ここのところ自分の辞書に乗っていない事柄に対する対応で知恵熱が出そうである。周囲のちゃんとした辞書を持っていそうな友人知人に相談することになるが、私の辞書がどれだけ片寄り、欠落ページがあるか知られているせいもあり、実に親身に対していただいている。これはもう有り難いとしかいいようがない。 改めて考えてみると私の周囲には、人形を作っている人間はもとより、おかしな辞書をたずさえ、奇妙なことに関わっている人間は皆無である。この場合、そんな人達の中に、私が一人混ざっているというのが正しいだろう。私にとって人との付き合いというのは、自分との違いにこそ、その醍醐味、面白さがある。違和感さえ味わいの一つである。その結果がこういうことになったのであろう。確かに私と同じような人間がいたとして、そんな奴はまっぴらである。エドガー・ポーの小説に、同姓同名の自分にそっくりな男に、子供の頃からつきまとわれ、最後は殺してしまう『ウィリアム・ウィリアムソン』という短編がある。 夜、いつものトラックドライバー2人と森下文化センターの音楽スタジオへ。予定が変更になり、大きな音で気分転換もいいだろう、と出かけた。下手も下手なりに様になってきたような気がする。ボーカルを担当する予定であるYさんは、ギターを弾きながら歌えないという欠点を克服中であるが、ドラムもいないし、なんだかスカスカではある。 今回は4時間借りたのだが妙に疲れた。Yさんの奥さんの誕生日ということもあり、早めに切り上げ打ち上げ。雪においてのトラックの対処のしかたに始まり愉快に過ごしたのだが、赤ん坊はコウノトリが運んで来るのはおかしいと気づいたのが中学生の時だった、という話を聞いた。私はこんなとんでもなくトンチキな、いや純な人間にまで囲まれているのだなあと妙に感心したのであった。
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