明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午前中、白石ちえこさんの写真展、『鹿渡り』最終日に間に合う。今回は雑巾がけという技法ではなかったが、独特の抒情性、テイストは相変わらずであった。こういう味は私には、どこを叩いても出てこない。 昨日撮影したデータの色調整に時間がかかる。おもに5、60年代のレンズを使っているので、描写が柔らかいのはいいのだが、色がちょっとヘン。 自分の撮影では、デジカメを使うようになって、本当にシャッターを切らなくなった。“書斎派”?である私は、5、6カット撮っては、椅子の向きを変えてすぐにモニターでチェック。これは『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)以来で、この時は自然光が必要だったので、窓際の光と、隣の部屋からの光をブレンドして河童の撮影など、随分重宝した。 今回の新たな手法は、切り抜きが前提であることと、画面に入る物は一つずつ撮らなければならない。人形と、実物のサイズを合わせるために、今までもそうしてきたが、手法のためにも、そうしなければならない。 高座上の圓朝も、そろそろ作りたいが、つい50以上筆で描いた鬼火を使いたくなってしまうが、高座はあくまで現実的に描こうと、おそらく鬼火は我慢することになるのではないか。両脇に燭台を二本立てるのだが、そうなると蠟燭の灯りは前回のように手描きの炎にすべきか、今度ばかりは実際の炎にするべきか、現世と夜の夢の間で揺れ動く私である。 

HP

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