かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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馬場あき子の外国詠80(スペイン)改訂版

2015年10月25日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠9(2008年6月)
       【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P54
       参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
      まとめ:鹿取未放


80 海と空のあをさほのけさヤジローとふ日本最初の切支丹帰る

      (レポート)
 初句から2句にかけて「海と空のあをさほのけさ」は3句以下の事実を述べるにおいて、序の言葉のような役割を果たしているように思う。ヤジローとザビエルはマラッカからどのような船旅あるいはどの島を巡りながら、また布教活動をしながら日本へたどりついたのであろうか。罪人として日本を逃れたヤジローがキリスト者としての使命に生きようと決意したのであろう。「黙秘の塩したたらす」ヤジローの精神の強さは並大抵のものではないだろう。切支丹として帰ることがまたいかに困難な道であったか容易に想像できよう。
 「海と空のあをさほのけさ」と美しい自然、変わらぬ自然を情緒的にうたい、下の句のヤジローの精神の強さ、「切支丹帰る」と用言で言い切った歌い方等、この歌の独自のものをひきだしているように思う。生没不詳、歴史に名を残さぬヤジローの孤独とキリスト者としての行き方を作者は深く考察しながら、スペイン、マドリッドの旅が始まるのだ。(藤本)


      (発言)
★よい目をしていた日本青年に宣教師が惹かれたという旅行記を読んだ。この時まだ日本ではキリ
 スト教は禁止ではない。(慧子)
★そうですね、キリスト教の存在自体がほとんど知られていない時代ですから、切支丹として帰国
 することは危険ではなかったと思います。過去の犯罪歴の方がむしろ心配でしょ う。レポート
 には用言で詠いきって独自と言っていますが、結句が用言になるのはごく 普通のうたいかたで
 しょう。(鹿取)


     (まとめ)
 切支丹となったヤジローがザビエルに伴われて帰国した日本は、しかし西洋とは全く違う考え方をもつ国だった。あいまいさを好む日本的情趣を海と空の境界も定かではない「あをさほのけさ」という情景によって示している。犯罪者ヤジローが帰国することに身の危険は伴わなかったのであろうか。日本的情緒に布教する難しさを、ザビエルたちは考えたであろうか。(鹿取)


     (後日意見)(2015年10月)
 ザビエルは、マラッカの長官の手配した中国のジャンク船に乗って1549年4月15日マラッカを出発している。一行はヤジローも入れて8人で、インド総督やゴアの司教の親書を携えていた。帆船であるから風頼みで、レポーターが書いているような各国に自由に寄り道しながらなど悠長なことは考えられない旅だったようだ。一行が鹿児島に着いたのはちょうど4ヶ月後の8月15日である。
 ザビエルは日本に来る前に出来る限りの情報収集をしたようだ。ヤジローにもゴアの神学校時代にその長に命じて日本についての聞き取りをさせている。しかし、いざ日本で布教活動をしてみると思ったほどたやすくなく、程なく仏教界とも領主とも摩擦がひどくなったようだ。さまざまな事情が重なったようだが、ザビエルは来日わずか2年余の1551年11月日本を去っている。(鹿取)

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