを条件に唯で配られた。三井などに引き受けさせたがあまり喜ばなかったが、板囲いもせず、それが後に巨大な財産になったという。  昨年、深川江戸資料館の歌舞伎展に守田座座元であった12代守田勘弥の手書きのキャスティング表を提供したが、この人物は興行師として明治期の歌舞伎の黄金時代をプロデュ-スした大立者であったが、エライ横着者であったらしい。役者を大勢集めて「マア皆さん聞いておくんなさい。有難いことに、俺は今借金が八十五萬円ある。あと十五萬円で百萬円になる。」“死ぬときには何百萬円借金を残したんだか判らない。当時は世間が物騒で、金をウンと持っていると大刀(だんびら)を突きつけられて、奪取(ぶったく)られるか、斬取されるかと云う世の中だから、そんな危ないめをするより、性(しょう)の知れた人にかして置く方が安全だといふわけで、無闇に貸したのでせう。”そういえば河原崎座の座元に一時養子に入った九代目團十郎は、養父が強盗に切り殺される断末魔の声を隠れていて聴き、その声は生涯耳から離れなかったという。
HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




三遊亭円朝の後に、誰を作りたいという人物が今現在浮んでいない。頭部がすでにある谷崎は別にすれば一から作るという意味では依頼でもあれば別だが、何があっても、という人物がいない。 ただ今までのラインナップから漏れ、一人の作家で個展は無理にしても、一人につき、写真作品2、3カットでやるなら、川端康成、室生犀星、内田百間などいなくはないのだが。 昨年、今年の年齢的大台を前に、現段階で展示できるものをおおよそ展示して、中締め、などといっていたが、公私共々色々あった。昨日の話ではないが、電気製品と同じく、区切りの良いところ、というのが人にもあるのかもしれない。 最初の架空の人物で始まったジャズ、ブルースシリーズから作家シリーズへ。 さらにもし私に第3段階なるものがあるとしたら、そろそろ頃合ということになろう。ようやく頭にさえ浮かべば、それを形として取り出すことができるようになった。こうなるには、いい加減にしろ、というくらい時間がかかった。しかし高校生の夏休みにやった鉄骨運びのバイトは、コツを掴んで慣れてきた頃に夏休みは終わった。人生もそんな物であろう。せっかく覚えたのだからもう少し鉄骨を運びたいところである。 実は大きな声ではいえないのであるが、正直なところ私にはここに至ってなお、まだ始まっていない感が拭えないのである、こんなことだから私の顔を評して、フィリピンパブのお姉ちゃんに「苦労ガ足リナインジャナイ?」といわれてしまうのであろう。
HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


初MRI  


昨年末の忘年会で、なんだかロレツが回ってないな、と感じた。あまりそういうことがないので珍しいな、と思ったが、以来シラフなのに早口になるとロレツが怪しい。もっとも人に聞いても暗示にかかりやすい人がヘン、というくらいで周囲には気がつかれない。唇を蚊に刺された時のように、自分ほどには他人は感じないらしい。 しかし昔の友人が脳溢血で口が不自由になったり、K越屋のオヤジのように残念ながら口は達者のまま、歩きが不自由になったりを聞いていたので、これも何かの予兆か、と本日MRIを撮ってきた。耳栓越しに「目は閉じて」と聴こえたような気がしたので見たくてしょうがなかったが、目を閉じ、まな板の上へ。耳栓のおかげで聞いていたほどうるさくはなく、うつら々した。昨晩ヘッドフォンでAC/DCを聴きながら寝てしまった私である。 終わって目を開けると、しばらく乱視がひどくなったような状態になった。結果、血栓梗塞の類は一箇所もなかった。まあ単純に老化ということなのであろう。それにしたって電気製品じゃあるまいし、大台目前に正確に不具合が起きなくてもいいだろうに。
HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »