明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



横浜への行き帰りに読む.。随分昔に読んだが、脱疽により四肢を切断しながらも舞台に立ち続けた美貌の女形、という興味だけであって、当時は歌舞伎自体には興味がないまま読んだ。今読み返したらどうか。  大変な美しさだった、というが、著者も書いているが、残された写真を見る限り、意地悪には見えるが、それほど美しいとは思えない。 当時の十代の美しい役者はまず男のパトロンに金のために買われ、16、7になると、今度は女が群がる番。それがあたりまえだった、ということである。ニジンスキーとデイアギレフの関係を連想するが、歌舞伎役者は金もかかる。田之助もパトロンである僧侶に身を任せるが、金の切れ目は縁の切れ目。そこからは女に走る。その中の年増芸者には、後に三遊亭圓朝の妻となる女もいた。 九代目團十郎は田之助より7つ年上だが、自惚れが強い田之助とは仲が悪かった。田之助にいわせると、團十郎はただ家の名ばかりが大きい、ということらしい。という辺りで今日は時間となりました。 私が子供の頃、エノケンこと榎本健一は、やはり脚を切断後も舞台に立ち、TVに出ていたのを覚えている。
HP

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