明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



円朝3作目は、自分の頭の中のイメージに陰影がないので、陰影のある夜景との折り合いが難しかったが土俵際でなんとか。作品に陰影があるかどうかで、乱歩のいう現世か夜の夢、どちらの現実を描いているか、そんな単純な話ではないだろうがが、つい意識して絵画作品など見てしまうようになった。 後は背景の中空に漂わす牡丹灯籠を配せば完成となるが、先日一度撮影した灯籠がどうも思ったように行かず、朝までに再撮して明日にでも完成となるだろう。牡丹灯籠の制作、背景の明治の寄席の制作など、一カットのために相変わらず時間がかかった。しかし、明治の寄席の前に圓朝を立たせるなど、こんなことをやっているのは地球上で私だけだろう、と思う時、得も言われぬ幸福感に満たされるのである。考えてみればささやかな幸福だが、幼い頃からこの時に湧き出る快感物質に取り憑かれてしまっているので、いかんともしがたい。 幼い子が寝てもクレヨンを手放さなかったり、クチをあんぐり開けてボンヤリと西の空でも眺めていたら直ちにアンモニアでも嗅がせ、ビンタの一つも食らわせるべきであろう。母も私の目を覚まさせるために小学校の担任のアドバイスで妙な施設に連れていったり、あらゆる手段を講じたが無駄に終わった。病院で寝ている母の顔など見ると多少思う所はあるが、何しろ生まれつきのものなので、私には一切責任はないのである。

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