森鴎外も書いているが、なんだか判らない味がある。なぜ私の頭の中に寒山拾得が居るのかも、また良く判らない。たんに誰かの寒山拾得図を見て、と思うのだが、ならば覚えているだろう。もしかしたら。 小学生の頃、百科事典ブームがあった。うちにも小学館の『日本百科大事典』が来た。私は家族で縁日に出かけても小遣いを使わず、シャッターを半分閉じた本屋で店主、家族を待たせたまま本を選んだ。学校では始業のチャイムが鳴っても図書室から出て来ず、しばらく出禁になる。図書館に通いたくても、当時の小学生にとって下町はテリトリーから出るのにかなりの危険を伴った。そこへ来たのが『日本百科大事典』である。小学校高学年から中学にかけて、1往復は読んだろう。シュルリアリズム絵画もこれで知った。夢野久作ではないが、“胎児の夢”に近い。子供の私は懐かしさすら感じた。ツバメの巣がスープになることも知ったし、母に材料を買って来てもらい、お菓子を作ったこともある。 妙だな、と覚えているのは、ボデイビルの項に、三島由紀夫の写真が使われていたのと、シャンソンの項が、やたら力が入っていたことである。ところが数年前、この百科事典は『虚無への供物』の中井英夫が編纂に携わっていたことを知った。中井からボデイビルの項に、という打診は、三島にとって“今までで、こんな嬉しいことはない”という程のことだったらしい。“時間がない”三島は中井に催促したという。書斎の三島を見ると、背後に並んでいるのが『日本百科大事典』かもしれない。 私は“あ”の項から順に読んでいった。つまり“か”の項では寒山拾得に出合っていたはずで、小学生の時から毎日のように、中井英夫の洗礼を浴びていたことを思えば、可能性はある。
HP
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