かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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馬場あき子の外国詠79(スペイン)改訂版

2015年10月24日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠9(2008年6月)
      【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P54
       参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
      まとめ:鹿取未放


79 逃亡者ヤジローの海灼けるほど熱き黙秘の塩したたらす

        (レポート)
 罪人として逃亡し続けているヤジロー、ザビエルと出会ったのはマラッカとあるから場としてはマラッカを想像してよいだろう。気温の高いマレーシア、「海が灼けるほど熱き沈黙」の塩をしたたらしているヤジロー、日本の九州、薩摩の人ヤジローは南へ南へと小舟で逃亡し、マレーシアに到着したのだろうか。(日本軍が占領していた時期もある。)あるいは幾多の島を逃亡しながらザビエルと出会ったのだろうか。その頃はポルトガル領として栄えた港町である。当然異国の侵入者として取り調べ、あるいは拷問にかけられたであろうか。言葉が通じるわけではなく、肉体の限界まで黙秘したのであろうか。そのヤジローの状況、様子を結句で「塩したたらす」と表現している。何と強い言葉であろう。また、この結句によってヤジローと呼ぶ一人の日本人によむ者は思いを巡らすのである。(藤本)


        (まとめ)
 ヤジローは殺人を犯したというが、それはどういう事情からだったのだろうか。敵討ちのような肉親の情か、金銭のトラブルか。分からないが、ストーリーとしてはささいなことで激情にかられて殺人を犯し逃げていた人間が、ザビエルという偉大な思想家に魅せられキリスト教の深淵に触れ、改心をして洗礼を受け、以後敬虔な信者になって生涯を貫き通したと考える方が面白い。
 「黙秘」という言葉から推察するとやはりキリスト教信仰と関係があるように思われるが、海外で殺人や不法入国の罪をとがめられて「黙秘の塩したたらす」場面というのはどうも考えにくい。ただ「海灼けるほど熱き」はレポーターのいうようにマレーシアなど南洋の海を思わせられるので、ザビエルに従って帰国した後の場面とは考えにくい。もっともザビエル在日中に大伴氏から禁教される場面もあり、邪教を説く者達として行く先々での迫害はあったかもしれないが、まだ拷問にかけるというところまではいっていないだろう。政治の中心にあった幕府や朝廷でも、キリスト教をどうこうという段階ではまだなかった。(家康が全国にキリスト教禁止令を出したのは、ザビエル来日のおよそ70年後、支倉常長が帰国したちょうどその年、1620年のことである。)
 もしかしたら作者によって、後のクリスチャンに対する拷問とヤジローがふっと二重写しにされたのかもしれない。それにしても、灼けるほど熱い海と対比された黙秘、じりじりと全身から塩をしたたらせて耐えているヤジローの意地の強い人格を見せられるようだ。
 「黙秘は後の弾圧の際とも考えられる。」というご意見を後日、歌友のM・Tさんよりいただいた。(鹿取)


      (後日意見)(2015年10月)
 ヤジローについて書かれた本を何冊か読んでいるところだが、事実にそってその足跡を記しているものではない。ヤジローに対する文献が非常に少ないため、誰もがある時点から空想に頼らざるをえないようだ。「人を殺して逃亡した」点は、ヤジローが書いたポルトガル語の書簡の写しが残っているので事実である。また、日本にいた時からポルトガル人の知り合いがいてポルトガル語は少しは話せたらしい。日本からマラッカに渡ったときもポルトガル人である商船主への紹介状をもらっており、交渉して載せて貰ったことが船主への聞き書きとして残っているという。「小舟で逃亡し」たのではないことが分かる。また、時代背景が違うので殺人というのも今日考える凶悪な人間が犯すというイメージとはかなり違う見方もあるようだ。ともかく彼の生業は何だったのか、なぜ人を殺したのか、なぜザビエルと共に帰国したとき罪に問われなかったのかなど今までの本では解明されていない。調べが進んだら、この一連は加筆しようと考えている。(鹿取)

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