明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日は横浜まで、以前から知人の依頼で撮影してきた植物を撮りに行く。今日は圓朝の撮影方法で人形以外の物を撮影してみようと考えていた。懸念していたのは背景から切り抜くこと前提でないと上手くいかないかもしれない、ということであった。私の場合は、そもそもが小さな人形が被写体で、それを人間扱いするので、切り抜いて配置するのが大前提であり、実はそれが肝心要かもしれない。その点も本日確かめたかった。 今まで三脚というものをほとんど使ってこなかったが、この撮影には不可欠である。先方に確認すると、前回、私が置いて行った三脚があるという、いや目の前にあるのだが、と思ったが。先方がそういうので、では別の三脚を持って行ったのだろう。と、しかし、結局先方の勘違いで、圓朝の撮影方法はかなわず。もっとも、今日の撮影にかこつけて、人形以外の被写体で試してみよう、と私が勝手に企んだことで、本日の撮影には支障はない。 それにしても、私の大リーグボール“圓朝の撮影法”は、何か上手いネーミングはないだろうか。私の1号“名月赤城山撮法”は冗談でいっているだけであったが、いつまでも円朝々いっていられない。 以前何度かクイズやアンケートを募集し、ささやかなプリントを差し上げたことがあったが、今度ばかりは先日の青木画廊のグループ展で、“打席”に立ってみた方でないと、ピンとこないだろう。

HP

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先日書いた、私が記憶違いだったらしい国際プロレスを兵役で引退したという外人レスラー、他にも覚えていた方がいて、兵役はフェイクの可能性は残されているものの、記憶に残る引退セレモニーは事実だったかもしれない。私の創作にしては兵役で、など、どうもらしくない、とは思っていた。 本日母を見舞い、ケアマネージャーが驚くから「どちら様ですか?」という冗談は止めろ、といっておいた。斜向いにいる婆さんは、私の小学時代の同級生Eちゃんのお袋さんだ、といっていた。彼は平泳ぎの足のかき方が苦手だった私に親切に教えてくれた。無駄だったけど。 母は大関になった高安の大ファンで、スポーツ新聞の記事を大事そうにしていた。 そういえば、十数年前に亡くなった父は大のプロレスファンで、外人=悪役の時代はとっくに過ぎていてもファンを続けていた。何度か武道館など一緒に行ったが、見渡す限り、こんな年寄りはいなかった。さすがに父はウエーブはやらなかったが。亡くなる前、私との共通な話題がプロレスぐらいしかないから、病院に見舞いにスポーツ新聞を持って行って、ひとしきり話すと話すことがなくなってしまった。私のような人間は我がままな猪木が厭で、地味で保守的な父は、馬場のそういう所を嫌っていた。そうしたものであろう。しかしせめてもの親孝行、父は私が実は馬場派であることは知らずに死んで行った。 父が亡くなる少し前、前述の国際プロレスを私はTVでしか観たことがなかったが、父は私が小学生の頃に、仕事上のお得意さんと観に行ったことがあることをふと洩らした。「えっ?ずるいじゃねえか」。父も私に気を使ってずっと内緒にしていたのであろう。

HP

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