作家シリーズの初期は人形を片手で捧げ持ち、片手に人形をもって街中を撮影して回ったものである。国定忠次のような形から『名月赤城山撮法』と呼んでいた。背後を歩く人は、自分まで写るとは思わないので、作家の背後に自然な姿で写りこんでくれる。私のラインナップの中では永井荷風と寺山修司が街歩きの両巨頭で、どこに持って行っていっても画になる。未だにあの方法はとらないのか、といわれるが、この撮法は、人形がレンズの近くにあるから人間大に見えるだけなので、常に被写体が最前に配されることになる。江戸川乱歩で本を作った時から合成を駆使することになった。どのページも江戸川乱歩や怪人二十面相が手前にいるようでは物語が進行させられない。 その後都営地下鉄のフリーペーパー『中央公論アダージョ』の表紙制作が隔月で4年続いた。これは有名人を都営地下鉄沿線に立たせるという趣向であったが、後発の鉄道ということもあり、名所など画になる場所は少なく、毎号誰がどこを歩くというお題に一喜一憂したものである。といっても一喜は少なく、頓知まで効かせないと、そこには立たせられないことが多かった。たとえば『三島由紀夫と馬込を歩く」では、行ってみると三島的なのは三島邸の邸内だけで、馬込に三島を立たせて画になる景色は皆無であった。たまたま山本キッドのジムが開かれるという情報が耳に残っており提案した。結果的に怪我で出場しなかったが、山本選手の復帰戦が、配布直後に決まっていたのも絶好と思われたが、了承を得るために時間がかかり、背景に合わせて造形するので時間的にスリル満点であった。 未だからいえるが、これは某所に突入した三島と楯の会のメンバーをイメージしたものであり、山本選手からセコンドの数が一人多いという至極当然な指摘を受けたが、人数を減らす訳にいかない私は、道場破りに対している設定で。とお願いした。おかげで編集長が反対側のコーナーでファイテイングポーズを取らされセコンドに睨まれることになった。 こうして毎号切り抜けて来たが、たとえば十字架のポーズでグローブをはめた三島は、この背景ありきの姿であり、展示ができる訳でもないので、身体の部分は処分してしまった。アダージョ以降、そんな展示できない状態の作品ばかりになってしまったのだが、このあたりで全部完成させ、すべて展示してしまうのはどうだろうか?ということを考えている。ただそれを書くために話が長くなってしまった。
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