明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が今の私になった遠因と言って良い事に小学校三年の時、産休の教師に代わって1年お世話になった女性の田中先生の存在がある。私が図書室にある人物伝、伝記の類いを片っ端から読んでいるので、お別れの時に内緒で世界偉人伝といった一冊の本を頂いた。夢中になって読んだ。私が葛飾北斎を作る時に元にした北斎の自画像も載っていた。つまり後年イラストレーターがかってに描いた物ではないところが重要である。 田中先生は、在日の10歳の少女の日記『にあんちゃん』の話しをよくされていて、その音だけが耳に残っており、今村昌平の映画で観たのは、数年前である。貧しい炭鉱街の物語であったが、先生は幼い我々にこれにより何かを伝えようとされていたんだな、と感動しながら観た。 だからという訳かどうか、プロレスラーだろうが犯罪者だろうが様々な人物がエピソードと共に図鑑のように並んでいるのは未だに好物だが、特に高校の時に入手したニューミュージックマガジン別冊『ブルースの総て』により、並んだブルースマンの面相、佇まいに衝撃を受け、後に人形を作る事になった。人に貸して行方不明になったが、人生を変えた一冊だと、二十年ぶりにヤフオクで手に入れたが、当時熱心に読み過ぎたか、懐かしくも何ともなく拍子抜けでパラパラして終った。 深緑色の箱に赤いハードカバーの田中先生の偉人伝こそ再び入手してみたい一冊である。

HP

 

 旧HP

 

 『タウン深川』明日出来ること今日はせず 連載第14回〝青春の日の一撃〟

『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube

 

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




頭部には、制作のほとんどと言っていいくらい時間をかける。写真作品となれば、身体もそのポーズも、背景もすべて頭部を生かす為にある。そのため裸でない限り、身体は頭部制作とは別のテンションで、何を参考にすることもなく勢いで作る。勢いで作ったその形跡を修正しており、今日は着彩に入れなかった。着物から下着が出るのを嫌って袖口を切ってしまうような、つまりきっちりしている犀星が、いつまでも胸元を開けたままで、作っていながら心苦しい。そうしたものである。今のままでは、東映の任侠映画で最初に殺される昔気質の親分嵐寛寿郎みたいである。残された子分の中で即仇討ち派と、挑発に乗っちゃいけねぇ、親分は望んでじゃいねぇ派に分かれる。仇討ちに来まってるだろ。とりあえず犯人の流れ者を叩っ切って来い。それはともかく。つまり早く金魚を胸元に配さなければ、だらしなくて犀星が可哀想てある。金魚はすでに背景の中で、身体をくねらせ待っている。もう一匹、老人と接吻しようとしているのもいる。いずれにしても、デカイ金魚相手に平然としている犀星二カットが、数日中に完成する予定である。

HP

 

 旧HP

 

 『タウン深川』明日出来ること今日はせず 連載第14回〝青春の日の一撃〟

『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )